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其の二百十三 野分ども
しおりを挟む浅草寺の五重塔での邂逅後、魚心はその足で江戸を発ち、奥州街道を陸奥国(むつのくに)へと向かった。
もとより放浪の絵師ゆえに、来る時も突然ならば、去る時も唐突であった。
たしかに「江戸から立ち退け」と言い出したのは藤士郎であったが、よもや即日とは……。
「九坂殿、いろいろ世話になったな。貴祢太夫や幽海さまにもよろしく言っておいてくれ。もう会うこともあるまいが、さらば」
別れもまたあっさりしたものだ。言うだけいうと、さっさと行ってしまった。
「まるで野分(のわき)みたいな男だったな」
「……うん。でも、野分って忘れた頃にまたやって来るんだよねえ」
秋から初冬にかけて吹く、台風による暴風のことを野分という。
悠々とした足取りで遠ざかる魚心、とても物騒な連中につけ狙われているようには見えない。
その背を見送りながら、銅鑼と藤士郎は嘆息せずにはいられなかった。
◇
知念寺の門前通りにある、馴染みの茶屋にて銅鑼と藤士郎が一服していると、見知らぬ老爺に声をかけられた。
小柄で杖を持ち、お供に女中をつれている。
笑みを絶やさぬ姿は、どこぞの楽隠居といった風だが、それが上っ面だけだということに藤士郎たちはすぐに気がついた。微笑む目元、その奥に見覚えのある剣呑さが隠れ潜んでいるのが、ちらりと見えたからである。
それは五重塔で遭遇した殺し屋たちと同じ――。
「お隣、失礼しますよ」
言うなり、こちらの返事も待たずに、老爺は腰を下ろす。
さっそく接客にきた茶屋の看板娘のおみつに、団子と茶をふたり分頼む。
おみつが奥へと引っ込んだところで、老爺がそっと差し出したのは袱紗に包まれたもの。
「お納めください、九坂さま」
なんとなく中身の想像がついた藤士郎が周囲をはばかりながら、「口止め料かい?」とこそっと尋ねれば、老爺はいっそうの笑みを浮かべた。
この老爺は、おそらく市井の殺し屋を束ねる者なのであろう。
そして此度の一件、表に出るとあちこちに差し障りがある。
魚心の殺害を依頼した高島屋の奥方はもとより、報酬こそは手に入れたものの、結果的には仕事をしくじった形になる殺し屋たちも、また……。
裏稼業は侮られたらおしまいだ。
ゆえにすべてに蓋をして、なかったことにする。
もちろん藤士郎に否はない。だから素直に袱紗の中にあった切り餅ふたつを懐に入れた。
でも、ひとつだけずっと引っかかっていたことがあったので、聞いてみることにする。
それは殺し屋連中がやけにあっさりと手を引いたことだ。
すると元締めとおぼしき老爺は「あぁ、そのことですか」とうなづきつつ言った。
「なぁに、簡単な話ですよ。いくら老舗の奥方とはいえ、私どもみたいな商いに伝手なんぞありやしません。それにぽんっと大金を払えるほど、勝手が許されるわけでなし」
ましてや後妻の身となればなおのこと。五両、十両ならばともかく、百両を越えるような大金となれば、小遣いの範疇を越えている。いくら自由にすることが許されていたとて、それだけの額が動けば、身近な者には気づかれるだろう。
つまりはそういうことであったのだ。
大名家がこぞって出入りする老舗の呉服屋高島屋、そこの店主が只者であるわけがない。
それとなく裏から手を回して、お店や妻や娘に累がおよばないようにしていたのだ。
みな店主の手のひらの上で踊らされていたわけだ。
「まいったね、こりゃあ」
藤士郎がぼりぼり頭をかいたところで、老爺は団子と茶の代金を置いて席を立つ。
「もしもその気になりましたら、いつでもお声をかけてください」
そう言い残して老爺たちは雑踏にまぎれて消えた。
まさか仲間に誘われるとは思わなかったもので、藤士郎は苦笑い。
おみつが運んできた茶は藤士郎がもらい、団子は銅鑼の腹の中へとみるみる消えていく。
それを横目に藤士郎は嘆息せずにはいられない。
「はぁ、野分みたいなのがあっちにもこっちにも……。これ以上、荒れなきゃいいんだけどねえ」
妖怪絵師の魚心、柳生一門、女貧乏神の貴祢太夫、四凶が一角の饕餮、黒い噂が絶えぬ千曲屋文左衛門、曲者の老舗の主人、殺し屋の元締め……。それから江戸に近づいているという本物の疫病神のことも忘れてはいけない。
団子を食べ終わった銅鑼は、肉球をぺろぺろしつつ「無理だな」とにべもない。
これに藤士郎は重たいため息を吐かずにはいられなかった。
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