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其の百六十七 人別帳
しおりを挟む道沿いにちょこなんと居並ぶ三体の石地蔵。膝下ぐらいの大きさしかなく、表面が風化してのっぺらぼう。うち真ん中のは首が失せている。
これは村境の目印……、いよいよ小谷村へと入った九坂藤士郎と巌然和尚。
夕暮れ間近ということもあり誰の姿もない。だが突き刺さるような視線を向けられているのをふたりは感じていた。おそらくは村人のもの。家の奥からこちらの様子を伺っている。だが戸を開ける者はいない。みな狂骨に怯えているのだ。
藤士郎たちはかまわず突き進む。目指すは集落の長の家。来る途中に峠から一望したことで村の地形はだいたい把握している。だからこの地で一番立派な藁ぶき屋根のある家へと真っ直ぐに向かう。
おそらくはこの集落で唯一、敷地を土塀に囲まれた家。
表から「御免」と巌然が声をかけると、おずおず姿を見せたのは小者の老人。筋骨隆々の大入道の登場にびくりとするも、巌然が丁寧に挨拶し来訪した理由を告げると、いきなり涙ながらに拝みだしたもので、こっちが面喰らってしまう。それすなわち、それだけ精神的に追い詰められているということ。
この騒ぎを聞きつけてあらわれたのが小谷村の村長。彼はわざわざ江戸から自分たちの窮地に駆けつけてくれたことに感激し歓迎してくれているものの、抜け目なくこちらを観察していることに藤士郎はすぐに気づく。
「期待と猜疑心が半々といったところかな。でも他にも何か混じってる?」とぼそり。
藤士郎が察するぐらいだから、巌然もとっくに気がついている。気づいていて知らぬふりをしている。だから藤士郎もいまはそれに倣うことにした。
囲炉裏端にて薄い稗粥と白湯を馳走してもらいひと息ついたところで、さっそく狂骨の話となる。
村長が重い口を開けば、すでに村では十人以上も連れていかれているという。
その行方はとんとわからない。村人総出で周辺を探してみたがなんら成果はなし。
ひとしきり話を聞いてから巌然は村長に訊ねた。
「して狂骨の正体に心当たりはないか?」
狂骨は強い恨みを抱いた亡者の怪異。いくら力でねじ伏せても無駄である。なにせ死してもなお消えぬ念に突き動かされているもので、すぐに復活する。これを払うには原因を取り除かなければならない。それを突き止めるには正体を知る必要がある。
だが村長は首を横に振った。
ほとほと困り果てている疲れた横顔。嘘をついているようには見えない。どうやら本当に心当たりがないらしい。
「わかりません。どうしてうちの村が……。ただでさえ苦しいのに、さらにこの仕打ち。いったいなぜ……」
悔しさと悲しさ、それに怒りが混じった心情を吐露する村長。
それを慰めながら巌然が頼んだのは「では村の人別帳を見せてくれんか」ということ。
人別帳は、その地に住む者たちについてまとめた物。人の流入出を管理するための記録にて、戦国の世では富国強兵のために、徳川の世では農民の不要な移動を防ぎ年貢や賦役のために必ずしたためる決まりとなっている。
ふつうは村役人が管理しているのだが、陸の孤島扱いの僻地である小谷村のような場所では、役人などはおらず村長が兼任しているのがほとんど。
そして人別帳は村の歴史でもある。
現在に心当たりがないのならば過去を遡る。それが巌然の存念。
「親の因果か子に報うってやつですか。どうせ祟るのなら当人に祟ればいいのに、わざわざ忘れた頃にひょっこり顔を出すとか迷惑な話ですね」
とんだとばっちりにて、藤士郎が顔をしかめる。
「たしかにな、だが亡者には亡者なりの理屈がある。なにせ連中の刻は死んだところで止まっておるからな。しかも狂骨となって顕現するまでの間がそっくり抜け落ちている」
つまり時間の概念もなければ、恨みもまるでつい昨日のことのように覚えているということ。ちょっかいを出される側にとってはなんら身に覚えがなくとも、出す側からすれば「知らぬ存ぜぬなんぞふざけるな!」ということらしい。
だからこそ強引に払ったとて無駄なのだ。
払えば払うほどに怒りの念が重なって、より凝り固まって力を増し手に負えなくなっていく。
それが狂骨という怪異……。
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