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其の百八十 古強者
しおりを挟む藤士郎がこれまで戦った相手の中で槍の名手といえば、猫又騒動のおりに江戸の加賀藩邸にて対峙した大槻兼山(おおつきけんざん)。齢六十を超える老骨ながらも、藩内において並ぶ者なし。忠義一徹にて、殿からは「武仙候」との愛称を与えられるほどに信任厚き人物。五尺半ほどの長さの白木の棒。これに千枚通しのような鋭い突端をつけただけという独特な形状をした槍から繰り出される武芸の数々は、凄まじいのひと言。
だが、いま目の前に立つ鎧武者の亡者は大槻兼山とはちがう凄味を感じさせる相手。
「これが本当の武士(もののふ)……」
戦国の世、命の価値がずっともっと軽く、武士は死ぬのが当たり前。
そんな時代から蘇った古強者(ふるつわもの)。
ごくりと唾を呑み込み、額から垂れた冷や汗を藤士郎は拭う。
が、次の瞬間!
眼前に迫っていたのは十文字槍の切っ先。二丈ほどもある黒塗りの長槍。戦国時代では一般的な長さながらも、それを軽々と扱いかつ切っ先を狙いあやまたず突き入れる。しかも重たい甲冑を身に着け、大振りな十文字の穂先を持つ槍身で。
重たいがゆえに速度こそはないが、そのひと突きは非常に鋭い。なまじ動きが視えているがゆえに、圧力を受けて、ともすれば穂先に乗った殺気に絡みとられる。
「――っ!」
とっさにかがんでかわした藤士郎、小太刀と槍、間合いに関しては両極にある武器同士の戦い。藤士郎は相手の懐に入るべく動く。長身痩躯にて一歩の踏み込みが深い藤士郎は、低い姿勢のままでひと息に接敵しようとする。けれども刹那、背後から迫る剣呑な気配を感じて、前ではなくて横へと跳んだ。
直後、さっきまで藤士郎の首があった辺りを疾駆したのは十文字の穂先の横刃。鎧武者が手元にて槍身を戻したことによる返しの刃。首を引っかけるようにして襲いかかってきたそれをかろうじてかわした藤士郎。だが三尺ほど横っ飛びをし、足が地面につくかいなかというところで、もの凄い衝撃に襲われ吹き飛ばされる。
ぶぅんと唸ったのは十文字槍、槍身による横殴り。
槍という武具、つい突きにばかり目がいきがちだが、より実戦的な使い方は殴打にこそある。刺突も脅威だが、しなる槍身での打撃は想像以上に重い。
どうにか二刀の小太刀にて受け直撃こそは避けたものの、藤士郎は地面に横倒しとなって受け身もろくにとれなかった。
ふらつきながらも立ち上がろうとする藤士郎。そこへ振り下ろされたのは槍の殴打による追撃。
藤士郎は転がってかわし、どうにか体勢を整えたところで仕切り直し。
だがしかし……。
「うっ、刃が欠けて刀身にひびが入っている」
損傷したのは巌然より借り受けた守り刀。
愛刀の鳥丸は頑丈さが取り柄のような武骨な小太刀なので、鎧武者の槍を受けてもぴんしゃんしているが、守り方の方はそうはいかなかったらしい。
巌然の法力が込められ亡者相手の切り札となる守り刀。この局面で失うのはまずい。だからいったん鞘に戻した藤士郎。一刀となって鎧武者と対峙する。
ふたたび先手をとったのは鎧武者。
槍の穂先が閃く。刺突が当たる寸前に変化、横刃が翼のようにはためき、藤士郎を惑わしその身を切り刻まんとする。
後ろに跳び退れば、ぐんとのびてくる槍。
横へとかわせば長柄の殴打。
受けることは悪手、衝撃で吹き飛ばされ、どうにか猛攻を掻い潜って長柄にとりつけば、返しの刃が背後から迫る。
相手までの二丈の距離がとてつもなく遠い。
そこで藤士郎がとった行動は、周囲にいる他の亡者の群れにまぎれ込むこと。
これにより相手の槍が自由に動けなくなった隙を狙う。だがそれはみずから檻に入るようなもの。一歩間違えれば自分の身動きがとれなくなって進退窮まる。
だがそれでも藤士郎は死地にも等しい場所へとみずから飛び込んだ。
それすなわち身命を惜しんでいては勝てない相手だということ。
亡者の群れの中を縫うように駆ける狐侍。死肉の盾の陰から好機が訪れるのを待つ。
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