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其の百三十九 擬き(もどき)
しおりを挟む王子稲荷を目指していた一行。
あと少しというところで、たぶらかされた小木野道場の者どもを引き連れてあらわれた頭巾姿の女。泡を喰って逃げる雲助たちには目もくれず。藤士郎たちにのみ狙いを定め、挟み撃ちにせんとにじり寄って来る。
捨て置かれた駕籠から這い出してきた桑名以蔵と美耶。
「どうする?」
美耶を庇いながらの桑名以蔵の問いかけに、藤士郎は敵勢の動向に注意しつつ周辺をちらり。急ぎ思考を巡らせる。
ここは川沿いの土手道、なだらかな斜面を降りれば荒川の河川敷がある。開けており自由に駆け回れる広さがある反面、身を隠すところがない。敵からは自分たちの姿が丸見え。
一方で反対側は飛鳥山の裾野に位置しており、松林がある。宵闇という時刻、すでに奥は真っ暗。松を盾として使えるが、死角も多い。
河川敷と松林、どちらも一長一短。
だがのんびりと選んでいる暇はなかった。敵勢の中に弓でこちらを狙っている者がいたからである。
「くっ、連中、弓まで持ってきている。河原は駄目だ。こっちへ」
藤士郎が殿(しんがり)となり、ふたりを飛鳥山の松林の方へと逃がす。
させまいと敵勢も一斉に動きだした。
◇
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
夜の林に地面を蹴る足音が折り重なる。
木立ちの合間を抜けるように走る藤士郎。
追いすがる多勢。連携が巧くないのがせめてもの救いであるが、じょじょに距離を詰められている。逃げる側よりも追う側の方が足が速い。着実に網が狭まりつつある。
逃げ口を塞がれる前に、こちらからひと当てすべきか。
なんぞと藤士郎が考えていると……。
びぃん!
鳴ったのは弓弦の音。
闇を突っ切り、背後から迫る矢。
とっさに脇へとかわした藤士郎は目を見張る。矢が深々と木の幹に突き刺さっていたからである。三寸ほどもめり込んでいる。厚い皮を持つ生木を相手にして、なんという強弓!
だがおかしい。弓矢は特別な品というわけでなし、射ち手にいたっては小木野道場の門弟のひとり。殺気が駄々洩れ、放つ仕草からして、その道の達人という風でもない。
かつて藤士郎は幽霊星騒動のおりに、殺しを生業とする裏稼業の刺客らと戦ったことがある。その中には弓の達者も混じっており、狙いは正確無比にてそれは恐ろしく手強い相手であった。
あれに比べるとこちらはまるで児戯のようなもの。なのにこの威力……ありえない。
その疑念に対する答えは、続く襲撃により判明する。
右から飛びかかってきた新手。
寄声とともに振り下ろされた白刃。これを打ち払おうと小太刀を向ける藤士郎。けれども刃同士がぶつかった刹那、思いのほか重たい一撃にぎょっ!
このままでは刃こぼれを生じる。
とっさに受け流し対処するも、その一撃は藤士郎の知るものではなかった。刀を通じて腕の芯にまでじぃんと響くほどの衝撃。強い打ち込み。先の試合の時にはなかった圧が含まれている。なのに体捌きや剣筋はやはりいまひとつ。いや、真剣を木刀のように振っている時点で、かなり未熟と言えよう。
小太刀の表面を滑り落ちてゆく敵の刃。
ふたつの刃が離れたひょうしに小さな火花が散った。
受け流され、体勢を大きく崩した敵。すれ違いざまに藤士郎が斬り裂いたのは相手の右膝上の部位。とたんに傷口より血がどろりと流れる。足の踏ん張りが効かなくなり、転がる相手。それを横目に次なる敵へと対峙しようとした藤士郎であったが、ある光景を目の当たりにして「そういうことか」とぼそり。
足を斬られたはずの相手がゆらり、立ち上がった。己の血で下半身を真っ赤に染め、足下には血溜まり。なのに平然としている。
とてもまともに動ける傷ではない。なのにまるで自分の身を省みない行動。
痛みを感じていないのか。さりとて血の流れ具合からして死人返りとは違う。そしてあのちぐはぐな強さ。
どうやら小木野道場の連中は、黒狐の物の怪に意識を奪われ操り人形と化すことにより、限界以上の力を発揮しているらしい。それがあのあり得ない強弓や豪剣のからくり。
「気をつけて、桑名さん。連中、やたらと頑丈になって力も強くなってるっ!」
藤士郎は声を張り、先行している仲間らに注意を促しつつ、立ち上がったばかりの相手に駆け寄り、後頭部を小太刀の柄頭で殴打。
普通であれば昏倒する一撃。しかし相手はすでに意識を失っているので、またもやすぐに立ち上がってくる。
狐侍は「ちっ、やはり駄目か」と舌打ち。
やっかいなことになった。これだとほとんど死人と変わらない。迷惑な死人擬き(もどき)。いっそ完全な死人返りであれば、こちらも遠慮せずに斬り伏せられるというのに。
なおもしつこい相手を乱雑に蹴り倒す。わずかな逡巡ののち、藤士郎が足を向けたのは美耶たちの方ではなくて、後方。先に面倒な弓持ちを片づけることに決めた狐侍は、駆け出した。
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