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其の百三十三 軽い神輿と押し売り
しおりを挟む松坂屋ほどの身代ともなれば取引先も多い。当然ながらいろんな身分の者たちが訪ねてくるので、客層や格に応じた客間が用意されてある。
その中でももっとも質素なところに通され、店主の庄衛と娘の美耶と向かい合っている男三人。
男らのうちのふたりは厳めしい顔つきと体躯。これらは小木野道場の高弟であり、その間に挟まれている細面が道場主である小木野宗近。色白にてつるんとした卵肌、よく整えられた眉や髷、身なりもきちんとしており、顔には笑み。
一見するとどこぞの若さまのような容姿にて、茶屋で愛想のひとつでも振りまけば、たちまち黄色い歓声が起こることであろう。
だがしかし……。
◇
「ねえ、あれが二代目って本当なの?」
「らしいぞ。おれも吃驚だ。先代が『自分が死んだら道場をたため』って遺言を残したのにも、納得だな」
「えっ、そうだったの。初耳なんだけど」
「あぁ、おれもついさっき美耶お嬢さまに聞かされて知った」
こしょこしょこしょ……、声を潜めて話していたのは、九坂藤士郎と桑名以蔵。
ところは簡素な客間、広さは六畳ほど。そこにだいの男が六人に娘ひとりはちと手狭。そこで警護役のふたりは続きの間にて襖を開けて控えている。
店に戻った当初、藤士郎は雇い主が客人らの相手をしていると番頭より聞いて、邪魔をしてはとそのまま奥に引っ込もうとしたのだが、耳聡い美耶より「すぐに来るように」と女中経由にて声をかけられ、ここに座らされている。
それで話を小木野宗近を戻すが、どうして藤士郎らが驚いているのかというと、彼の手や体つきを見たから。
指先があまりにもきれい過ぎる。
着物の袖からのぞく腕もなよっとしている。
肌がやたらと白いのも気になるが、それは生まれ持った肌質などもあるので、とりあえず脇へと置いておく。
日々かかさず真面目に木刀を振っていれば、手にはまめができては潰れるを繰り返し、やがて皮膚が堅く厚くなっていくもの。いかに軽い木刀を用いていても、身が締まれば腕だってそれなりに太くなる。芯が通り腰だってどっしり座る。力むあまり、つい奥歯を噛みしめるから顎先はぎゅっと絞られ、顔の輪郭がしゅっとする。
とどのつまりは、小木野宗近の体は剣客のそれじゃないということ。
「えーと、人は見かけによらないとも言うし。ひょっとしたら、じつはすごい剣の才能の持ち主で、通常の鍛錬なんぞはいらない、とか?」
剣の道のみならず、他の道においてもときおりそんな鬼才の持ち主がぽっとあらわれることはある。
そのような者は、凡人が十を聞いてせいぜい五ぐらいを、必死になってものにしているのを横目に、一を聞いては十を知り、あっという間に追い抜いていく。
では、その鬼才が大成するのかというと、これが微妙なところ。
優秀であるがゆえに自惚れ、他者を小馬鹿にしては次第に心が歪み、己の才に溺れることがままあるのだ。
よき師、よき友、よき仲間……。いろんな良縁に恵まれなければ、あっという間に根腐れを起こしてしまう。
鬼才は鬼才であるがゆえに育てるのが難しい。
だが藤士郎のこの言葉に桑名以蔵は首を横に振った。
どうやら違ったらしい。
小木野宗近は奸臣どもが担ぐのに丁度いい、軽い神輿であったようだ。
そんな軽い神輿が「わっしょい、わっしょい」
ぞろぞろと門弟を引きつれて、松坂屋に押しかけている。
理由は藤士郎が店を離れているときに、美耶が危ない目にあったから。
◇
美耶の生け花の師匠が転んで怪我をしたというので、そのお見舞いにと出かけた帰り道でのこと。
師匠の家は松坂屋からさほど離れておらず。
それぐらいの距離であれば杖がかかせない桑名以蔵の足でも問題なかろう。それにたまには外の空気を吸って陽の光を浴びねば、気鬱になってしまう。「ほんの近くだし、すぐに戻ればいいだろう」と判断したのは美耶自身であった。
日中の往来、周囲に人の目もある。
警護役の用心棒はもちろんのこと、念のために奉公人もふたりばかり余計につけた。女中と丁稚も数えれば六人連れ。
油断が微塵もなかったかといえば嘘になる。
それでも寄り道なんぞはせずに、真っ直ぐ帰ろうとしていたところ、不意に横合いより飛んできたのは石礫。美耶へと向かってくる。
斜めうしろにいた桑名以蔵はいち早くそれに気がつき、ずいと前へ。美耶と入れ替わりこれを杖で叩き落とす。
大きさは碁石程度の玉砂利。とはいえ当たり所が悪ければ怪我をする。ましてや娘の顔にでも当たれば、最悪、一生物の傷が残りかねない。
悪戯にしては、いささか度が過ぎている。
投擲は明らかに美耶を狙っていた。例の奇妙な女の仕業かどうかはともかく、一刻もはやく家に戻った方がいい。
だから桑名以蔵が一行を急かそうとふり返ったときに、それは起きた。
「きゃっ!」
悲鳴をあげたのは美耶。見れば「あ痛たたた」と尻もちをついているではないか。しかも「何者かに急に腕を掴まれて引っ張られた」と言う。
みんなの注意が飛礫と、桑名以蔵の鮮やかな手並みに向いている隙にやられたらしい。
さいわいそれだけで済んだが、すっかり胆を冷やした一行は帰路を急いだ。
その話をどこぞより拾ってきた小木野宗近。これ幸いと一党を引き連れて乗り込んで来ては「やはりどこの馬の骨ともわからぬ用心棒では頼りにならぬ! ここは我らに任せよ」との恩の押し売り。
「さあさあ」腰の得物と人数に士分という立場を笠に着て、強気に迫る小木野一党に、主人の庄衛はしどろもどろにて脂汗たらたら。しかし相手が軒先を借りて母家を乗っ取る気まんまんなのを知っている美耶は、頑としてこれを拒絶。
話はいつまでたっても平行線。不毛な時間ばかりが流れていく。
するといい加減に焦れたのか、小木野宗近がこんなことを言い出す。
「これほど言葉や礼を尽くしても、松坂屋さんや貴女の身を案じているのをわかってもらえませんか。とても残念です。ではこうしましょう。そこの用心棒とうちの者とで試合をして、白黒つけようじゃありませんか」
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