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其の百四十五 狐火
しおりを挟むひんやりとした隙間風に、ぞくり。
驚いて瞼を開けた九坂藤士郎は、見知らぬ天井に「はて?」
気がつけば板間に敷かれた畳の上に寝かされていた。
薄靄が晴れるようにして覚醒していく意識。黒狐の女怪と戦っていた途中であることを思い出し、あわてて跳ね起きようとするもそれは叶わない。上体を起こそうとしたものの、その顔面をふにゃりと踏みつけたのは柔らかな猫の肉球。
黒銀縞のでっぷり猫、「ここは王子稲荷の一画だ。美耶たちも無事だ。もうすべて終わったから、おまえはそのまま寝てろ」
すべて終わった?
ということは黒狐は退治されたのか。自分が倒れたあとにいったい何が起こったのか?
そこのところがどうにも気になってしまい、藤士郎はおちおち寝ていられない。
だから強くせがむと、銅鑼は寝物語に滔々と事の顛末を語り始めた。
◇
藤士郎によって小太刀を根元まで刺し貫かれた黒狐。
十六あった影の腕も残りわずかとなり、自身も満身創痍となりふらふら。それでもなお美耶を殺害しようとの執念にて、ひょうたん沼の畔にまで辿り着く。
するとお目当ての女がいたもので喜色を浮かべて、繁みよりいきなり飛び出した。
だがその前に立ちはだかったのが有翼の黒銀虎。
力の差は歴然にて成す術もなし。大虎の牙にてひと噛みにされる黒狐、けれどもその目はにぃと笑っていた。
敵わないと知っていての玉砕。ただし死出の土産は貰っていく。
有翼の黒銀虎が黒狐を噛み殺し、とどめを刺そうとしていた裏で、蠢いていたのは影の腕たち。残る三本が一斉に足下から飛び出す。
異変に気がついて桑名以蔵がとっさに美耶を庇うも、二本の影の腕が手足に絡みつき、彼の動きを封じる。
最後の影の腕の一本が美耶へと迫る。箱入り娘の細首なんぞは、片手でひと捻り。
美耶はどうにか逃れようとするも、あいにくとここはひょうたん沼のくびれ部分の奥。三方が水に囲まれており逃げ場なし。
追い詰められ、ついに首筋にかかった影の腕。とたんにぎちりぎちりと締め上げる。美耶は苦悶の表情にて「あぁ」と絶望の吐息を零す。抗う腕からもするすると力が抜けていく。
もはやこれまでかと諦めかけた時、それは起きた。
ぽっ、ぽっ、ぽっポッぽっぽっ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……。
唐突に闇に浮かんだのは青白い火の玉。いくつも周辺にあらわれては、めらめらと燃え盛る。煌々と照らされ、ひょうたん沼一帯が明るくなった。
狐火である。
それらがとり憑くなり、ぼうっと蒼炎に包まれた影の腕たち。不思議なのが同じように炎にさらされているはずの美耶や桑名以蔵の身には、一切の類焼がないこと。ばかりかまるで熱さも感じない不思議な現象に、当人らは驚き目をぱちくり。
蒼炎に包まれた黒狐。ついには「こーん」という悲しげな鳴き声にて、その身が灰となる。直後に吹いた風により砕けて散りぢりとなり、すべては夜の彼方へと消えてゆく。あとには抜け落ちた小太刀が残るばかり。
「ようやく王子稲荷が重い腰をあげたか。どうせ動くのならば、もっと早くから動けばいいものを」
八王子方面へと向かって流れていく灰混じりの風。その行方を目で追っていた有翼の黒銀虎が「けっ」と悪態をつく。
そんな有翼の黒銀虎の鼻先にて、揺らめくのはいっとう輝きが強い狐火。ゆらゆらしたと思ったら、少し遠ざかっては立ち止まりゆらゆら。まるで「ついてこい」とでも云っているかのような動き。
松林のどこかで倒れているであろう、狐侍のもとへと案内するつもりだと察した銅鑼は、「おれは不甲斐ない同居人を迎えに行ってくるから、おまえたちは先に王子稲荷に向かえ」と言って、さっさと行ってしまった。
残された美耶と桑名以蔵は、いろんな不思議が重なり過ぎてすでに頭がついていかない。心身共にすっかり参ってしまっており、唯々諾々と指示に従う。
狐火たちが等間隔にて左右に列となり並ぶことで出現したのは、王子稲荷へと続く小道。
ふたりはとぼとぼと半ば放心状態にて歩いてゆく。
◇
銅鑼の説明を聞き終えた藤士郎。すべてが終わったと知って安堵の表情を浮かべ肩の力を抜いた。
「そうか、王子の狐たちが助けてくれたのか」
「というか、そもそもの話。おれたちは連中の尻ぬぐいをさせられていたようなもんだしな」
「えっ、どういう意味なの?」
「例の死体にとり憑いていた稲荷くずれの黒狐。もとは王子稲荷の眷属だったらしいぞ」
かつては真面目にお勤めしていたそうだが、たまさかお遣いで下界に降りたときに、見目麗しい若侍と出会った。
たちまち恋に落ち、相愛の仲となり、添い遂げるべくふたりは手に手をとりあって……。
だがふたりの仲は上手くいかなかった。
大身の旗本から婿養子の口が舞い込み、若侍が立身出世に目が眩んで、邪魔になった眷属の女を騙して誘い出し手にかけたのだ。
裏切られた女の嘆きはひとしお。その恨みは強く、ついには自分を裏切った男を殺し、愛憎のあまり血肉を貪り喰らい尽くすほど。
その後、怨念は鎮まるどころかますます荒ぶり、夜ごと八王子付近に出没しては、甘い色香に騙されて、ほいほい近寄って来る男どもを喰い殺す、をくり返すようになる。
それを退治したのが旅の僧。
しかし事情を聞けば憐れにて、王子稲荷たちの取りなしもあり、滅することなく祠に封印したのが、いまから二百年ほど前のことであった。
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