狐侍こんこんちき

月芝

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其の百四十二 影手

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 ひょうたん沼にて桑名以蔵らが攻防を繰り広げていた同刻。
 殿(しんがり)となって、ひとり奮闘していたのは九坂藤士郎。

 次々と襲いかかってくる敵たち。これをいなしつつ狙うは弓の射手。
 木々の陰に紛れ接近。足は止めない。つねに動き続けることで狙いを絞らせない。そして程よい距離にまで近づいたところで、わざと敵前に姿をさらす。
 とたんにひゅんと飛んできたのは矢。
 なおも藤士郎は止まらない。駆けながら頭を下げてこれをやり過ごす。
 いつ放たれるかわからない矢はやっかいだ。だから誘うことでこれを制御下に置く。それに来る方向、射る頃合いがわかっていれば、かわすのはさほど難しくはない。

 藤士郎はたんっと地面を蹴り大きく踏み込んだ。
 ひと息に間合いを詰めたところで小太刀を振り抜く。

 ぶつん。

 断たれたのは弓弦。
 射手は弓を投げ捨てて腰の物を抜こうとするも、それはさせない。
 襟首を掴んで、ぐいっ。足をかけうしろへと引き倒す。鈍い音がして後頭部を地面で強打。
 それでもなお立ち上がろうとしたもので、藤士郎は顔面を蹴り飛ばす。
 はずみで脱げたのは黒い狐の面。
 とたんに射手はぐったり静かになった。
 どうやら男たちを操っているのは、この黒い狐の面のようだ。これさえ剥げば彼らは解放されるらしい。
 わかってみれば、簡単なからくり。
 とはいえ激しいやり取りのさなかに面だけを奪うのは、なかなかに骨が折れること。

「ふぅ、面倒だけど助ける方法がわかった以上は、やれるだけやってみるか」

 ここから先は重点的に面を狙っていく。
 方針を固めた狐侍は反転し、攻勢へと打って出る。

  ◇

 数の不利を覆すのに各個撃破は常套手段。
 それに従って、着実に敵の数を減らしていく藤士郎。
 しかし敵もさるもの。戦っているうちに三方を敵に囲まれてしまった。
 どうにかして逃れようとするも、その都度、一定の距離を保って敵も動く。
 一角を崩そうと詰め寄れば、その分素早く後退して、他のふたりが詰めてくる。
 ここにきて敵勢の連携がとれてきた。
 つねに側面や背後を脅かされる状況。冷や汗が流れ、精神がごりごり削られる。これでは集中力がもたない。

 あまり長引かせるのは得策ではないと判断した藤士郎。「ならば」と最寄りの太い木を目がけて駆け寄り、ぶつかりそうな勢いのまま向かって跳ねた。
 跳躍にて足をかけたのは、木の幹より盛り出している瘤の箇所。これを足場としてさらに跳躍。斜め後方へと身を踊らせては、くるんと宙返り。
 これにより地でのかけ引きが、天を含めたかけ引きへと移行する。
 囲んでいた三名はこの変化に対応できず。追いすがろうとしたところで足踏み、藤士郎に頭上を越えるのを許してしまう。
 三角陣より抜け出した藤士郎、すかさず一角を担う者を打ち据えた。小太刀による横殴り。峰打ちにて頭部を殴打、面ごと叩き潰す。

 たったいま倒した相手の背中を思い切り蹴飛ばし、残るふたりのうちのひとりに押しつけ、もたついている間にもう一方と対峙する。
 突き出された切っ先、その下を潜り抜け、すれ違いざまに腕の筋を一閃。刀を持つ腕がだらりと力を失ったところで、無防備となった顔面。間髪入れずに眉間へと吸い込まれたのは小太刀の鞘。藤士郎の愛用の小太刀・鳥丸(からすまる)の鞘の先端には鉛が仕込んであり、打撃武器としても使えるようになっている。
 ひょうしに黒い狐の面がぱかんと縦に割れ、相手が膝から崩れ落ちた。

 あとひとり。
 互いの位置がちょうど松の木を挟んでいる。その死角を利用して藤士郎は相手の背後へと回る。するとまだもたついていたもので、素早くこれを仕留めた。

  ◇

「ふぅ」

 大きく息を吐き汗を拭う藤士郎。周囲に敵影なし。自分が引きつけていた分はみな倒せたようである。数は十三、敵勢の半分ほど。
 残りは藤士郎を無視して、美耶たちの方へと向かったのであろう。
 そこで急ぎ合流すべく走り出した藤士郎であったが……。

 松林の奥からかすかに聞こえてくる喧騒の音を頼りに、駆ける。
 すると前方の松の枝にて、ひらひら揺らめく布が目に入った。
 はっとして藤士郎は思わず立ち止まる。
 それは頭巾に使っていた布、あの女が被っていた物だ。姿が見えなかったもので、てっきり先行しているのかとばかり。

 小太刀を抜いて警戒する藤士郎。
 その鼻腔にぷぅんと漂ってきたのは、吐き気をもよおす腐臭。
 たまらず「うっ」顔を伏せて鼻を手で庇おうとするも、その瞬間、横合いの闇から飛び出してきたのは鋭い爪の生えた黒い腕。

 黒狐の物の怪による襲撃!

 からくも直撃はかわすも、袖口をざっくり裂かれた藤士郎は後退、迎撃体勢を整えようとする。
 だがしかし、そこで異変に見舞われた。

「なっ! これは?」

 地に足をついたのと同時に、いきなり何者かに両足首を掴まれた。その正体は影の腕。のみならず、さらに足下から次々とあらわれる別の影の腕らが、腰にまとわりつき、着物の袖などを掴んでくるではないか!
 身動きを封じられた藤士郎。
 背後にて次第に高まっていくのは、濃厚な殺意。
 このままではまずい。どうにか状況を打破しようと足掻く。けれども直後に背中に強い衝撃を受けて、「あっ」
 刺された。背後から心臓をひと突き。
 たちまち全身から力が抜けて意識が遠のいてゆく。


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