狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百一 半月の陣、浜の白砂

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 吹けば飛ぶような掘っ立て小屋である。
 そんな場所にみずから飛び込んだ魚心に、藤士郎は「ちょ、ちょっと! わざわざこんな所に入りこんで、いったいなにを……」と慌てる。
 ここは死地、まさに袋のネズミであった。
 だというのに魚心はにへらと余裕の笑みにて「まぁ、まかせておけ。だから九坂殿はしばらく時間稼ぎをしてくれ」と言った。
 どうやら腹案があるらしい。
 しかしどうにも厭な笑みである。絶対にろくなことを考えちゃいない。
 でも、この窮地を脱するには他にいい考えもないことから、藤士郎はしぶしぶそれに乗っかった。

 小屋の入り口を守り、藤士郎は柳生一門を迎える。
 等間隔にて半月の陣を敷き、こちらを包囲する編み笠姿の男たち。
 一見すると、どさくさにまぎれて間を通り抜けられそう。でも、そうじゃない。この間は、ちょうど両隣同士の刀がぶつからずに、思う様に振れるだけの距離なのだ。うっかり踏み込もうならば、たちまち左右から切り刻まれる。
 個々の技量もさることなら、集団戦も巧い。
 藤士郎はちらりと背後を見て、小屋の奥で何やらごそごそしている魚心を確認してから、とりあえず正面の男にひと当たりしようとした。
 が、その時のことである。相手がすっすっすっ、すり足にて三歩ほど下がる。

「?……、っ!」

 その動きに合わせて、より深く踏み込むことになった藤士郎であったが、その行動の意味を知った時には、まんまと敵勢の術中にはまっていた。
 並んでいるうちの一人が下がる。これによって生じた窪み、そこへまんまと誘い込まれた獲物を、左右から挟撃が襲う。そして獲物が慌てて逃れようとしたところで、正面の者もずいと前へ討って出る。
 三方から剣閃がほぼ同時に迫る。
 それもただ斬りにくるのではない。ひとりが突きを、ひとりが袈裟がけに、ひとりが足を薙ごうと、各々がちがう箇所を刈りにくる!
 どれかひとつでも下手に受けたら、たちまち残りの二刃の餌食となる。

「くっ」

 藤士郎は下がるしかなかった。
 けれども、逃げ切れたのは、ひょろ長い寂れ柳に例えられる藤士郎の長身痩躯があったからこそ。長い四肢、一歩が大きく、おかげで別の手の者によって閉じられかけていた背後から脱することができた。
 攻撃は最大の防御であるとともに、隙も産む。
 四人が動いたことにより陣が乱れた。そこへすかさず割り込もうと目論む藤士郎であったが、たやすく阻止された。
 半月の陣に生じた隙を、他の者らが埋めて、すぐになかったことにされてしまったのだ。
 まるで浜辺にあるさらさらの白砂のように、掘ったはしから穴が埋まっていく。
 そしてあっという間に元通りになる。
 せめて鍔迫り合いなり、組み合いとなれれば、倒し切ることも可能だが、それすらもさせてもらえない。

 そうなのだ。
 小太刀片手に戦っているというのに、ちっとも刃同士がぶつからない。
 斬って下がる、避けて斬る、突いて引くといった感じて、斬り結びが発生しない。
 泥試合に持ち込んでやろうとしても、かわされる。柳生新陰流といえば柔術の体さばきなどの術理をも、その体系に取り込んでいる。素手で相手の刀を取る「無刀取り」なんて荒業もあることから、剣術抜きにしても強い。
 手ぬかりがない。抜け目がない。そつのない。

「徹底している……、なんてやりにくい相手なんだろう。いや、だからこそ、いけるか?」

 苦戦し通りの藤士郎、ここで妙案というか奇策を思いついた。
 じりじりと後退して近寄ったのは、掘っ立て小屋の軒先に放置されてあった水瓶である。縁が欠けており、中には濁った雨水が溜まっている。
 そこへ手を突っ込んだ藤士郎は、じゃぶじゃぶとやったのは自分の懐にあった手拭いであった。
 奇異な行動に柳生の者どもが、怪訝そうな表情を浮かべたところで、唐突に藤士郎は突進を敢行した。
 だがそれでは先の二の舞になるだけのこと。
 まるで最初のやり取りをなぞるかのような展開となった。
 が、あれほど見事な連携を披露していた柳生一門の動きが一瞬固まる。
 よもや、よもや、この局面で藤士郎が「無刀取り」をやってのけ、相手のお株を奪ったからだ。
 ただし、そこは伯天流の藤士郎なりの工夫を添えてあった。
 さすがにぶっつけ本番、かつ達人相手に素手でやってのけることは不可能であったので、使ったのが濡れた手拭いであった。
 水を吸った布は独特の粘りと強度を宿す。
 それで迫る刃を受け止めて、からめ取ってしまったのだ。
 さすがにこれは予想外であったらしく、わずかながらも相手に動揺が走る。そこをすかさず藤士郎は蹴っ飛ばした。
 長い足を突き出すようにしての前蹴り。まともに喰らった相手の身が後方へと吹き飛ぶ。それがさらにうしろにいた別の者をも巻き込んで、これによりついに半月の陣が崩れた。
 するとちょうどその時、魚心の呼ぶ声が聞こえた。

「九坂殿、こっちへ」

 藤士郎は踵を返し、小屋の中へと向かった。


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