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其の二百九 七人の殺し屋
しおりを挟む浅草寺界隈は江戸でも、いや、東国でも随一の盛り場である。
秘仏本尊である聖観世音菩薩像を祀る仏閣としての、歴史、規模、格、ともに群を抜いており、幕府の祈願所としても厚遇されている。
雷門を抜ければ、表参道には出店が並び、境内西の奥の区域は「奥山」と呼ばれ、見世物や芝居の小屋、大道芸などが多数集い庶民の娯楽の場となっている。
ご利益を求めて、あるいは遊興目的で、参拝客が途切れることがない。
そんな賑わいを横目に、敷地内のちょうど真ん中辺りに位置している宝蔵門の手前で、道を西へとそれる。
すると、みるみる近づいてくるのは五重塔だ。
これを右手にさらに進めば、小池があり、目当ての松林へと至る。
松林内に足を踏み入れたとたんに、境内の賑わいもぐんと遠くなった。
ふたりはここでいったん足を止めた。
殺し屋一味ににさらわれた高島屋の奥方を救うために、藤士郎と魚心は指定された場所までやってきた。
連中の狙いは魚心の命である。
そこでふたりは……。
「じゃあ、元女房は頼んだぞ、九坂殿」
「いや、しかし……」
「なぁに、逃げるのは得意だ。せいぜい連中を引っ掻き回して、いざともなれば本堂に逃げ込んでやるさ」
魚心は自分が囮となって、注意を引きつけているうちに、藤士郎に人質を救出することを望んでいる。というか、もうそうするように勝手に決めてしまっている。
「はぁ、わかりました。でも、本当に無茶はしないでくださいよ、魚心さん」
「わかってるって、九坂殿。おれだって、まだまだ描きたい物があるからな。こんなところでくたばる気なんて、さらさらねえよ」
「……にしても、どうして何ですか? 正直なところ、いまさらのような気がするんですけど」
藤士郎がつい口にしたのは、捨てた女房子どものために動く魚心の気持ちである。うしろ足で砂をかけて捨てた家族、ずっとうっちゃっていたくせに、娘が嫁に行くと知ったとたんに、祝いの品を贈る。でも結果として、娘夫婦を困惑させ、こうして元女房にも多大な迷惑をかけている。
失礼を承知でぶっちゃければ、魚心がちょろちょろするほどに、回りが不幸になっている。とんだ疫病神だ。
この藤士郎の疑問に対する魚心の答えは……。
「う~ん、自分でも、よくわからん。後悔? はしてないな。絵師の道に進んだのは、むしろ天命だと確信している。さすがに未練ではないと思うんだがなぁ」
という、なんとも曖昧で気の抜けたものであった。
おそらくはこれが正直な心情なのであろう。
人間、自分のことは自分が一番よくわかっている。
なんていうのは、幻想だ。そして人間はみな、こんなものなのであろう。
◇
松林の奥で待っていたのは、七人の男たち。
人相風体はまちまちだ。町人、鳶職、浪人、ぼて振り、どこぞの手代、駕籠かき、わりと身形が整った侍……、一見するとどこにでもいる男たち。でも、揃いも揃って目の奥に剣呑な気配を隠し持っている。上手く誤魔化しているけれども、薄っすらとまとう気配に混じる独特の凄味は、道を踏み外した者、人を殺したことがある者のみが、得ることが可能なそれであった。
そんな男たちに囲まれ、刃物を突きつけられ、震えていたのは高島屋の奥方とおもわれる女性である。自分たちの正体を知られぬためなのか、頭からすっぽり羽織をかぶせられ、目隠しをされていた。
その様子を藤士郎は木の陰に隠れて、盗み見ていた。
魚心は男たちの前へとひとり進んでいく。
すると町人風の若者が言った。
「おっと、そこで止まりな魚心さん。うん? ひとりか。あのひょろっちい狐面野郎はどうした」
「あー、金の切れ目が縁の切れ目ってな。それにこれ以上の面倒事はごめんだと、ついに愛想を尽かされた」
「ふーん、愛想を尽かされた、ねえ。まぁ、いいだろう」
町人風の若者が、懐より取り出した匕首を抜く。
ぎらりと光る切っ先を魚心に突きつけ、町人風の若者はにやりと残忍な笑みを浮かべた。
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