147 / 483
其の百四十七 あの世の九坂志乃
しおりを挟む人の一生なんてじつに儚いものです。
明日どころか一寸先のこともわかりません。朝露のごとしです。
ええ、ええ、それはもうあっさり、簡単に、ぽっくり逝きます。
かくいう私こと九坂志乃もそうでした。
ちなみに死因は季節外れの風邪をこじらせて、でした。享年についてはご容赦下さい。
いざ、おさらば! 突然の旅立ち。
無念とまでは思いませんが、まったく心残りがなかったかといえば嘘になります。
家のこと、残されたひとり息子のこと、孫どころか嫁の顔も見れなかったこと、丹精込めて育ててきた裏庭の畑や糠床のこと、こつこつ貯めていた箪笥のへそくりなどなど。
とても気になります。
でも覆水盆に返らずと申しますし、逝ってしまったものはしようがない。
だから私はとっとと地獄に行くことにしました。
あら? でも勘違いしないでください。べつに生前にやましいことをしていたとかではありません。これにはちゃんとした理由があるのです。
◇
夫の名前は九坂平蔵(くさかへいぞう)といいます。
私より先立つこと三月ほど。これまた流行り病にてぽっくり。
背は高い方でしたがそれ以外はとくに、人柄だけが取り柄……こほんこほん、じゃなくて気立てのいい男でした。剣の腕は悪くなかったと思います。けれども世渡りがあまり上手ではありませんでした。せっかくいい品を持っていても、それを売り捌く才覚がなければ商売にはなりません。自分を売り込むのがたいそう下手な人でした。そのくせ貧乏くじを「えいや」と引き当てる才能には恵まれておりまして。
結局、生きているうちに仕官は叶わず。抱えている道場はおんぼろのまま。いろんな手仕事をこなして糊口をしのぐ日々。
そんな平蔵がなんの因果か、閻魔さまに気に入られたとかで、あの世で官吏につくことになりました。生涯無役にてしがない貧乏道場の主であったことを考えれば、これは異例の出世でしょう。とてもめでたいことです。
「まぁ、そんなわけだからこちらのことは心配せずともよい。おまえたちはいく久しく、健やかに過ごせよ」
わざわざ夢枕に立ち、家族そろっての席を設けた律義者の夫。柄にもなくしゃちほこばっており、慣れぬ官衣姿は孫にも衣装といったところでしょうか。
就任の報告を受けて、息子の藤士郎とわたしはそろって手をつき「「祝着至極に存じます」」と夫の立身を喜びましたとも。
この時は、よもや数か月後には自分も夫の後を追うことになろうとは、夢にも思いませんでしたけれどもね。
死後、夫の赴任先へと向かった私。
とはいえそこは地獄なのですから、噂に聞く血の池やら針山やらにて阿鼻叫喚、きっとおどろおどろしい場所であろうと、内心ではびくびくしていたのですけれども、いざ行ってみたらひょうし抜けでした。
なんというか、ごくごく普通の街でした。
それもそのはず。ここは夫の同僚たち、地獄の役所に勤めている者らの暮らす街であったからです。もっとも金棒を持った大きな鬼さんが、そこいらをのしのし練り歩いていましたけど……。
あの世の街で私の第二の人生が始まりました。
が、すぐに飽きました。
夫婦再会の喜び、ひさしぶりに水入らず。新婚時代を思いだしてしっぽりと。なんぞと甘い生活を夢見ていたのですが、無理でした。
とにかく夫の身が忙しい。
朝も早くに出仕しては夜の遅くまで帰ってこない。帰ってきたと思ったら、そのまま寝床に倒れ伏しての高いびき。朝になったらむくりと起きて、ふらふらと役所に向かう。ひたすらこれの繰り返し。
夫によれば「毎日毎日、山のように悪人があっちから送られてくるんだよ。現世は悪鬼羅刹の巣窟か? ちっとも減らない書類の山、片付けても片付けてもきりがない!」そうです。
一方で家にいるわたしは、特にすることがありません。
なぜなら、上げ膳据え膳の暮らしだからです。
知りませんでした。うちの夫、じつはけっこうな石高で雇われており、屋敷は大きく立派にて、専属の女中やら小間使いまで揃っており、身のまわりのことはすべてやってくれます。
でも、染み付いた貧乏暮らしの身の上としては、これはどうにも居心地が悪くて、落ち着かない。
そこで「何か手伝いましょうか」と申し出るも、「いえいえ、奥方さまにそのようなことはさせられません」とやんわり断わられ、お茶の一杯も自由に淹れられやしない。
満ち足りた贅沢な暮らしゆえに、かえって安穏とできない。
我ながら損な性分です。
あんまりにも退屈を持て余したわたしは、散歩がてら近くの河原に行っては、そこかしこに積み上げられている石の山に向かって、拾った小石を「えいっ、えいっ」と投げつけては鬱憤を晴らす。
するとある日のことでした。
たまさかその場に通りがかったのが、越後のちりめん問屋のご隠居みたいな格好をした長い白髭のお爺さん。
お爺さんはわたしに言いました。
「これこれ、そう闇雲に投げては肘を痛めるぞ。これ、このように腕をしならせ、放つ直前に手首をくいっと利かせるが良い」
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる