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其の百九十一 貧乏神
しおりを挟む広い間口に異国情緒あふれる外観、四階建ての大黒屋。
藤士郎が通されたのは最上階の大広間。
「はぁ」藤士郎は嘆息。「ここだけでうちの道場よりもずっと大きいや」
そんな場所の下座にぽつんとひとりきり、待つことしばし。
上座に近い襖がすっと開いて姿をみせた大輪の花。
「おいでなんし」
しっとりした口調で歓迎してくれたのは、貴祢太夫(たかねだゆう)。
首から上で立派な家が一軒建つといわれる豪華な髪の装飾がとみに知られる花魁。だが、いまはべっ甲の簪(かんざし)を二本差しているだけ。服装も控え目にて、ふだん使いの褻(け)の衣装。ちなみに花魁道中やら客の応対をするときに派手に着飾るのを、晴れの衣装という。
藤士郎は妓楼の正式な客ではない。あくまで私事での訪問ゆえに、身だしなみも最低限ということなのであろう。もっともそれでも全身からにじみでる格と品が損なわれることはない。いや、むしろ外見を押さえている分だけ中身が逆に際立つ。
優れた容姿は言わずもがな。琴、三味線、歌、茶道などの芸事の上手は当たり前、句や囲碁なども嗜み、近頃流行の戯作ばかりでなく古典の類にも精通し、筆をとれば流麗かつ蠱惑的な文をすらすらと……。
知性と教養を兼ね備え、二千を超えるという遊女たちの頂点に君臨する花魁。
こんな華やかな場所にはとんと縁がない藤士郎。もちろん実物を目にするのは初めてにて、悠然と微笑んでいる貫禄を前にして、目のやり場に困り恐縮しきり。猫背をいっそう丸くする。
「しかし……」
ちらりと上座の人物を盗み見しながら、藤士郎はどうしても信じられない。
「これが貧乏神だなんて」
なにせ貧乏神といえば、頬は痩せこけ、顔色は青ざめ、骨と皮ばかりにて、ぼろをまとった薄汚れた陰気な老人。行く先々で嫌われ疎まれる厄介者。
という姿が思い浮かぶのだが、目の前の人物はまるで真逆である。むしろ福の神とでもいわれた方が、よほど納得がいく。実際に彼女が来てから大黒屋は富貴に恵まれ、一躍吉原でも随一の名店となっている。
するとそんな想いが顔に出ていたのであろうか。
くすりと妖艶な笑みにて貴祢太夫が言った。
「ええ、わっちは正真正銘、本物の貧乏神でありんす」
家に憑いては住人らに様々な厄災をもたらし、金運を奪い、財産を食いつぶし、その家を困窮させる迷惑な神さま。でも吉凶は表裏一体にて、試練を超えると貧乏神が転じて福の神になるなんて話もあるが真偽は不明。
だがそんな貧乏神像を覆したのが貴祢太夫。
これまでのやり方ではいささかまわりくどいし、時間と手間もかかる。
そこで自身が花魁となり、金持ちの男どもを手玉にとっては、富を奪うことにしたという。
彼女の吐息ひとつで男たちは一喜一憂し、たったひと晩で数百、数千両を右から左へと転がす。
ないところから絞り取るのではなく、あるところからごっそり頂戴する。
しかも相手の方から足繁く通っては喜んで貢いでくれるのだから、「ほーっほっほっ」と高笑いが止まらない。
そのようなことを当人の口から語られて、藤士郎はぞぞぞと薄ら寒くなった。
◇
父平蔵から頼まれた貧乏神へのご機嫌伺いはつつがなくすんだ。
けれでも藤士郎には新たな厄介事が舞い込む。
貴祢太夫から「わかりました。いささか業腹ですが、疫病神のことはなるべく穏便にすませましょう。でもそのかわりに……」と頼まれたのが「妖怪骨牌(ようかいかるた)の出処を探って欲しい」ということ。
ここにきて、また妖怪骨牌?
小首を傾げる藤士郎だが、理由を聞いて「あぁ」と納得する。
妖怪骨牌は巷で人気に火がついて、いまではちょっとしたお宝扱い。そのせいで窃盗事件なんぞも起きており、たまさか品を所有していた銀花堂の若だんなも奇禍に見舞われた。でもってついには人死も起きたと近藤左馬之助も言っていたが、その犠牲となったのが吉原の遊女であったのだ。
女の気を惹こうと男が持ち込んだ品を、別の男が殺して奪った。下手人はすでに捕まっているものの、もとはと言えばそんな珍妙な品を世に流行させた奴が悪い。
いかに他店のこととはいえ「自分の庭先で勝手をされるのは、あんまり面白くない」と貴祢太夫。
「流行の仕方がどうにも不自然でして。この流行、たぶん何者かによって意図的に作り出されたものでしょう。わっちの方でも当たってみますが、いかんせん苦界に身を置く不自由な立場ですので」
ようは使いっぱしりとして、自分のかわりに外で汗を流せということ。
腐っても相手は神さま。狐侍に否という度胸はない。
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