狐侍こんこんちき

月芝

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其の百四十八 この世の九坂志乃

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 もとから才能があったのか、はたまた白髭のお爺さんの力量か。
 指導を受けたわたしは、みるみる投擲の腕をあげました。
 こうなると教える方も、教わる方も、俄然楽しくなってきます。
 ふたりして夢中になること、たっぷり一時ほど(約二時間ぐらい)。
 ついには十間ほども離れたところからでも百発百中となり、ぶんと投げるたびに的にしていた石山が、がらがら崩れるほどにまでになりました。

「ううむ、見事じゃ。もうそなたに教えることは何もない。免許皆伝を与える」
「はい、ご指導、ありがとうございました!」

 教え子の成長に満足し笑みを浮かべる白髭のお爺さん。
 私も満面の笑みを返します。
 河原ではしゃいでひと汗かいた私たち。最寄りの岩に腰かけ、休憩がてらよもやま話に華を咲かせているうちに、ついぽろりと口から出てしまったのは愚痴でした。
 ここでの暮らしは上等すぎてどうにも性に合わない。時間を持て余している。
 満ち足り過ぎて、逆に落ち着かない。

「ふぅ、贅沢な悩みなんでしょうけど、根が貧乏性なもので」

 私が嘆息すると、ふむふむと頷きながら話を聞いていた白髭のお爺さんは言いました。

「なるほどのぅ、わかった。だったら特別に現世に戻れるように手配をしてやろう。普段ならば無理だろうが、今回はこちらにとっても都合がいいので、すんなり話は通るじゃろう」

 あの世からこの世に戻る?
 それを手配する?
 この方はいったい……。

 私がきょとんとしていると、白髭のお爺さんは「かっかっかっ」と笑い「そういえばまだ名乗っていなかったな。わしは小野篁(おののたかむら)という」

 名前を聞いて私はびっくり仰天!
 なにせ相手は伝説の偉人、お公家さまで従三位の官位持ち。反骨精神溢れる方で、豪快な逸話にはこと欠かず。はてにつけられた異名は「野相公」にて、自ら「野狂」と称するほど。弓馬のみならず学問にも精通し、努力を知る才人。小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)で名を連ねている。
 そんな御方ですが、なんといっても有名なのが、昼は朝廷での官吏を務め、夜は冥府の閻魔庁にて裁判の補佐という二足の草鞋生活。毎晩、都にある六道珍皇寺の古井戸からせっせとあの世に通っていたそうな。

 とどのつまりは、夫平蔵の大先輩ということ。
 そんなえらい方に馴れ馴れしく接してしまって、いまさらながらに恐縮する私に、小野篁さまは「なぁに気にするな。すでにわしとそなたは師と弟子の間柄。身内みたいなものじゃ。で、先の現世行きの話じゃが、じつはちと頼みたいことがあってな」とちょいちょい手招き。声を潜めて耳元でこしょこしょこしょ……。

  ◇

 そして舞台はあの世からこの世へと移る。
 ところ変わって、母の四十九日法要を終えた九坂邸。
 門前にて最後の客を見送って「うーん」と大きく背伸びをしたのは藤士郎。
 父に続いて母までぽっくり逝ったものでやること山積。ここのところはずっと身の回りがばたばた忙しなかった。ゆっくり故人を偲ぶ暇もありゃしない。
 けれどもこれでようやくひと区切り。
「やれやれ」と肩の荷を降ろした藤士郎であったが、家に入ろうとしたところで「ぎょっ!」と目を剥くことになる。
 玄関の上がり框のところに、ふよふよ浮かんでいる母の情けない姿を発見したもので。

 幽霊となって現世に舞い戻った母志乃。

「ただいまー」

 足がなく、ふわふわ宙に浮いている母親。
 体も、声の調子も、態度もやたらと軽かった。
 半分透けたその姿を前にして、藤士郎はたいそう驚くもすぐに呆れ顔となり。

「せっかく供養したのに台無しですよ。どうして化けて出てきたんですか? おしどり夫婦なんだから、ふたり仲良くあの世で暮らせばいいものを」
「私もそのつもりだったんだけどねえ。でもあの人ったら仕事仕事で、てんやわんやなんだもの。ちっともかまってくれないから帰ってきました」
「帰ってきましたって……母上、そんな風に気軽に行き来できるものなのですか? あの世とこの世って」
「うーん、ふつうは駄目みたいなんだけど『連絡役として駐在するのならばいいよ』って小野篁さまが」
「いまさらりとなにやら凄い名前が出たような……、にしても連絡役ですか?」
「そうなの、なんでも現世で解決すべき案件が持ちあがったら、旦那さま経由で仕事をまわすから精々励むようにって」
「励むようにって、いったい誰が?」
「そりゃあもちろん藤士郎さんががんばるのよ。だって私は家霊だもの。家の敷地の外には自由に出られないから」
「なっ!」

 ようやく肩の荷が降りたとおもったら、すぐに別のやっかいな荷物を担がされ、藤士郎はあんぐり。
 呆然と立ち尽くす息子を残して志乃は、さっさと家の奥へと。勝手知ったる我が家。だが、ほんのふた月ほど留守にしていただけで、埃やら汚れがちらほら目立つ。

「やっぱり男の子は頼りにならないわね。ちょっと目を離したらすぐに横着をするんだから。隅が甘いのよ、隅が」

 ぶつくさぼやきながら家の中をうろつく女幽霊。
 途中、廊下で行き会ったでっぷり猫の銅鑼は「おや、志乃殿、お早いお帰りで」とあっさりこれを受け入れ、九坂家はのべつまくなし。


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