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其の百三十二 死人返り
しおりを挟む美耶の周辺をうろつく頭巾姿の奇妙な女。
忙しいお役目の合間にも稽古を欠かさず、実戦経験も豊富なあの近藤左馬之助が遅れをとった相手。黒い狐の女怪であったというが……。
藤士郎が松坂屋へと足早やに戻る道すがら。「ちょいと気になるからおれもついて行く」という銅鑼を抱えて歩いていると、口から零れたのはとある疑問。
「でも、どうして左馬之助だけが……」
頭巾姿の奇妙な女、これまでにも度々店の者などに接触をはかってきた。一度なんぞは藤士郎と追いかけっこもした。神出鬼没にて捉えどころがなく薄気味悪くはあったものの、それだけといえばそれだけのこと。実害はなかった。怪我人が出たのは今回がはじめてのこと。藤士郎はそのことを訝しんでいたのである。
すると腕の中にいるでっぷり猫が言った。
「おそらくは左馬之助の剣気に反応したのだろう。なまじ勘が鋭く、腕があったのが災いしたな。だが話を聞いたかぎりでは、どのみち遅かれ早かれ凶事は起きていただろうよ。
黒い狐ってのはたぶん稲荷くずれだ。そいつと複数の女の念が、どういった成り行きで結びついたのかまでは知らねえがな。
あとひとつ気になったのは、左馬之助が女と対峙した時に感じた腐臭とやらだ。
ひょっとしたら死体に稲荷くずれがとり憑いているのかもしれん。
ならば左馬之助が放った渾身の抜刀を、やすやすと素手で止めたというのもわからんでもない。なにせ相手は死人だからな。生きている人間のように痛みを感じなければ、無意識のうちに加減をして己を守ろうともしない。それこそ体がぶっ壊れることを厭わない。
とはいえ、だ。そんなごった煮みたいな状態で、いつまでも無茶ができるわけじゃない」
徐々に活動限界が近づいている。
ゆえに相手が動けなくなるまで守り切ればこちらの勝ち。
でもだからこそ、よりいっそうの用心が必要だと銅鑼は忠告する。
なぜなら左馬之助との邂逅をきっかけとして、歯止めが効かなくなりつつあるから。ここから先は強引な手段に打って出てきてもおかしくない。
となればやはり心配なのは美耶のこと。桑名以蔵がついており、店の奥に引っ込んでいるからめったなことはないとはおもうけど。
藤士郎は小走りにて道を急ぐ。
◇
あと少しで松坂屋というところで、狐侍の目に飛び込んできたのは人だかり。何やらすでに騒ぎが起きている模様。
「すわっ、手遅れであったか!」
焦る藤士郎。「ちょいとごめんよ、通しておくれ」と人混みをかき分けかき分け。
揉みくちゃにされながら、ようやく辿り着いた店先は出かけた時のまま。松坂屋は無事とわかって藤士郎は安堵する。
でも、人だかりの理由を知って眉間に皺を寄せた。
店はたしかに無事である。
だがその軒先には複数の道着姿があり、木刀片手にめったやたらと周囲へにらみを利かせては威嚇し、ずいぶんと物々しい雰囲気。
それをたまさか通りがかった者らが「いったい何事?」と足を止めては、遠巻きにしていたのである。
藤士郎には彼らに心当たりがあった。おそらくは松坂屋の先代が支援して開かれたという小木野道場の門弟たちであろう。
「ということは、松坂屋に道場主が出張ってきているのかしらん。うわぁ、美耶お嬢さま、荒れてなきゃいいのだけど」
なにせ美耶は道場の二代目にて現当主である小木野宗近(おぎのむねちか)を蛇蝎のごとく嫌っているもので。
八つ当たりされたら嫌だなぁ、とか考えながら暖簾をくぐろうとした藤士郎。
けれどもその手前で門弟らに木刀をつきつけられて止められた。
さいわいなことに、戻った狐侍にいち早く気がついた番頭さんが取りなしてくれたからいいものの、来る客ごとにあんなことを繰り返しているとしたら、商いのとんだ邪魔であろう。
「まったくもっていい迷惑ですよ。とんちきどものおかげで商売あがったりです」
と番頭さんもすっかりおかんむり。
そしてことのついでに、美耶お嬢さまの機嫌がめちゃくちゃ悪いことを知らされて、藤士郎は「うへえ」と肩をすくめた。
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