狐侍こんこんちき

月芝

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其の百八十七 妖怪骨牌

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 どうにか狂骨騒動を鎮めて、江戸へと戻った巌然と九坂藤士郎。
 ひと息つきたいところではあったが、彼らが留守にしている間にもしっかり時間は流れているわけで……。
 待っていたのは留守にしていた間に溜まっていた仕事の山。
 巌然は知念寺を預かるという立場ゆえに。
 藤士郎はおんぼろ道場を背負う立場ゆえに。
 おかげで旅の垢をゆっくり落とす暇もありゃしない。

  ◇

 期日が迫っていた写本仕事。それを急ぎやっつけて、書物問屋の銀花堂へと仕上がった品を持ち込んだ藤士郎。
 今回の仕事は少し変わっており、写したのは源氏物語なのだが、全編に平仮名で文字も大きめにという注文が入っていた。とはいえ巻数が多いので最初の巻だけ。それで依頼主が気に入れば続きもお願いしたいとのこと。
 源氏物語はこれまでにも何度か写本をしているので、さほど労せずして注文をこなせた藤士郎。狂骨のせいでぎりぎりになってしまったが、どうにか納入できてほっとしていると、銀花堂の若だんなから「やぁ、藤士郎さん。よければ奥でお茶でもどう?」と誘われた。

 銀花堂の若だんな、林蔵さん。
 あまり表には出てこない無精な主人の父新右衛門にかわって、まだ若いながらも店の方をまかされている如才のない人物。親子して本狂いなのは世間に広くしられており、類は友を呼ぶではないが、お店には本好きの馴染み客が良書を求めて足を運ぶもので、店はいつも賑わっている。
 藤士郎と林蔵。仕事のやりとりを通じて何度も顔を合わせているうちに、歳が近いということもありすっかり意気投合。いまでは気安い間柄となっており、近藤左馬之助ともども数少ない藤士郎の理解者でもある。

 誘われるままにお邪魔した藤士郎。茶飲み話がてら話題になったのが、近頃、江戸で流行しているという品について。
 江戸っ子は新し物好きにて、商いをしているがゆえに、つねにその辺りの情報には目を光らせている若だんな。さっそくその品を手に入れた。

「へぇ、これが……。しばらく江戸を離れていた間に、またみょうちきりんな物が流行ったもんですねえ」
「ええ、ですがよく出来てるでしょう?」
「それはたしかに」

 藤士郎が手に取り感心していたのは一枚の絵札。
 手のひらに納まるぐらいの大きさにて、絵と文字が書かれてある。
 巧妙な絵筆にて描かれてあるのは、おどろおどろしい怪異の絵。読み札の文字はその怪異の説明文。
 それは妖怪骨牌(ようかいかるた)であった。
 百人一首やことわざなどの品が一般的で、お化けを扱った品も以前からあったが、この妖怪骨牌は、子ども向けというよりも大人の好事家が蒐集したがるような凝った作り。
 江戸っ子は奇談や怪談の類とかも大好きにて、よく集まっては百物語の会なんぞを開いたりもしている。大店の店主などが主催する会では、語りの達者な噺家を招き、かつ肝試しの要素を取り入れたり、御膳を振る舞ったりと、趣向を凝らしてはあの手この手で客を愉しませようとしたり。

 この妖怪骨牌は似たような品と比べても、出来が頭ふたつ分ぐらい飛び抜けている。
 頭から順繰りに絵札を手にとってはしげしげ眺めていた藤士郎。だがその手がぴたりととまったのは、「き」の絵札のところ。
 描かれていたのは有翼の黒銀虎の窮奇(きゅうき)。
 九坂家の居候であるでっぷり猫の銅鑼の正体であり、かつて古代の大陸にて悪名を轟かせた四体の大妖のうちのひとつ。いまの姿からは想像もつかないけれども、あれでもかつては四凶と呼ばれ恐れられた存在。
 とはいえ、それはあくまで海の向こうでの話。
 日ノ本は江戸に根をおろしてからは、まぁ、だらだら過ごしている。
 そんな大妖が描かれていることに藤士郎は「うん?」と首をひねったのである。
 他の絵札はみな、わりと馴染みのある妖怪ばかりだというのに……。
 藤士郎が気になった札は他にもあった。
 それは「と」の絵札。
 饕餮(とうてつ)、知識、財、この世のあらゆるものをひたすら貪り食らう、貪欲を象徴する魔物。
 これまた四凶が一角であるが、江戸では馴染みのない存在。それに不思議なのが、この絵札には絵が書かれていないこと。

「これは描き損じ……ではなさそうですね」
「ええ、そうなんですよ、藤士郎さん。その札はわざとらしいです。ですが何も描かれていないからこそかえって際立ち妄想が膨らみ、興味もそそられる、かつ不気味でもある。それがまた面白いと評判になっておりましてね」

 窮奇と饕餮。
 若だんなの話しを聞き流しながら、藤士郎はこの奇妙な符合にぞわり、得も言われぬ感覚に襲われていた。


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