狐侍こんこんちき

月芝

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其の百四十四 飛鳥山の死闘!

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 次々と襲い掛かってくる黒狐の女怪が放つ影の腕たち。
 上へと活路を求めた藤士郎が木の幹を蹴り跳躍。枝から枝へと渡っていたところを、行く手を遮るように追撃が飛んでくる。
 空中ゆえに、これはかわせない。
 藤士郎はとっさに小太刀を一閃。

「ぎゃあぁぁあぁぁぁーっ!」

 断末魔のごとき女の絶叫が鳴り響く。
 斬られたのは影の腕のうちの一本。
 狐侍の愛刀は無銘の物。丈夫で使い勝手がよく、手にもしっくり馴染んでいるが、特別な力は宿っていない。よって実体のない相手は斬れないはず。
 なのに斬れた……おそらくは自分の体の異変の影響であろう。うれしい誤算である。だがそれと同時に藤士郎は悟っていた。この状態がさほど長くは続かないということを。

「なんとしてもその前に片をつける」

 意を決した藤士郎。一転して攻勢へと打って出る。

  ◇

 ぎぃいぃん!
  ぎぃいぃぃん!

 激しいぶつかり合い。
 黒狐の女怪と狐侍。夜の飛鳥山を縦横無尽に駆け回り、飛び回ってはしのぎを削る。その動きはもはや人にあらず。いかなる達人ですらも到達し得ないであろう、地の楔から解き放たれた人外の領域。

 斬り伏せた影の腕の数は、十三。
 直接、本体の女怪に接敵して斬り結ぶこと、五度。

 これによりかなりの手傷を負わせたものの、藤士郎もまた無事ではすまない。あちらこちらに反撃を受けて、大小たくさんの傷をこさえている。ひとつひとつを比べれば、藤士郎が負わせた方が深い。だがけっして優勢ではない。むしろ予断を許さない状況へと追い込まれつつある。
 原因は傷の質。黒狐の女怪の爪に宿るのは複数の女の呪怨。これにやられると、毒となりじょじょに体が蝕まれていく。かつて近藤左馬之助が受けたのと同じ症状に、苦しめられる藤士郎。それでも止まるわけにはいかない。

 残る影の腕は三本。

「このままいっきに押し込む!」

 猛る藤士郎、重たくなった体に鞭打ち、前へと。
 対する黒狐の女怪も牙を剥き吠える。

「憎い、憎い、憎い、苦しい、妬ましい、痛い、辛い、恐い、死ね、死ね、死ね、どいつもこいつも、みんなみんな、死んでしまえぇぇぇっ!」

 ひと塊となった恩讐を前面に押し出しては、これをぶつけての迎撃。向かううちに着物の前がはだけて、女怪の姿が獣のそれへと変わる。
 二本足から四本足となり地を駆ける黒狐。踏み込む力が倍となり、勢いがぐんと増す。身にまとっていた殺意が、妖気が、腐臭が、死の気配が、いっきに膨らんではじけた。
 悪意が怒涛となって押し寄せる。その波を引き連れ、馬ほどもある妖獣が大砲の弾丸となりて突っ込んでくる。

 ここが勝負の分かれ目、藤士郎は怯むことなく、さらに前へと。
 互いの距離がみるみる縮まり、ついにひとつに重なった。
 拳を突き出すようにして振るわれたのは、藤士郎の逆手による薙ぎの一刀。狙うは相手の大きく開かれた口元。狙い通りに刃が吸い込まれていく。あとは勢いのままに振り抜くだけ。
 だが刃は途中で止められた。閉じられた口、口腔内にずらりと居並ぶ凶牙ががっちりと咥え込んでしまったのである。
 にぃと目を細める黒狐。ぎらりと光る右前肢の鋭い爪。
 二度と蘇れないように今度は首を掻き切る。
 勝利を確信する黒狐。けれどもその勝利は寸前で手の内より零れ落ちた。
 敵を倒し歓喜の雄叫びをあげるはずであった喉の奥より、溢れたのはどろりとした黒い血。

 右の脇の下から肺を貫通し心の臓へと達するようにして、刺し込まれていたのは藤士郎の愛用の小太刀・烏丸。
 だが、それは黒狐の口によって封じられていたはず。
 いいや、ちがう。よくよく見てみれば黒狐が咥えていたのは刀身ではなくて鞘の方。
 土壇場にて謀られたと知って、大きく目を見開く黒狐。
 そうしている間にも藤士郎は小太刀を持つ手に力を込めて、切っ先をより深くねじ込んでいく。
 黒狐、ふたたび喀血。二度ほど左右に首が揺らぎ、ぐらりと大きく獣の体が傾いだ。

 もはやこれまで、そのまま倒れる。
 そんな考えが脳裏に浮かんだ刹那、藤士郎の心にわずかな油断が生じた。
 まるでその心の機微を読んだかのようにして、黒狐が倒れる寸前にて踏ん張り持ちこたえる。
 次の瞬間、藤士郎の身は大きく撥ね飛ばされていた。
 前肢による攻撃。崩れた体勢のままで単に振り抜いただけの一撃ゆえに、威力はさほどではない。それでも喰らった藤士郎の身は最寄りの松の木にしたたかに打ちつけられた。

 背中から胸へと突き抜ける衝撃に、肺にあった空気が残らず強制的に吐き出させられる。
 その余波で意識と肉体にずれが生じる。首から上と下が連動を欠く。全身の筋肉が弛緩し、指先が小刻みに震えた。思うように動かせない。

「ぐっ、いま襲われたらおしまいだよ」

 しかしながらそうはならなかった。
 黒狐は倒れている藤士郎にはかまわず、ふらつく足どりにて向かうのは松林の奥。
 おそらくは果てる前にせめて美耶に一太刀を……との考えなのであろうが、なんという執念! なんという妄執!
 いったい何が黒狐をそこまで駆り立てているのであろうか?
 そこまでの憎悪を抱く理由が、藤士郎には見当もつかない。だがわかっていることもある。それはあんな黒狐を美耶の下に行かせては駄目だということ。あの様子だと、たとえ首だけになっても飛びかかりそうである。
 だから奴を止めるべく、立ち上がろうとした藤士郎であったが立ち眩みにて「あっ」
 ついに体が限界を迎えてしまったのだ。藤士郎はそのままどうと倒れ込み、ぷつんと意識が途切れてしまい、すべてが闇に閉ざされる。


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