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其の百四十 ひょうたん沼の攻防 前編
しおりを挟む殿(しんがり)を引き受けた九坂藤士郎が弓持ちへと向かう一方。
先を行く美耶と桑名以蔵のもとへも追手が迫りつつあった。
松の木を右へ左へと避け先を急ぐ。
そんなふたりの前に突如としてあらわれたのは、小さな沼地。
小さいとはいえ全長で十三間ほどもあり、ひょうたんの形をしている。夜の水面は黒い奈落のよう。深さはちょっとわからない。
あわてて沼を迂回しようとする美耶。だが桑名以蔵はその手を引き「こっちだ」
桑名以蔵が足を向けたのは、ひょうたん沼の中央付近にあるくびれた部分。
進むほどに道幅はみるみる狭まり、やがて突き当りとなった。向こう岸までは四間ほど。近そうで遠い微妙な距離。忍びの者でもあればひと息に飛び越えられそうではあるが、女の足と義足の杖持ちというふたりでは、とても超えられそうにない。
これでは自ら死地に飛び込んだようなもの。
「桑名さま、どうしてわざわざこんなところに!」
興奮する美耶、だが桑名以蔵は平然と言った。
「九坂殿ががんばってくれているが、どうせ逃げきれない。だからここで背水の陣を敷く。ここならば囲まれない。お嬢さんを守りながら一度に大勢の相手をせずにすむ。正面の敵だけに集中できる」
足が不自由であるがゆえに、待ちの姿勢、後の先の剣を得意とする桑名以蔵。
地の利を活かして自らが壁となる所存。
桑名以蔵の覚悟を前にして美耶もうなづいた。
◇
松林からぞろぞろとあらわれる黒い狐の面をつけた男たち。
その数十ばかり。敵勢の半数ほど。頭巾姿の女はなし。どこかに潜んで様子をうかがっているのか、あるいは九坂藤士郎の方へと向かっているのか。
対する桑名以蔵は一本道にて背に美耶を守っている。腰を落とし、仕込み杖を腰に当てての抜刀姿勢。全身から溢れるのは「寄らば斬る」との剣気。操られている小木野道場の連中が尋常な状態ではないとうことは、藤士郎より知らされている。もとより刀を抜いて向かってくる相手に、情けをかけるつもりは毛頭なし。
にらみ合いの時間は短かった。すぐに戦いが始まる。
先に動いたのは黒い狐の面をつけた男ども。
殺到する敵勢。そのうち、いち抜けした者が刀を上段に構えたまま、一本道へと突入してくる。
瞬間、閃いたのは仕込み杖の刃。
近づいてきた相手の喉笛へと吸い込まれる切っ先。血飛沫が上がった。半ば断たれた首がぐらり、斬られた男の身が千鳥足にて、どぼんと沼に落ちた。
まずはひとり、だが息つく暇もなく後続が襲いかかってくる。
抜刀術は使いこなせれば強力だが、繊細な技にてわずかにでも調子や体勢が崩れると、たちまち勢いを失う。また初撃が凄まじいがゆえに、刀を放った直後には隙が生じやすい。
その隙に乗じようとする二番手。狙いは悪くない。だがしかし……。
鞘走りにて思い切り振られた仕込み杖の刃。
通常であれば抜いた先の宙で翻り、すとんと納刀までの一連の動作が抜刀術。
けれども桑名以蔵は刀を戻さない。それどころか、もっと先へ奥へと。
ぐっと強く踏み込んだ義足の先が地面にめり込む。これを軸としてその身が独楽のように右回転。合わせて刃がさらに加速し、二番手の手首のひとつを刎ね飛ばす。
かとおもえば、いきなりぴたりと急停止する桑名以蔵の体。
重心を義足に預けつつ、左の健脚にて地面をとんと押すと、すかさず左回転を始める。
一連の動作は、まるで油でも差しているかのような滑らかさ。逆回転による返す刀で、立ち尽くす相手の太腿を深々と薙ぎ払う。
電光石火の連撃。
異質にして異才。五体満足では成し得ない義足ゆえの剣。
主に横回転で閃く刃。速く鋭くうかつには近寄れない。
ならば縦からの攻めではどうか? と続く三番手。仲間の屍を踏み台として踊りかかってくるも、これを迎え討ったのは刺突による一撃。
狙いすました切っ先が心臓を抉る。
こうして戦いの序盤を制したのは桑名以蔵。
さすがに出足が鈍った敵勢。やや様子見となる。
かかる圧が緩んだところで、桑名以蔵はさりげない仕草にて血刀を着物の袖で拭う。刀の状態を確認し、内心で舌打ち。
刀身は歪んでいないが、少し刃こぼれが生じていた。切っ先が骨に当たった時に、運悪く固いところにぶつけて欠けたらしい。
仕込み杖は携帯には便利なのだが、反面、強度に問題がある。だからこそ刃を痛めないようにと間合いの見極めには注意していたのだが、敵が考えなしに突っ込んでくるから、なかなか目論み通りにはいかない。
「まるで死兵だな」
そのつぶやきが合図となり、ふたたび敵勢が動きだす。
ひょうたん沼の攻防はさらに激化していく。
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