狐侍こんこんちき

月芝

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其の百六十一 勝手天誅

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 日ノ本史上かつてない密度にて、様々な流派が入り乱れている江戸の剣術界。
 いまもっとも権勢を誇る田沼意次、そんな彼が開催した御前試合。
 世間の耳目を集めており、参加できるだけでも剣士の誉れ。またここでの活躍次第では勇名が天下に轟き、立身出世も望めるであろう。
 そんな晴れの舞台において、なんと数合わせで急遽呼ばれたという無名の流派の若者が、あっさり十人抜きの快挙を達成する。
 ただの十人抜きではない。腕に覚えありの猛者どもを相手どって、である。
 まず間違いなく偉業であるといえよう。
 だがその試合内容、若者の戦いぶりがいささか問題視されてしまう。
 良く言えばより実戦的、悪く言えばなんでもありの無礼千万……。

「なんたる下劣な戦い方か! これならばまだその辺の野良犬か破落戸(ごろつき)どものほうが、よほどわきまえておろう」

 してやられた側から激しい抗議の声があがった。
 そして数は力なり。負け犬の遠吠えと一笑に付すにはあまりにも大きくなってしまう。
 けっこうな騒ぎとなりかけ、これに困ったのが御前試合を執り仕切っていた側。
 なにせ参加している当人、その縁者や支援者の中には身分の高い者もいる。そちら方面からも抗議に同調する者が続出する。
 とはいえそこにはいろんな思惑や計算が透けて見えている。
 単純に騒ぎを面白がっている者、田沼意次が肝入りの催しを台無しにすることで得をする者、あるいはささやかな意趣返しなどなど。
 さらには流派同士や道場同士の結びつきやらいがみ合い、しがらみに個人の感情までもが絡んで、事態はますます混迷の度合いを深めていく。
 やいのやいの、方々から猛烈な突き上げを喰らい、このままでは試合どころではない。
 この騒ぎを鎮めたのは田沼意次。

「やれ、面倒なことだがしようがない。悪いがあの若者には詰め腹を切ってもらおう」

 べつに本当に腹を切らせるわけじゃない。
 事情を説明して折れてもらうという意味。もちろんその分の見返りは十分に用意するつもり。もしもごねるようであれば権力にてねじ伏せることも辞さない。
 が、若者こと九坂藤士郎は「そうですか、わかりました」とあっさり引き下がった。見返りについても「あとで露見したらややこしくなりそうなんで、けっこうです」と辞退してしまう。べつに剣客の意地や誇り侍の面子とかではなくて、真実そう思ってのこと。
 この態度には交渉役の者の方がひょうしぬけしたものである。
 かくして伯天流の九坂藤士郎の十人抜きの快挙は無効となり、記録も破棄されなかったものとし、御前試合はつつがなく執り行われることとなった。

 用事がすんだ九坂藤士郎はさっさと帰ることにしたのだが、どうにも腹の虫がおさまらなかったのが、恥をかかされたと思い込んでいる負けた側。口々に武士にあるまじき伯天流の卑怯卑劣ぶりを批難しているうちに興奮し、ついには誰言うともなく「このまま帰すのは業腹だ」「ならば懲らしめてやろう」「天誅だ!」という意見が噴出し、その気になった者らがぞろぞろと連れ立って動き出す。
 遅ればせながらその動きに気がついた近藤左馬之助は血相を変えた。

「いかん、このままでは九坂藤士郎が危うい!」

 急ぎ報せるべく左馬之助は走り出す。

  ◇

 天誅とは、天の処罰、正義を意味する言葉。
 これを下すとは天に成り代わって罰を執行するということ。
 なんとも思い上がった考え。でも妙に耳に心地よい響きにて、手前勝手な了見を正当化するのにはたいそう都合がいい言葉でもある。
 これを掲げて実行すべく徒党を組んだ者ども。
 なんのかんの言いつくろっても、ようは逆恨み。
 だが当人たちはそれに気がついていない。いや一部は気づいているのであろうが、周囲の雰囲気に流されて従っている。これが人の集団の恐いところ。いったん暴走すると生半可なことでは止まらないし、止められない。
 そんな馬鹿な連中に囲まれたら何をされるか。
 だから近藤左馬之助は全力で駆けて、九坂藤士郎に迫る危機を伝えるつもりであったのだが、少し遅かった。
 左馬之助が九坂藤士郎の背をみつけたときには、すでに男たちに囲まれていた。
 しかし多い。ざっと数えただけでも五十人近くいる。多勢に無勢、いかに九坂藤士郎が強かろうとも一斉に押し込まれて袋叩きにされてしまう。
 かといって自分ひとりが加勢したところで焼石に水であろう。そこで近藤左馬之助はきびすを返し、田沼家に助力を求めようとするもその時のこと。視界の隅に捉えたのは木陰から弓に矢をつがえている者の姿。ぎりぎり弦を引き絞り狙うのはもちろん……。
 それを見た瞬間、近藤左馬之助は猛然と射手めがけて突っ込んでいた。


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