狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
133 / 483

其の百三十三 軽い神輿と押し売り

しおりを挟む
 
 松坂屋ほどの身代ともなれば取引先も多い。当然ながらいろんな身分の者たちが訪ねてくるので、客層や格に応じた客間が用意されてある。
 その中でももっとも質素なところに通され、店主の庄衛と娘の美耶と向かい合っている男三人。
 男らのうちのふたりは厳めしい顔つきと体躯。これらは小木野道場の高弟であり、その間に挟まれている細面が道場主である小木野宗近。色白にてつるんとした卵肌、よく整えられた眉や髷、身なりもきちんとしており、顔には笑み。
 一見するとどこぞの若さまのような容姿にて、茶屋で愛想のひとつでも振りまけば、たちまち黄色い歓声が起こることであろう。
 だがしかし……。

  ◇

「ねえ、あれが二代目って本当なの?」
「らしいぞ。おれも吃驚だ。先代が『自分が死んだら道場をたため』って遺言を残したのにも、納得だな」
「えっ、そうだったの。初耳なんだけど」
「あぁ、おれもついさっき美耶お嬢さまに聞かされて知った」

 こしょこしょこしょ……、声を潜めて話していたのは、九坂藤士郎と桑名以蔵。
 ところは簡素な客間、広さは六畳ほど。そこにだいの男が六人に娘ひとりはちと手狭。そこで警護役のふたりは続きの間にて襖を開けて控えている。
 店に戻った当初、藤士郎は雇い主が客人らの相手をしていると番頭より聞いて、邪魔をしてはとそのまま奥に引っ込もうとしたのだが、耳聡い美耶より「すぐに来るように」と女中経由にて声をかけられ、ここに座らされている。

 それで話を小木野宗近を戻すが、どうして藤士郎らが驚いているのかというと、彼の手や体つきを見たから。
 指先があまりにもきれい過ぎる。
 着物の袖からのぞく腕もなよっとしている。
 肌がやたらと白いのも気になるが、それは生まれ持った肌質などもあるので、とりあえず脇へと置いておく。
 日々かかさず真面目に木刀を振っていれば、手にはまめができては潰れるを繰り返し、やがて皮膚が堅く厚くなっていくもの。いかに軽い木刀を用いていても、身が締まれば腕だってそれなりに太くなる。芯が通り腰だってどっしり座る。力むあまり、つい奥歯を噛みしめるから顎先はぎゅっと絞られ、顔の輪郭がしゅっとする。
 とどのつまりは、小木野宗近の体は剣客のそれじゃないということ。

「えーと、人は見かけによらないとも言うし。ひょっとしたら、じつはすごい剣の才能の持ち主で、通常の鍛錬なんぞはいらない、とか?」

 剣の道のみならず、他の道においてもときおりそんな鬼才の持ち主がぽっとあらわれることはある。
 そのような者は、凡人が十を聞いてせいぜい五ぐらいを、必死になってものにしているのを横目に、一を聞いては十を知り、あっという間に追い抜いていく。
 では、その鬼才が大成するのかというと、これが微妙なところ。
 優秀であるがゆえに自惚れ、他者を小馬鹿にしては次第に心が歪み、己の才に溺れることがままあるのだ。
 よき師、よき友、よき仲間……。いろんな良縁に恵まれなければ、あっという間に根腐れを起こしてしまう。
 鬼才は鬼才であるがゆえに育てるのが難しい。

 だが藤士郎のこの言葉に桑名以蔵は首を横に振った。
 どうやら違ったらしい。
 小木野宗近は奸臣どもが担ぐのに丁度いい、軽い神輿であったようだ。
 そんな軽い神輿が「わっしょい、わっしょい」
 ぞろぞろと門弟を引きつれて、松坂屋に押しかけている。
 理由は藤士郎が店を離れているときに、美耶が危ない目にあったから。

  ◇

 美耶の生け花の師匠が転んで怪我をしたというので、そのお見舞いにと出かけた帰り道でのこと。
 師匠の家は松坂屋からさほど離れておらず。
 それぐらいの距離であれば杖がかかせない桑名以蔵の足でも問題なかろう。それにたまには外の空気を吸って陽の光を浴びねば、気鬱になってしまう。「ほんの近くだし、すぐに戻ればいいだろう」と判断したのは美耶自身であった。

 日中の往来、周囲に人の目もある。
 警護役の用心棒はもちろんのこと、念のために奉公人もふたりばかり余計につけた。女中と丁稚も数えれば六人連れ。
 油断が微塵もなかったかといえば嘘になる。
 それでも寄り道なんぞはせずに、真っ直ぐ帰ろうとしていたところ、不意に横合いより飛んできたのは石礫。美耶へと向かってくる。
 斜めうしろにいた桑名以蔵はいち早くそれに気がつき、ずいと前へ。美耶と入れ替わりこれを杖で叩き落とす。
 大きさは碁石程度の玉砂利。とはいえ当たり所が悪ければ怪我をする。ましてや娘の顔にでも当たれば、最悪、一生物の傷が残りかねない。
 悪戯にしては、いささか度が過ぎている。
 投擲は明らかに美耶を狙っていた。例の奇妙な女の仕業かどうかはともかく、一刻もはやく家に戻った方がいい。
 だから桑名以蔵が一行を急かそうとふり返ったときに、それは起きた。

「きゃっ!」

 悲鳴をあげたのは美耶。見れば「あ痛たたた」と尻もちをついているではないか。しかも「何者かに急に腕を掴まれて引っ張られた」と言う。
 みんなの注意が飛礫と、桑名以蔵の鮮やかな手並みに向いている隙にやられたらしい。
 さいわいそれだけで済んだが、すっかり胆を冷やした一行は帰路を急いだ。
 その話をどこぞより拾ってきた小木野宗近。これ幸いと一党を引き連れて乗り込んで来ては「やはりどこの馬の骨ともわからぬ用心棒では頼りにならぬ! ここは我らに任せよ」との恩の押し売り。
「さあさあ」腰の得物と人数に士分という立場を笠に着て、強気に迫る小木野一党に、主人の庄衛はしどろもどろにて脂汗たらたら。しかし相手が軒先を借りて母家を乗っ取る気まんまんなのを知っている美耶は、頑としてこれを拒絶。
 話はいつまでたっても平行線。不毛な時間ばかりが流れていく。
 するといい加減に焦れたのか、小木野宗近がこんなことを言い出す。

「これほど言葉や礼を尽くしても、松坂屋さんや貴女の身を案じているのをわかってもらえませんか。とても残念です。ではこうしましょう。そこの用心棒とうちの者とで試合をして、白黒つけようじゃありませんか」


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

処理中です...