狐侍こんこんちき

月芝

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其の百九十三 変人

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 ひとしきり笑われてから、幽海のもとに持ち込まれたという妖怪骨牌を拝見させてもらう藤士郎。
 それは銀花堂の若だんなのところで見せてもらったのと同じ品であった。ただし箱がちがう。若だんなが持っていたのは、なんのへんてつもない無地の木箱に入っていたのだけれども、こちらは漆塗りの蒔絵(まきえ)が施された豪華な品。

「これは……最初っからこの箱に入っていたのでしょうか? 幽海さま」
「うむ。持ち込んだ者はそう言っていたな。それでいくら薄気味が悪かろうとも、捨てるのも燃やすのもためらわれ、うちに預けることにしたんだとか」
「へえ、それでこれを持ち込んだ人物というのは?」
「あぁ、それはちと明かせぬ。いろいろと事情が込み合っており憚(はばか)られるのでなぁ」

 芝増上寺にその人あり。博識で高名な幽海のところに品を持ち込んでいる時点で、その辺の市井の者ではない。よほどの大店の商人か、はたまた武家ということも。ならば外聞やらお家の事情、体面などもあるので、軽々しくは正体を明かせぬというのもわかる。
 だがしかし、明らかにえらい人、もしくは大切な人へと向けた特別な品。
 ということは出処がはっきりしているはず。貴祢太夫からの頼みを達成するのには是が非でも知りたいところ。
 ゆえに無理を承知で藤士郎はあれこれ言い募っては、どうにかして訊き出そうとする。
 ついには江戸で疫病神と貧乏神が大暴れするかもとまで言われては、さしもの幽海も「むむむ」と唸り、しぶしぶ重たい口を開いた。
 妖怪骨牌が持ち込まれた経緯を差し障りのない程度に、かいつまんで語ってくれたところによれば――。

  ◇

 さる藩の武士がいた。この者、剣の筋がたいそう良く、ゆくゆくはその道で名を成すと思われたのだが、いきなり出奔してしまった。
 その理由が「それがし、剣の道より絵の道をきわめたく」というもの。
 ずっと周囲には隠していたのだが、じつは小さい頃から絵が好きだったのである。しかし彼の家はやや古風にて「武士たるもの武芸あってこそ」という考え。ゆえに物心つく前から厳しく修行をつけられたのだが、そうしている間にも累積していくのは鬱屈した感情。強いられた我慢。その捌け口として、めきめき剣の腕が上達したのは皮肉な話であろう。けれどもいよいよ三十の歳を超えようかという時になって、ついに彼の我慢が限界を迎えることになった。そしてよもやの出奔。妻子を捨て、役職をも投げ出してひとり行ってしまったのである。
 夢を追いかけるといえば聞こえはいいが、無責任な話である。
 残された妻子はたまらない。それから主家も当然ながら怒った。男の実家も怒った。
 そして月日は流れて十数年後……。
 すべてを投げうってまで目指した絵の道にて、男はそこそこ成功を納めた。
 ただし、風景や動物や人物などの絵ではなくて、幽霊や妖怪という特殊な画題を扱う絵師として。
 夢中になって駆けてきた絵の道。
 いったん立ち止まって、ふとふり返ってみると思い出すのは郷里に残してきた妻子のこと。まことに身勝手にて「よし、呼び寄せよう」などと考えた。
 だがそうは問屋が卸さない。
 夫がやらかしたせいですっかり針のむしろ。周囲からは好奇の目を向けられ、夫の親族連中からは「おまえがちゃんと手綱を握っておらぬからだ!」と責めら詰られ、居づらくなった妻子は郷里を出て、親族の伝手を頼って江戸へと流れついていたのである。それにともなって出奔した夫に三行半を叩きつけた妻。とっくに離縁を成立させていた。

 元武家の女房で、夫に逃げられた身。
 それでも毅然と顔をあげて、幼子を抱えて懸命に働く女。そんな健気な女を見初めたのが、とある大店の主人。後妻として子どもともども貰い受けた。この主人は出来た人物にて連れ子を実の娘のように可愛がり、また父親という存在に餓えていた娘もまた彼を本当の父のように慕った。
 そして幸せな時間は過ぎて、ついに娘は嫁に行くことになった。

 こうなると立つ瀬がないのが絵師を志して出奔した女の前夫。
 とはいえ自業自得にて、いまさら文句を言えた義理じゃなし。またどの面さげて父娘の対面なんぞができようものか。それでも娘の晴れの門出は祝ってやりたい。
 ゆえに拵えた特注の妖怪骨牌を祝いの品として送ったのだけれども……。
 いきなり実父を名乗る者から、そんな怪しげな品を贈られた側はたいそう困惑した。
 挙句にはこの品を巡ってのいらぬ揉め事まで引き寄せる始末。

  ◇

「結婚祝いに妖怪骨牌って……。さすがにどうなんでしょうかねえ?」

 眉間にしわを寄せて首を傾げる藤士郎に幽海も苦笑い。

「まぁ、やることなすこと、いろいろとずれておる御仁なのであろうよ」

 世間ではそれを変人という。
 そしてその変人なのだが、いまでは魚心(ぎょしん)という画号を名乗っているらしいのだが、やっかいなのがその前身であった。

「その者、じつは柳生新陰流の遣い手でなぁ」

 ぼそりとつぶやいた幽海は、そこで口をつぐむ。
 柳生新陰流といえば将軍家指南役にして、その勇名は天下にあまねく轟いている一門。
 そんなところの関係者が絡んでいると知って、藤士郎はぎょっ!


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