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其の百七十七 黒い骸骨
しおりを挟む枯れ井戸から聞こえていたうめき声がしなくなった。
朝が来て狂骨があちら側へと帰ったからだ。
にもかかわらず巌然はすぐに祈祷を止めない。お陽さまが完全に顔を出すまでそれは続けられた。
一晩中真言を唱えていたので、さすがの巌然も疲れの色が濃い。
だが巌然は少しの仮眠をとっただけで新たな御札の制作を始める。
「いくらなんでもお体に障りますよ」
と藤士郎が案ずるも、巌然は「そうしてもおれん。あれを見よ」
室内の壁に貼られた御札の隅が焼け焦げたようになっていた。ぴんしゃんしていた札も心なしか、くしゃっと元気がないような……。
「狂骨の仕業……というよりかは、あやつが出現することによって、この地に障りが出ておるせいじゃろう」
逢魔が刻にあらわれ、東雲(しののめ)とともに去る狂骨。
その間、小谷村は異界と密接に重なっている。狂骨がこちらの世界へと干渉することにより、あちら側から何かが流出している。その何かは御札に作用している時点で、人間にとってはあまりいいものではないのであろう。
「長引くほどに文字通りこちらの手札がみるみる減っていく。それにこう徹夜続きではさすがに身がもたん。藤士郎、おまえは村長に頼んで人手を出してもらい井戸をさらえ。今夜中にけりをつけるぞ」
「わかりました。して村の者たちには事情をどこまで話しましょうか?」
「……いらぬことは伝えんでよい。これ以上の苦しみを与える必要はない。先祖の罪は先祖の罪、いまを生きる者たちには関係ない。前世の因果因縁なんぞはくそくらえじゃ」
坊主らしからぬ発言だが、その考えには藤士郎も同意なので言われた通りにし、早速井戸掘りへと向かった。
◇
夕方までに片付けねばならない。枯れ井戸の底を漁る作業は時間との戦いとなる。
村人らと協力して、せっせと堀り進めては、埋まっていた骸を回収していく。
だがその骸の死相が凄まじい。みな目をかっと見開き恐怖で固まっていた。恐らくは生きたまま引きずり込まれたのであろう。惨いことをする。
十一体目、つまり村で最初に犠牲となった者を掘り起こすと、そのすぐ下でしゃれこうべを見つけた。虫歯に蝕まれたように黒ずんだ骸骨。後頭部に穴が開いている。自然に壊れたものではない。何者かに殴打された痕跡。
「これがあの狂骨……英舜のものだとすれば、巌然さまの読みが当たったということか」
がんばって出世して、村に念願の寺を建立しようと戻ってみれば、待っていたのはくだらない嫉妬や猜疑という人の悪意。殴り殺され、枯れ井戸に捨てられ、埋められて。
「そりゃあ化けても出るか……って、うん? 英舜は寺を建てるつもりで小谷村に戻って来たんだよね。でも寺を建てるにはけっこうな金子がいるはず。ああ、それも襲われた理由か」
痩せた土地に過酷な環境、続く貧しい暮らし。小谷村の住人らに寄進なんぞはほとんど無理であろう。となれば修行に赴いていた寺や都の周辺、こちらに戻るまでの間に英舜がかき集めたのにちがいあるまい。
みんなの光明になればと英舜は寺の建立を目指したのだろうが、まとまった金子の方に目を奪われた者がいたと。
「あるいは欲目だけじゃなかったのかもしれないけれども」
信心が人の救いとなることはたしか。けれども苦境にあえぎ餓えている者にとって大切なのは、ありがたい念仏や教えよりも食べ物。ひょっとしたらその辺りも火種になったのかもしれない。
とはいえ、すべては憶測に過ぎず、遠い過去のこと。いまさらどうしようもない。
藤士郎は黒い骸骨を布に包むと懐に入れ、上にいる手伝いの者らにはわからないようにしてから枯れ井戸を出た。
すでに陽は大きく傾いており、いよいよ勝負の夜が来る。
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