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其の二百八 接触
しおりを挟む高島屋で何かが起こっている。
だが、魚心や藤士郎がのこのこ訪ねて、わけと問うたところで相手にされるわけもなく……。
「はて、どうしたものかしらん」
藤士郎は途方に暮れる。
これがその辺の茶屋や店であれば、女中や丁稚に声をかけて聞き出すことも可能であろうが、高島屋ほどの老舗ともなれば店の者らはみな口が固い。おいそれとは内情を吐露しないだろう。
だからとて手をこまねていては、時間ばかりが無為に過ぎてしまう。ならばいっそのこと南町奉行所に出向いて、定廻り同心をしている近藤左馬之助を頼るべきか。
けれども、その時のことであった。
「おや、そこにいるのは藤士郎さんじゃありませんか」
声をかけてきたのは書物問屋の銀花堂の若だんなであった。
たまさか、所用からの帰り道に通りがかったとのこと。
しかし藤士郎にとっては天の助けである。
かくかくしかじか、障りのない程度に事情を説明して、「ちょっと探ってくれないか?」と頼めば、若だんなは快諾してくれた。
若だんなは、さっそく高島屋の暖簾をくぐる。大店とまではいかずとも、店を預かる立場ゆえに慣れたもの、老舗に臆することなく入っていった。
待つことしばし。
出てきた若だんなが報せてくれたところによれば、高島屋の奥方が、「少し出てきます」と言い残し、供も連れずに出かけたまま、かれこれ二刻ほども経つというのに、帰ってこないという。
そんなことは始めてのことにて、「ひょっとしたら、何か悪いことにでも巻き込まれたのでは……」と主人がたいそう気を揉んでおり、店の者らに周辺を探させているといった次第であった。
それを聞いて、魚心と藤士郎は顔を見合わせる。
大店の奥方がひとり出かけるなんて、おかしな話である。
もしかしたら、もしかするかも。
津田屋重次郎こと饕餮(とうてつ)が言っていたのは、このことであったのか。
消えた奥方は、いまどこに?
◇
あいにくと奥方の居所を知る術を魚心も藤士郎も持っていない。
でも、それに頭を悩ます必要はなかった。
若だんなが去ったあと、ふたりして「どうしたものやら」とない知恵を絞っていたときのことである。
「うん?」
物陰で額を合わせていたふたりであったが、魚心の肩越しに藤士郎が目に止めたのは、自分たちと同じように、高島屋の様子を隠れて伺っている存在である。
一見すると、着流しが粋でいなせな若者といった感じの男だが、ときおり見せる目つきが鋭い。刺すような視線にて、店の人の出入りに目を光らせている。堅気じゃない。
その目……というか、その剣呑さが垣間見える目つきに藤士郎は覚えがあった。
「あれは……、ひょっとしてあばら家で襲ってきた連中の一味か。だとすれば、高島屋を見張っているのか」
連中の目的はあくまで魚心を殺害することである。元女房をさらって人質にし、彼を誘き出す算段だとすれば、問題はどうやってそれを魚心に教えるのかということ。
下手に高島屋に投げ文なんぞをすれば、たちまち「かどわかしだ!」と大騒ぎになる。
かといって、魚心は逃げ回っており、居所は掴めない。
よしんば掴めていたとて、吉原にて大黒屋の貴祢太夫の庇護のもとだとわかれば、おいそれとは手出しができないだろう。
だからこそ、ああやって獲物が近寄ってくるのを待っているのか……。
とはいえ、さすがに白昼の天下の往来でことを起こす気はないであろう。
とどのつまり、あれは見張り兼つなぎ役ということになる。
そうにらんだ藤士郎は、魚心に「そこで隠れているように」と告げて、ひとりその若者へと近づいていく。
すると、向こうも藤士郎に気がついて近寄ってきた。
双方ともにさりげなく行き交う風を装っての接触、横を通り過ぎる瞬間、若者がぼそりと言った。
「元女房は預かっている。浅草寺の五重塔裏の林に奴を連れてこい。さもないと」
伝言を受け取った藤士郎はこくりとうなづき、そのまますれちがう。
三間ほど進んでから、ちらりとうしろを見れば、殺し屋一味の若者は早くも人混みに紛れて失せていた。
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