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其の二百十一 依頼人
しおりを挟む銅鑼は女貧乏神である貴祢太夫とかかわりたくないがゆえに、今度の一件は静観の構えであった。だが、妖怪骨牌の札の中に自分と饕餮という四凶のうちの二つが含まれていたことが気になったので、距離を置いてそれとなく、藤士郎たちの動向を見張っていたそうな。
で、あることを知ってしまったがゆえに、こうして姿をあらわし、藤士郎に忠告している。
だが、ここまできて魚心を見捨てられるような藤士郎でなし。
「とっくに深入りしちゃってるし、いまさら放ってなんておけないよ。せめてこの場はしのがないことには……」
言うなり、藤士郎は駆け出そうとする。
その姿に銅鑼は嘆息しつつ「……だと思った。やっこさんなら、五重塔に入ったぞ」と教えてくれたものの、これに藤士郎は首を傾げる。
「えっ、また自分から死地に飛び込んだのかい? どうしてまた」
「あー、それは、塔の中に女がいるからだ」
「高島屋の奥方がそこに! よかった、無事だったんだね」
「いや、無事というか、なんというか……」
銅鑼は微妙な顔をして、急に歯切れが悪くなった。
しかし藤士郎はそれに気づかず、さっさと五重塔に向かってしまった。
これを見送る銅鑼が小さな声で「ばかたれ」とつぶやいたのも聞こえなかった。
◇
浅草寺の五重塔は、外観こそは五階建てであるが、内部はほぼほぼ空洞になっている。中心に心柱が通っており、実際にはのぼることはできない。
なんだよ、見かけ倒しじゃないか。
と言いたい気持ちはわからないでもないが、そもそもの話、仏像とかも中は空っぽなので、まぁ、そういうものだとわりきって、外観の威容を拝むのが無難であろう。
藤士郎が五重塔へと向かっていた頃。
ひと足先に塔内へと立ち入った魚心は、ようやく元女房と再会した。
殺し屋一味を引きつけて逃げている途中で、塔から助けを求める声が聞こえたもので、飛び込んだまではよかったのだけれども……。
魚心の捨てた元女房で、現在は高島屋の後妻におさまっている女は、とくに縛られるでもなく、元気そうだ。
だから、ほっとしたのもつかのま。
いきなりその元女房から短刀を向けられたもので、魚心は目を見開くことになる。
「どうしていまさらあらわれた? そんなに私が憎いのか! 娘の邪魔をしたいのか!」
思いつめた様子で元女房がにじり寄る。
魚心は切っ先に押される格好で、じりじりと壁際へと追い込まれていく。
これがただの女であれば、魚心もたやすく御せるのであるが、彼女は元武家の女房である。しかも武門に重きを置く家系にて、相応の手ほどきを受けていた。夫が妻子を捨てて絵師の道に走ってから、江戸で落ち着くまでの間には、いろいろと危ぶまれることも多々あった。自分の身と娘を守るために、短刀を抜いたことも一度や二度ではない。
何があってもあの子の幸せは守る。
元女房の目がそう語っていた。
覚悟が凄味となって切っ先に宿り、これが魚心を圧倒する。
そして魚心は察した。
誰が市井の殺し屋たちを雇って、自分にけしかけていたのかということを――。
てっきり親族のうちの誰か、もしくは元主家絡みだと思い込んでいたが、よくよく考えてみれば、魚心こと佐々木織部という男を一番恨んでいたのは、捨てられた女房である。
けれど、「あいつがそんなことするわけがない」という都合のいい思い込みにて、これを頭の中から除外していた。
いまさらながらに己の間抜けさに、魚心が顔を歪ませたところで、続々と五重塔へとやってきたのは六人の殺し屋たちであった。
もう逃げられない。
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