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其の百六十五 狂骨
しおりを挟む夜の谷間に薄気味の悪い風が吹き始めた。
びゅるりと冷たい風かとおもえば、急に生ぬるくなる。
北東の方から吹いたとおもったら、反対の南西から吹き返す。
混じる臭いがほんのり焦げたような、ときには生臭かったり、肥溜めのようであったり。
そんな風の彼方より、じゃっ、じゃっ、じゃっ。
聞こえてくるのは何者かが足を引きずるかのような音。
集落の住人たちは急ぎ戸締りをし、奥で家族が寄せ合って身を縮めては息をひそめる。
音はゆっくりと村の中を彷徨うようにして動いてゆく。
「けっして見てはならぬ。目と耳を塞ぎ、朝までやり過ごせ」
村長からのお達し。
だが厳しく申し渡されるほど気になるのが人の性。
つい少し戸を開けて外を覗いてしまった粗忽者がいた。
暗闇の中に薄ぼんやりと浮かんでいる白いものがある。
よくよく目を凝らして見てみれば、それは襤褸(ぼろ)をまとった骸骨であった。
とたんに、ぞわぞわぞわ。
体中を百足が這いまわるような悪寒に襲われ、あまりの恐ろしさに覗いていた男はつい「ひっ」と小さな悲鳴をあげてしまう。
足を引きずり歩いていた骸骨が立ち止まり振り返る。
側頭部が割れた頭蓋骨、ふたつの洞がじっとこっちを見ていた。ばかりか急に駆け出して、向かってくるではないか!
覗いていた男は慌てて戸を締めて、心張り棒をあてがう。
直後にどんっと戸に何かがぶつかった。
どんっ!
どんっ!
どんどん!
どんどんどん!
どんどんどんどんどんどんどんどんどんっ!
狂ったように激しく表戸を叩く音が続く。
家の中にいる男はまるで生きた心地がしない。南無阿弥陀仏と一心不乱に経を唱えては、難が過ぎるのを待つばかり。
すると信心が届いたのか、戸を叩く音がぴたりと止んだ。
ほっとする男。さすがにもう外を覗く意気地はない。だからこのままおとなしく朝を待つつもりであったのだが、その時のこと。
何者かの視線を感じてふと見上げると、そこには天井から逆さにぶら下がっている骸骨の姿があった。
◇
不気味な風が吹く夜。
骸骨が徘徊し、村人がひとりまたひとり消えていく。
とある村での怪事件について綴られた文を読み終えた巌然和尚は「またぞろ、やっかいなのがあらわれたな」と嘆息。すぐに弟子の堂傑を呼び「式神を飛ばして藤士郎に連絡をとってくれ」と頼む。
この堂傑は鼬の化生で元陰陽師くずれという変わった経歴の持ち主。だからそのような芸当も可能なのだが、弟子入り後は師より無闇に術を使うことを禁じられていた。それを許可している時点でよほどのこと。堂傑はすぐに式神を九坂邸へと向かわせた。
式神による報せを受けて急ぎ知念寺へと参上した藤士郎。
そこで巌然和尚より頭を下げられ告げられたのは「どうやら狂骨が出たらしい。すまんがいっしょに小谷村まできてくれ」という助太刀依頼。
狂骨は井中の白骨なり。
世の諺(ことわざ)に甚しき事をきやうこつといふも、このうらみのはなはなだしきよりいふならん。
と伝わる怪異。
凄まじい恨みを抱くがゆえに化けて出た亡者らしいのだが、じつは詳細はよくわかっていない。ただとても執念深くつねの調伏のようにはいかぬことだけはたしか。
歩く仁王さまとの異名を持ち、腕っぷしもさることながら、妖退治の高僧として名を馳せている巌然和尚をしても、助っ人を求めるほどの相手だということ。
藤士郎はぶるると武者震い。
ぐずぐずしていたら被害は拡大する一方なので、急遽出立することになったふたりは、一路小谷村を目指す。
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