狐侍こんこんちき

月芝

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其の百六十 十人抜き

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 飯島平太郎が敗れた。

 ざわつく外の控えの場。おそらくは邸内も同様であろう。
 周囲の反応は様々であった。
「そんな馬鹿な」と驚愕する者、「おおかた油断でもしたのであろう」と顔をしかめる者、「しめしめ邪魔な奴がいなくなった」とほくそ笑む者、「とんだ番狂わせだ!」と我がことのように狼狽する者、「誰ぞ、相手を見知った者はおらんのか?」と訊ね回る者、憮然としたままひと言も発せぬ者、にやりと不敵な笑みを浮かべる者、一切構わずじっと鎮座している者などなど。

 大金星をあげたのがあの若者だと知って近藤左馬之助はたいそう驚く。同輩らの目もあるのでしばらくはおとなしくしていたが、どうしても気になったのでついに単身控えの場を抜け出す。向かったのは陣幕の内が覗けるところ。
 するとこれに前後して試合が再開されたのだが……。

 二人目の対戦相手は九坂藤士郎を明らかに侮っていた。飯島平太郎に勝ったのはまぐれと決めつけていたのかもしれない。その結果、ただの一合も打ち合うことなく沈む。気合いもろとも打ちかかったところを、あっさりかわされ、手の甲を短い木刀でぴしゃり。「あっ」と驚いた次の瞬間、股間を膝で蹴り上げられて悶絶。

 三人目の対戦相手は九坂藤士郎と対峙するなり怪訝な表情となる。ひょろりとした長身痩躯で猫背の青年。この場にそぐわない覇気のなさ。「本当にこいつが?」といった戸惑いがありありと顔に浮かんでいた。そのせいで出遅れる。試合開始直後、ぬるっと前に出た九坂藤士郎。いきなり距離を詰められた相手はとっさに下がろうとするも、それは適わない。九坂藤士郎の一歩が深く、むぎゅっと足を踏まれて動けない。そして密接状態は小回りの利く小太刀の独壇場。九坂藤士郎の短い木刀が容赦なく相手の鳩尾にめり込み勝負あり。

 四人目の対戦相手ともなるとさすがに油断はない。なにせこの御前試合には選りすぐりの猛者が集められている。江戸剣術界では一目も二目も置かれている連中がこぞって参加している。この場で勝ち続けることがどれだけ困難なことか、ちょっと冷静に考えればわかること。実力者相手に一勝するのもたいへん。三人抜きをした飯島平太郎こそ褒めるべきであって、嘲笑するようなことではない。そしてそんな飯島平太郎に勝った九坂藤士郎。弱いなんぞはありえない。
 気構えがあったこともあり、この試合は初っ端から激しい応酬となった。両者が握る長刀と短刀が閃き、幾たびもぶつかる。
 だが先に息切れをしたのは長刀の方。じょじょに動きに精彩を欠いていく。
 一方で短刀の方は元気であった。
 理屈は単純である。長く重たい木刀を振り回すのと、短く軽い木刀を振り回すのとでは後者の方がずっと楽であったから。
 とはいえこれはあくまで理屈だけのこと。
 長刀を手にした相手に猛然と襲いかかられ、これを眉ひとつ動かさず冷静に短刀でさばき続けられる九坂藤士郎がおかしいのである。
 最後は長刀による突きをひょいとかわした九坂藤士郎が、すれ違いざまに相手の胴を薙いで一本!

 五人目の対戦相手は足を絡めとられて押し倒され、同時に膝関節をごきりとはずされ絶叫。

 六人目の対戦相手は試合開始直後に飛んできた石を額にまともに受けて目を回し、何もできずに昏倒する。

 七人目の対戦相手ともなると、そろそろ九坂藤士郎という男の戦いぶりや、伯天流のやり口がわかってきているので用心を怠らない。半身を引いた構えにて、己が身を縦一文字としては急所を隠し、攻めも大振りは控える。まるで固く門を閉じ籠城するような戦いぶり。
 だがその慎重さ、用心深さを逆手にとって大胆に動く九坂藤士郎。終始攻め立てられた七人目は精根つきて膝を折ることになる。

 八人目の対戦相手は不用意に動かず。平突きの構えにて切っ先をぴたりと九坂藤士郎に合わせたまま。九坂藤士郎が右へ左へと動いても、それに合わせて切っ先を動かし、けっしてはずさない。
 寄らば突くとの気配がありありと。よほど刺突技に自信があるらしい。手にしている木刀も通常のよりもやや長い物であった。
 だがよもやこの場面で九坂藤士郎まで同じ構えをしたのは予想外であったらしく、八人目はえらく面喰らっていた。
 その動揺を突くかのようにして動く九坂藤士郎が先に仕掛ける。
 これに誘われ、やや遅れて八人目も突きを繰り出した。
 直後、がっとぶつかる互いの切っ先。
 しばしの拮抗、世にも稀なる鍔迫り合いを制したのは九坂藤士郎。すいと手にした短い木刀を脇に動かすなり、それに引っ張られるようにして相手の木刀までもが脇へと流される。
 これまた単純な理屈、遠くよりも近くの方が力が込めやすくかつ制御しやすいがゆえの芸当。

「なっ!」

 八人目が驚き目を見張り、慌てて腕を戻そうとするも、その時にはすでに眼前に九坂藤士郎の肘鉄が迫っていた。

 九人目の対戦相手は試合開始直後に、なんのかんのと言い募っては棄権した。「こんなのは武士の剣ではない!」「情けない、これが武士のすることか」なんぞと喚いていたが、ようは戦略的撤退である。戦って負けたわけじゃないので、負けてないとの理屈なのかもしれないが、ある意味英断であったのかもしれない。

 十人目の対戦相手は九人目とは逆になりふり構わない戦いぶり。彼は試合が始まる前からかっかっと憤っていた。「ふざけおって、目にものみせてくれん」と鼻息荒い。十人目の男は体躯に恵まれており、四肢太く他の者より頭ひとつ抜けていた。よほど膂力に自信があるのか手にしている木刀は、どちらかといえば舟の櫂のような大物。かの巌流島の決闘にて佐々木小次郎を破った宮本武蔵の得物を彷彿とさせる品。
 急遽、どこぞから調達してきたであろうそれを振りかざし、「痴れ者が調子にのりおってからに、某が懲らしめてくれる!」ときたものだ。
 この勝手な言い草には、試合を見ていた近藤左馬之助も呆れたものであったが、九坂藤士郎が「べつにいいですよ、お好きにどうぞ」と言ったものだから、言われた十人目は顔を真っ赤にして怒ったのなんのって。
 だがその大物は風を扇ぐばかりで、ちっとも当たらない。
 挙句に振り下ろしたところを、ひょいと九坂藤士郎に飛び乗られて動きを封じられてしまったところを、脳天をぽかんと叩かれ白目をむいた。


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