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其の百五十二 尾行中
しおりを挟む茶屋の屋根の上で「くわあ」と大あくびをしたのは、でっぷり猫。
「ったく、こうもぽかぽか陽気じゃあ、眠くなってしようがねえ」
ここのところ店先で看板猫を気取っていた銅鑼が、どうしてこんなところに登っているのかというと、近藤左馬之助から助言を受けて少し配置を変えたため。
いんちきの泡銭を使っている下手人。どうやら自分は店に立ち入らず、銭だけ用意して買うのは他の者に任せているらしい。しかもお遣いを任されている者を毎回変えるという念の入れよう。
だからいくら店で怪しげな人物が出入りしていないか、目を光らせたところで無駄。
そこで店の方は引き続き藤士郎が、銅鑼は屋根の上から周囲を見張ることにしたのである。
◇
ぶつくさ文句を言いながら、銅鑼が眠気と戦うことしばし。不意にその双眸がすーっと細くなり、ある一点を凝視。
門前通りに人の姿が増え、茶屋がかきいれどきを迎える頃、ついにそれらしい者が姿をあらわした。
茶屋から少し離れたところ、道端にて老夫婦に声をかけている子どもがいる。
どこぞの長屋住まいの町人の女の子といった風で、ぱっと見には不審な点は見当たらない。
だが銅鑼の目は誤魔化せない。
「やはり化生の類か……。おそらくは狸であろうが、まだ幼いな。ほんの餓鬼じゃないか」
子どもに化けたそれが、知念寺へと参拝に訪れた老夫婦に銭を渡しては、へこへこ頭をさげている。おそらくは団子の買い付けを頼んだのであろう。
そのやりとりを見届けたところで、銅鑼は急いで屋根から降り、藤士郎に「きたぞ」と報せた。
報せを受けた藤士郎はすぐさま相手のところへ向かおうとしたのだが、銅鑼が「まぁ待て」と止めた。
「なんだよ、銅鑼。ぐずぐずしていたら逃げられてしまうじゃないか」
「焦るな、藤士郎。だからこそだ。万が一がある。周囲の目もあるし、人混みに紛れて逃げられたら面倒だ。ここはあえて泳がせろ。そしてあとをつけるんだ。ねぐらさえ突き止めちまえば、もうこっちのもんよ」
しめしめ上手くいったとほくそ笑んで油断しているところに踏み込む。
たしかにその方が確実にて、藤士郎もその案に乗ることにする。
◇
素知らぬ顔をして老夫婦の応対をし、求められるままに団子を二本包んで渡す。
「今後ともご贔屓に~」
愛想よく客を送り出したところで、軒先の縁台の下にいた銅鑼がのそりと動く。
老夫婦は外で待っていた子どもに「はい、これ」
子どもは「ありがとう」と丁寧に礼を述べ、団子の包みを大事そうに懐へしまうと、その場をそそくさと立ち去る。
早速、尾行を開始する銅鑼。
ほどなくして門前通りを抜けようかというところで、遅ればせながら藤士郎も合流。
でっぷり猫と狐侍は尾行がばれないように注意しながら、一定の距離を保って子どもを追跡する。
だがしかし、途中から何やら雲行きがおかしくなってきて、藤士郎と銅鑼はそろって「「あれ?」」
悪いことをしている自覚があるのか。
下手人とおぼしき女の子は、ときおり不意に立ち止まっては、うしろをふり返ったり、きょろきょろと周囲の様子をうかがったりする。
そのたびにさっと物陰に身を隠し、藤士郎は冷や汗たらり。隠れるところがない見晴らしのいい場所では、銅鑼に任せる。狐侍とでっぷり猫は協力してやり過ごす。
さいわいなことに尾行は勘づかれることなく継続されたのだが、そのうちに相手が坂道をのぼり始めたもので、藤士郎たちは小首を傾げる。
日中も薄暗く、陽が暮れればたちまち真っ暗。
ゆえに近在の者たちからは「くだん坂」とか「くらやみ坂」なんぞと呼ばれている場所。
ずんずんのぼった先にあるのは、すっかり見慣れたぼろ屋敷。伯天流の道場兼我が家である九坂邸。ご近所さんは絶えてひさしく、あるのは朽ちかけの廃屋ばかり。あとは鬱蒼とした竹林などが生い茂っている。
薄気味悪く、足場はがたがた、傾斜も急にて、どこぞに都合よく通り抜けられるでもなし。利便性は皆無。この坂を利用するのは、もっぱら九坂の家人か用事のある者ぐらい。
そんな坂を「うんしょ、うんしょ」とのぼっていく女の子。
「どこぞの空き家にでも勝手に住みついているのかしらん?」
「もしくは林の奥に巣があるのかもしれん。あるいはあいつも使われる側で、別に親玉がいるのかも」
なんぞとやりとりしていたら、藤士郎と銅鑼は同時に「「えっ」」
女の子の姿が急に消えた。
でもそれはどろんと煙のように掻き消えたわけではなくて、最寄りの土塀の割れ目へと身を潜り込ませたから。
なのに藤士郎らが驚いたのは、その壁が自分の家のであったからである。
よもや尾行していた相手が自分の家に入るとは……。
予想外の展開に、藤士郎と銅鑼は思わず顔を見合わせた。
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