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其の二百六 切れぬ縁
しおりを挟む「それは、ちょっと迷惑なので、やめて欲しいかなぁ……なんて」
おずおず挙手して藤士郎が言えば、ぐりっと首だけを動かした饕餮が「何故?」と笑顔を向けてくる。
かくかくしかじか、狐侍が自分の抱く懸念を口にすれば、饕餮はにいと口元を歪め言った。
「おや、自分たちは散々にいろんなものの格付を、好きに行っているというのに、我にはするな、我慢せよと。いやはや、それはまたずいぶんと身勝手ですなぁ」
ちょろりとのぞいた饕餮の赤い舌、その先が二つに割れていた。
言ってることは正しい。でも、根っこの部分が正しくない。
底に乱を起こそうという、邪悪な思惑が透けて見えている。
なのに、正論ゆえに言い返せない。
それがわかっていての、この物言い。
饕餮になぶられ、藤士郎がぐうの音もでない。
それでもこればかりは見すごせない。だから、なおも言い募ろうとしたところで、助け船を出したのは貴祢太夫であった。
「やめなんし、年寄りがあまり若いのをいじめるもんではありんせん」
神がぴしゃりと言えば、たちまち手をついて頭を下げては、饕餮は殊勝な態度をとる。
だが、藤士郎の位置からだと、俯いている饕餮の横顔がわずかに見えた。
そこには、せせら笑いが張りついている。
いちおう頭を下げては従うふりをみせたものの、ただのひと言も「やらない」とは口にしていない。
とりあえず当面は控えるが、それはあくまでも一時的なことか。
もっと寿命も気も人間とは比べものにならないくらいに長い妖のことだから、それが藤士郎の生きているうちなのか、何代もあとのことになるのかは、ちょいとわからない。
◇
話は概ね済んだ。
妖怪骨牌にかんしては、いまさら販売を止めたら、かえって値の高騰をまねき、よりいっそうの混乱を引き起こす。
そこで逆に、もっと売りさばいて、価値を暴落させるということで話はまとまった。
妖怪番付については、しばらく保留ということになった。
これは藤士郎の懇願を受けてというわけではない。
饕餮といえども、貧乏神と正面切って対決することは望んでいなかったからだ。
用件が終わり、腰を浮かしかけた饕餮こと津田屋重次郎であったが、「あっ、そうでした」と口にしたのが、魚心にかかわる事柄であった。
「そうそう、お会いしたら、すぐにお伝えせねばとおもっていたのに、こんな仕儀になってうっかりしていました。魚心さん、あなたの元お内儀と娘さん、ちょっとやっかいなことに巻き込まれているかもしれませんよ」
魚心が絵師となる前、かつて佐々木織部と名乗っていた頃に捨てた妻子。
とっくに離縁が成立しており、いまでは元妻は大店の後妻におさまって、娘も立派に育って、つい先日、商いでつきあいのある店に輿入れしたばかり。
その祝いに特注品の妖怪骨牌を魚心は娘に送ったのだけれども……。
どうやらそのせいで、魚心をつけ狙う者たちに、彼女たちの存在がばれてしまったらしい。
そのうちの一派、柳生一門とは別の市井の殺し屋たちが、元妻子に目をつけたようである。とっくに切れていたとおもった縁が、切れていないらしい。
ならば、さらって魚心をおびき寄せるか、人質にして脅すか。
なんにせよ、ろくなことにはならないであろう。
そんな大切な話を去り際に、饕餮はさらっと口にした。
立つ鳥、あとをにごしまくりである。
とたんに、がばっと立ち上がった魚心は、藤士郎が止めるのも聞かないで、さっさと座敷から出て行ってしまった。
あわてて藤士郎もこれを追う。
廊下に出る際に、ちらりと座敷内を横目に見れば、貴祢太夫は苦々しい顔をしており、饕餮はにちゃりとしたとても厭らしい笑みを浮かべていた。
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