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其の百九十二 笑い上戸
しおりを挟む女貧乏神から妖怪骨牌の出処を探って欲しいと頼まれた翌日のこと。
藤士郎は書物問屋の銀花堂に顔を出していた。
若だんなの林蔵が妖怪骨牌を手に入れた経緯を訊いて、そこから元を辿ろうと考えたのだが……。
「だよねえ……、そんな簡単に版元がわかったら、わざわざ若だんなや遊女のところから盗んだりしないか」
品物が世間で話題になり始めた頃に、いちはやく買い求めていた若だんな。人伝に手に入れたとのことなので、その筋をさかのぼってみたのだが、おもいのほかに人の数を経ており、江戸の西やら東、はては関八州やその外まで、方々を行ったりきたり。支離滅裂、複雑怪奇な流れを経て若だんなの手元へと届いており、とてもではないが個人で辿れるものではなかった。いや、たとえ南町奉行所の定廻り同心をしている近藤左馬之助とても、たやすく追えるものではない。なにせ藩境に預かりちがいなど、それらを超えるのにかかる手続きが煩雑となるゆえに。
いちおう左馬之助にも話を訊こうとしたのだが、あいにくとこちらは捕まらず。どうやらいくつも仕事を抱えているらしく、忙しく立ち回っているらしい。
というか、妖怪骨牌絡みの事件はしょせん窃盗である。殺しの一件以外でさほど本腰を入れて調べてはいない
「なるほど。貴祢太夫の言っていたことは本当だったみたいだね。たしかに誰かがうしろで糸をひいているっぽい。この入念さ……抜け荷をしていた連中なんぞよりも、よっぽど手強いよ」
手元に実物はなく、札の造りや筆使い、絵の出来から作者や職人を特定することもできない。
版元探しははやくも頓挫してしまった。
困った藤士郎は馴染みの茶屋でひと休みをしながら嘆息、どうしたものかしらんと思案中。
「う~ん、せめて実物があればなぁ。妖怪絵が巧みな者はかぎられているから、絵に詳しい者ならば、誰が書いたのかわかったかもしれないのに」
ぶつぶつ独り言、藤士郎がしかめっ面で団子をかじっていたら、そこを通りがかったのが巌然和尚。小僧を連れており出先からの帰りであった。
「なんじゃあ、あいかわらずしょぼくれた面をしおってからに」
いきなりのご挨拶にて、藤士郎の皿からひょいと団子を二本ぶん捕った巌然。一本は自分に、もう一本を小僧に渡す。
口をもごもごさせながら「うむ、美味かな。で、おぬしは何を悩んでおるのだ? 団子二本分ぐらいならば相談に乗ってやろうではないか」と巌然。
そこで藤士郎は、かくかくしかじか。厄介事に巻き込まれたことを吐露すると、巌然は「ほうほう」うなづきつつ「そうか、これもまた仏のお導きであろう」と言い出したもので、藤士郎は首を傾げた。
「いやな、その妖怪骨牌だが、ついさっき見かけたぞ」
「えっ! 本当ですか巌然さま。珍しくてなかなか手に入らないって話なのに」
「らしいな。だがそのせいで災いを運ぶらしく、これを不安がった者が幽海のところに持ち込んだのだ」
幽海は芝増上寺の高僧。博識な学者としても広く知られており、巌然和尚の兄弟弟子でもある。「書は叡智の結晶。知こそが力。これに勝るものなし!」を信条としている人物。
藤士郎とも面識があり、おもわぬところに伝手が転がっていたことに喜んだ藤士郎は、巌然に礼を述べ、さっそく幽海のもとを訪ねることにした。
◇
まんざら知らぬ仲でもないとはいえ、いきなりの訪問にもかかわらず快く応じてくれた幽海。
だが顔を合わせるなりいきなり「むむむ、これはいかん。なにやら女難の相が出ておるぞ」と言われて、藤士郎はどきり!
事実その通りにて、さすがの眼力。
これは下手に隠し立てしてもしようがないと、藤士郎が一切合切を白状すれば、幽海は腹を抱えて大笑い。
「あっはっはっはっ。いやはや、おまえさんの悪縁奇縁はすさまじい。ようも、こう次から次へと引き当てるものじゃ」
涙目で肩を震わす幽海に、藤士郎はぶすっと口を尖らせる。
そんな藤士郎の表情がさらにつぼに入ったらしく、幽海の笑い上戸はなかなかおさまらなかった。
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