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其の百六十八 風が吹く夜
しおりを挟む小谷村に滞在中、村長の家に世話になることになった九坂藤士郎と巌然和尚。
巌然がまず行ったのは自陣となる場所の守りを固めること。
藤士郎も手伝い、村長の家の壁のあちこちに御札を貼っていく。屋根裏、床下までと念の入れよう。霊験あらかただが一枚三両もする御札を大盤振る舞い。
作業を進めていると巌然が「ほう、こいつは使えるな」と言ったのが、敷地内にある土蔵。主に集めた年貢をまとめて保管するのに利用されているもので、現在は空っぽ。武骨な作りながらも扉も壁も厚くしっかりしており、窓は小さな明かり取りがひとつきり。
蔵には御札を貼らず、あえて扉も半開きにしておく。
「ここを鰻筌にする」と巌然。
鰻筌(うなぎうけ)は鰻を捕る時に仕掛ける竹筒のこと。一度入ったら出られない構造になっており、中に餌を入れて水辺に沈めておけば鰻が捕れる。
蔵に狂骨を誘い込みそのまま閉じ込めるつもり。
「うまくいけば多少の時間が稼げるであろうよ」
「時間稼ぎ……そのまま封印はできませんか?」
「無理だな。朝になれば逃げられる。もとよりこの世ならざる存在。逢魔が刻にあらわれ、東雲(しののめ)とともに去るからな」
巌然によれば、世界は陰と陽の二層構造になっており、朝夜にするりと入れ替わっている。一見すると狂骨はこちら側に侵入しているように思えるが、実態は違う。言わば半紙に描いた二枚の絵を重ねているようなもの。重ねて透かせばひとつに見えるが、あくまで見えているだけ。
なのに垣根を越えて手が届く。
これが怪異であり、怪異の恐いところでもある。
しかしつねの怪異であれば、藤士郎が言ったように陰の世界から切り離して封じることも可能。
それが通用しないのが狂骨のやっかいなところ。
◇
自陣構築と罠の設置を終えたところで、あてがわれた客間に引っ込むふたり。
だが休む暇もなく巌然が始めたのは、新たな御札の準備。手持ちが随分と心許なくなったので、せっせと筆を走らせる。そうして書き上げた分を、明日は朝一番から村中に配り歩きがてらの情報収集を予定している。
巌然が御札を書き上げるのを横目に、藤士郎は早や就寝……とはいかず提供された人別帳の束と格闘中。小谷村はおもいのほかに歴史が古く、鎌倉に幕府があった頃より存在していたそうな。その分だけ保管されてある記録も膨大になり、人別帳の数は優に二十を越えていた。せめて調べる時期の目安でもあれば良かったのだが無いので、一から総ざらいする羽目に……。
ちなみに調べるにあたって巌然から注視するべきは「不自然に抹消されている箇所、もしくは村外に出た者の有無」と言われている。
なにせここは流刑の地。いわば村自体が鰻筌のようなもの。放り込まれることはあっても、おいそれとは出て行けない。逃げ出せば村の連帯責任になるから、それもままならず。
「でも狂骨絡みの悪事の痕跡なんて、わざわざ残して置きますかねえ」
もしも自分ならばさっさと処分して隠蔽する。
人別帳をめくりながら、藤士郎がそのようなことを口にすれば巌然は首を振る。
「それはあくまで江戸の、それもいまのわりと裕福な時代に生きる者の感覚よ」
いまでこそ身のまわりに溢れている紙だが、かつてはとても貴重な品であった。それこそ武士に褒美として与えられるほどに。
ましてやここは貧しい村、いかに不都合なことが書かれてあるからとて、おいそれと破棄なんぞはできないし、差し替える余裕もない。
せいぜい線で消すか、あるいは上に紙の切れ端を重ねて貼って誤魔化すか。
「なるほど」といちおう納得する藤士郎。「でも紙といえば、肝心の御札の分は足りるのですか?」
「あぁ、そちらもちゃんと考えてあるから心配するな。それよりも――」
筆を止めた巌然が外へと厳しい目を向ける。
がさがさと木々が震える音がして、閉じている雨戸がかたかた鳴る。
びゅるりと風が吹き始めた。
これに「ちっ」と舌打ちをする巌然。「さっそく来るか。せっかちな野郎だ」と筆を置き、数珠を手にした。
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