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其の百八十四 鎮魂
しおりを挟む「ねえ、巌然さま」
「なんだ、藤士郎」
「あんな秘術があるんだったら、最初っからやればよかったんじゃないんですか?」
「……はぁ、それができたら誰も苦労なんぞしておらんわ」
「?」
「おまえだって先祖や知己の仏前に手を合わせるのと、たいして付き合いのない赤の他人とでは気の入れようがちがうであろう。それと同じよ」
漠然と読んだお経と、相手のことを想って読んだお経、おのずと差が生じる。
ましてやそれが法力を持つ僧侶となればなおのこと。
ゆえに狂骨について知る必要があった。少しでも深く理解する必要があった。よって事前に狂骨となった英舜について調べられるだけ調べなければならなかった。
巌然にいわれて「なるほど」と藤士郎も納得する。
そんな巌然だが、いまは小谷村の村長宅にて養生中。
どうにか狂骨を退治し村を救うことには成功するも、最後の対決のときに負った霊障のせいだ。
戦いのあと、丘の上に駆けつけた藤士郎が発見した時、巌然の全身はまるで染みだらけの手拭いのようであった。黒染みでまだら模様にて、ぐったりして上体も起こせず、口を利くのもままならぬほど。
これにはさすがの藤士郎も慌てたものである。
が、それも二日ほど経てばご覧の通り。気力の回復にともなって自浄能力も高まり、もともと頑強であった肉体もみるみる回復していく。
だがそれは歩く仁王像との異名を持つほどに鍛錬を重ねた巌然なればのこと。これがもしも並みの僧、もしくは一般の人間であればずるずる消耗を強いられ、そのまま……ということも。
「今回はいろいろと運がよかった」
しみじみ漏らす巌然。
小谷村が抱える事情ゆえに発生した狂骨だが、その特異な環境ゆえに人の出入りが極端に少なく、かつ人別帳などの記録が残っていた。これがもしも別の場所、江戸などで発生していたら、いったいどれほどの魔に育ち、被害が拡大したことか。
「狂骨……じつにやっかいな相手でしたね」
「あぁ、危ういところであったよ。なにせあの時点で亡者を呼び寄せる力を持っていたからな。もう少し対処が遅れていたら、この世に地獄を顕現していたかもしれん」
苦戦を強いられた鎧武者の古強者。戦国の世を生きた亡者の軍勢が進軍する光景を想像して、藤士郎はぶるると肩を震わせた。
◇
起きられるようになった巌然は、養生しながら筆をとる。村長の許可をもらって襖(ふすま)にさらさらと書き上げたのは観音菩薩の墨絵。ごつい見た目に反して巌然の文字は流麗にて、じつは絵も上手い。
それを横目に縁側で、猫背の身をいっそう丸めて彫り物をしていたのは藤士郎。巌然に命じられて仏像を彫っていたのである。家計を助けるためにいろんな仕事をこなしてきた藤士郎は小器用にて、さすがに本職には適わぬものの素人にしてはそこそこ。
ではなぜ、こんなことをしているのかというと小谷村のことを考えて。
この地には寺がない。衆生を慰撫すべき僧侶もいない。それはここがかつての流刑地にて、過去の因習に縛られているから。しかし今回の騒動で村人たちはたいそう傷ついた。
この悲しみを放置すれば、またぞろ第二の狂骨を呼び寄せかねない。
それを鎮めるための品がこのふたつ。藤士郎が彫った仏像の仕上げに、巌然がひと彫りして法力を注ぐ。加えて村境にあった石地蔵たちの修繕も行う。
「村の者にとって、せめてもの慰めになればよいが……」
巌然の温情に、村長をはじめとした村人らは涙を流して感謝する。
そしてすべてをやり終えた七日後、藤士郎たちはみなに見送られながら小谷村を出立し、江戸への帰路についた。
村と外界を繋ぐ峠にて立ち止まりふり返れば、一望できる小谷村。
きた時には暗雲垂れ込め、異様な陰気に覆われていたものであったが、いまはそれが失せている。とはいえ荒涼とした景色はそのままであるが……。
いつの日にかこの地にも明るい陽光が降り注ぐことを願いつつ、藤士郎はこの地をあとにした。
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