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其の二百 天下の剣
しおりを挟む裏柳生の忍びの策にはまり、まんまと川原に誘い出された藤士郎と魚心。
待ちかまえていたのは編み笠姿の侍たち。
柳生の剣は政治剣法? しょせんはお遊戯の道場剣法?
とんでもない!
いざ実物を目の前にしたら、そんなのは嘘っぱちだということがひと目でわかった。
二十名の剣客たちはみな手練れ揃い。それこそ各々が道場を構え一門を率いていたとて不思議ではないほどの剣腕の持ち主たち。
以前に八王子の狐騒動のおりに戦った、小木野道場の連中とはだんちがいである。
この囲み……とてもではないが無事には切り抜けられぬ。
藤士郎の背中に冷たい汗がたらりと流れて落ちた。
だというのに魚心は変わらず。「ほうほう、これはまたずいぶんと張り込んでくれたもんだ。いやはや、じつはわりと暇なのか? 将軍家指南役というのは」なんぞといらぬことを言う。
そのせいで、びきりとその場の空気が凍った。
たぶん当人に悪気はなかったのであろうが、言われた側は侮蔑と捉えたようで、わめき散らしこそはしないものの、静かな怒気が男たちから発せられ、一帯に満ち充ちていく。
それは何の前触れもなく突き入れられた。
風が吹いたとおもったら横合いからのびてきた切っ先。
あまりにも静かで、あまりにも平然と。流れる水のように、すぃと迫ったもので藤士郎は危うくぼんやり見逃すところであった。
とっさに上半身をひねりかわせたのは、藤士郎が長身痩躯であったから。厚みのある身体であれば、きっと肉に刃が突き立っていたことであろう。
目の前を通り過ぎる白刃。美しい刃紋を持つ剣であった。名工の業物であろうか。その磨き込まれた刀身に薄ぼんやりと映っていたのは、己と自分の背後から迫る別の敵影。
かとおもえば、その敵影が消えた!
いや、消えたとおもったのは突き入れられた刀身が縦から横へと変化したから。
突きからの戻り、返す刀にての撫で斬りへと変化し、狙うは藤士郎の首。
喉元を掻き切らんとする刃が触れる寸前、藤士郎はのけぞるのではなくて、逆に前へと出る。
踏み込みがてら頭を下げて、白刃の下を潜った。
ちっと音がして髪の毛が何本か持っていかれるも、ぎりぎりかわす。
これにより背後からの襲撃もしのいだものの、息つく間もなく別の者が襲いかかってくる。
上段からの切り下ろし、からの切り上げ。
天から地へと落ち、また天へと。切っ先が軽やかに翻っては疾駆し、目には見えない空気を斬る!
鋭い斬撃。危うく鼻を持っていかれそうになって、藤士郎はひやり。
敵勢は一斉には襲ってこない。乱戦となれば藤士郎にもやれることがいろいろとあるのだが……。まるで詰将棋のように一手、また一手、パチンパチンと豊富な手駒にてこちらを攻め立て追い詰める。
先ほど裏柳生がみせていた連携ともちがう、連闘とでも言おうか。
各々が十全に動けるよう空間を確保しつつ、順番に前に出ては獲物を追い詰めていく。
それを淡々と淡々とくり返す。
そこに武辺者の熱は介在せず。どこまでも冷静で冷徹で無駄のない、遣い手の感情がほとんど垣間見えない冷たい剣。
「これが天下を支える柳生の剣……」
いざ刃を交えてみて、藤士郎は理解した。
どうして柳生新陰流が他流試合を禁じ、他とは交わらないのか、その意味を。
指南役の立場がどうとかではないのだ。余計な不純物をまぜないようにするための配慮。徹底して柳生という流派を門弟に刷り込み、純粋に育てるための処置が門前払い。
柳生の剣を学ぶ上で雑音は不要と判断したからこその拒絶。
それはある意味、藤士郎の伯天流と同じであった。
閑古鳥が鳴いているおんぼろ道場ゆえに、ほとんど一子相伝にてつむがれてきた伯天流。江戸剣術界からつまはじきにされているがゆえに、状況は柳生と似たり寄ったり。ゆえに意図せずして濃度を高めていくことになった。
それを意図して計画的かつ組織的に行ってきたのが柳生新陰流。
次第に追い詰められていく藤士郎と魚心。
その時、目についたのが川原にあった掘っ立て小屋。漁の道具などを入れておくためのものであろうが、何を思ったのか魚心が小屋へと向かって駆け出したもので、藤士郎もあわててそれを追った。
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