148 / 483
其の百四十八 この世の九坂志乃
しおりを挟むもとから才能があったのか、はたまた白髭のお爺さんの力量か。
指導を受けたわたしは、みるみる投擲の腕をあげました。
こうなると教える方も、教わる方も、俄然楽しくなってきます。
ふたりして夢中になること、たっぷり一時ほど(約二時間ぐらい)。
ついには十間ほども離れたところからでも百発百中となり、ぶんと投げるたびに的にしていた石山が、がらがら崩れるほどにまでになりました。
「ううむ、見事じゃ。もうそなたに教えることは何もない。免許皆伝を与える」
「はい、ご指導、ありがとうございました!」
教え子の成長に満足し笑みを浮かべる白髭のお爺さん。
私も満面の笑みを返します。
河原ではしゃいでひと汗かいた私たち。最寄りの岩に腰かけ、休憩がてらよもやま話に華を咲かせているうちに、ついぽろりと口から出てしまったのは愚痴でした。
ここでの暮らしは上等すぎてどうにも性に合わない。時間を持て余している。
満ち足り過ぎて、逆に落ち着かない。
「ふぅ、贅沢な悩みなんでしょうけど、根が貧乏性なもので」
私が嘆息すると、ふむふむと頷きながら話を聞いていた白髭のお爺さんは言いました。
「なるほどのぅ、わかった。だったら特別に現世に戻れるように手配をしてやろう。普段ならば無理だろうが、今回はこちらにとっても都合がいいので、すんなり話は通るじゃろう」
あの世からこの世に戻る?
それを手配する?
この方はいったい……。
私がきょとんとしていると、白髭のお爺さんは「かっかっかっ」と笑い「そういえばまだ名乗っていなかったな。わしは小野篁(おののたかむら)という」
名前を聞いて私はびっくり仰天!
なにせ相手は伝説の偉人、お公家さまで従三位の官位持ち。反骨精神溢れる方で、豪快な逸話にはこと欠かず。はてにつけられた異名は「野相公」にて、自ら「野狂」と称するほど。弓馬のみならず学問にも精通し、努力を知る才人。小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)で名を連ねている。
そんな御方ですが、なんといっても有名なのが、昼は朝廷での官吏を務め、夜は冥府の閻魔庁にて裁判の補佐という二足の草鞋生活。毎晩、都にある六道珍皇寺の古井戸からせっせとあの世に通っていたそうな。
とどのつまりは、夫平蔵の大先輩ということ。
そんなえらい方に馴れ馴れしく接してしまって、いまさらながらに恐縮する私に、小野篁さまは「なぁに気にするな。すでにわしとそなたは師と弟子の間柄。身内みたいなものじゃ。で、先の現世行きの話じゃが、じつはちと頼みたいことがあってな」とちょいちょい手招き。声を潜めて耳元でこしょこしょこしょ……。
◇
そして舞台はあの世からこの世へと移る。
ところ変わって、母の四十九日法要を終えた九坂邸。
門前にて最後の客を見送って「うーん」と大きく背伸びをしたのは藤士郎。
父に続いて母までぽっくり逝ったものでやること山積。ここのところはずっと身の回りがばたばた忙しなかった。ゆっくり故人を偲ぶ暇もありゃしない。
けれどもこれでようやくひと区切り。
「やれやれ」と肩の荷を降ろした藤士郎であったが、家に入ろうとしたところで「ぎょっ!」と目を剥くことになる。
玄関の上がり框のところに、ふよふよ浮かんでいる母の情けない姿を発見したもので。
幽霊となって現世に舞い戻った母志乃。
「ただいまー」
足がなく、ふわふわ宙に浮いている母親。
体も、声の調子も、態度もやたらと軽かった。
半分透けたその姿を前にして、藤士郎はたいそう驚くもすぐに呆れ顔となり。
「せっかく供養したのに台無しですよ。どうして化けて出てきたんですか? おしどり夫婦なんだから、ふたり仲良くあの世で暮らせばいいものを」
「私もそのつもりだったんだけどねえ。でもあの人ったら仕事仕事で、てんやわんやなんだもの。ちっともかまってくれないから帰ってきました」
「帰ってきましたって……母上、そんな風に気軽に行き来できるものなのですか? あの世とこの世って」
「うーん、ふつうは駄目みたいなんだけど『連絡役として駐在するのならばいいよ』って小野篁さまが」
「いまさらりとなにやら凄い名前が出たような……、にしても連絡役ですか?」
「そうなの、なんでも現世で解決すべき案件が持ちあがったら、旦那さま経由で仕事をまわすから精々励むようにって」
「励むようにって、いったい誰が?」
「そりゃあもちろん藤士郎さんががんばるのよ。だって私は家霊だもの。家の敷地の外には自由に出られないから」
「なっ!」
ようやく肩の荷が降りたとおもったら、すぐに別のやっかいな荷物を担がされ、藤士郎はあんぐり。
呆然と立ち尽くす息子を残して志乃は、さっさと家の奥へと。勝手知ったる我が家。だが、ほんのふた月ほど留守にしていただけで、埃やら汚れがちらほら目立つ。
「やっぱり男の子は頼りにならないわね。ちょっと目を離したらすぐに横着をするんだから。隅が甘いのよ、隅が」
ぶつくさぼやきながら家の中をうろつく女幽霊。
途中、廊下で行き会ったでっぷり猫の銅鑼は「おや、志乃殿、お早いお帰りで」とあっさりこれを受け入れ、九坂家はのべつまくなし。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる