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其の百九十四 柳生新陰流
しおりを挟む柳生新陰流――。
戦国の世、上泉信綱(かみいずみのぶつな)が念流、陰流、香取神道流ら兵法三大源流を主にして、さまざまな諸流派を参考にして発展させたのが新陰流。これを伝授された柳生宗厳(やぎゅうむねよし)のもとでさらに精練され、ついには乱世を乗り切り、将軍家指南役となり徳川の世を支える一門にまでになった。
柳生新陰流は柔術の体さばきを取り入れており、素手で相手の刀を取る「無刀取り」がとみに有名。数多の天才剣士を輩出し隆盛を誇る。
だが立場がある身となったことで他流試合を禁じ、天下に轟く勇名とは裏腹にあまり表に出ることがなくなった。
そのせいか、口さがない者などは「政治剣法」とか「道場剣法」などと陰口を叩くも、これはやっかみの心情からであろう。
魚心(ぎょしん)という画号で活動している絵師。
もとは柳生新陰流で将来を嘱望されていたとなれば、かなりの高弟であったはず。しかも三十前後という剣客として一番油がのる時分に出奔したということは……。
「うわぁ、ひょっとして、とんでもないところに後ろ足で砂をかけちゃった、とか」
柳生一門の高弟とあれば引く手数多。どこぞの藩の指南役なり、家臣なり、あるいは江戸のお膝元での働きを求められてもおかしくない。
それらをすべてうっちゃっての遁走……方々に喧嘩を売ったようなもの。
「そりゃあ残された妻子も国元を出るよね」
藤士郎がうんうん独りごちていると、幽海より驚くべき情報がもたらされる。
「ふむ、でだな。その魚心なのだが、いま江戸におるぞ」
「えっ!」
魚心はいろいろとずれている変人。
このまま放置すれば、またぞろ元女房や娘らに迷惑をかけかねない。
ゆえに当人に手紙でも送って、しっかり言い含めてやろうと考えた幽海。その広い人脈と伝手を活かして居所を探してみたら、なんと江戸のとある長屋にて仮住まいをしているのがわかったという。
だから幽海が手紙を出そうとしていたところに、ちょうど藤士郎が訪ねてきた。
「どうせ会いに行くのじゃろう? ならばついでに文を届けてくれまいか」
頼まれた藤士郎は預けられた文を懐に、さっそく魚心がいるという長屋を訪ねてみたのだけれども……。
◇
まるで人気(ひとけ)のない幽霊長屋。
それもそのはず、老朽化にともない打ち壊しがすでに決まっているという。
よって住人らもとっくに退去ずみ。残るは魚心ただひとり。とはいえべつに居座っているわけではなくて、それを承知で期日を決めて借りているという。
「でも、どうしてこんな寂しいところをわざわざ……。やっぱり描く絵のせいなのかしらん」
魚心は幽霊や妖怪などの絵に定評がある。そのような絵を描くにはこのような雰囲気が必要なのかもしれない。
長屋の木戸の前で、あまりのぼろ具合に立ち尽くす藤士郎。自分の家の近所もたいがい寂れているが、さすがにこれには負ける。
などと失礼なことを考えつつ、そろそろ行こうかとしたのだが、その表情が厳しいものとなり急に駆け出した。
奥よりかすかに聞こえたのは剣戟音。
藤士郎が長屋の奥で目にしたのは、編み笠姿の侍の三人組が押し入っている場面。
襲われていたのは四十半ばとおもわれる総髪の男。真剣を抜いている三人を相手にして、無謀にも五寸ほどしかない棒の文鎮(ぶんちん)片手に応戦しているではないか。
あわやというところで駆けつけた藤士郎が「何をしている!」と一喝すれば、三人組のうちのひとりがすぐさまこちらに切りかかろうとするも、べつの者がその袖を引き無言のままに首を横に振る。かとおもえば三人組は一斉に部屋の奥を突っ切って、裏から出ていってしまった。
でも、置き土産として室内に投げ込まれた玉に藤士郎は「げっ!」
じじじと不吉な音を立てているのは、玉からぴろんとはみ出ている火縄……焙烙玉(ほうろくだま)!
藤士郎はあわてて総髪の男の襟首を引っ掴んで、表へと飛び出す。
直後に、かっと閃光が発生し爆発が起きた。
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