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其の百二十六 狐笛(こてき)
しおりを挟む客間へと案内された近藤左馬之助。
先にきて待っていた美耶がこれを出迎える。相手は年上の男にして武士、しかも名の通った定廻り同心である。にもかかわらず堂々と、それでいて柔和な笑みさえ浮かべ挨拶をかわす。はったりだろうともたいした胆の太さ。
これがまだ十五の娘なのだから、なんともはや……。
案内してきた藤士郎は舌を巻き、左馬之助もさぞや面喰らっていることであろうと、ちょいと盗み見。するとたしかに友人は驚いた様子であった。だが、それよりも藤士郎が気になったのは左馬之助がちらちら、部屋の隅に控えていた桑名以蔵の方を気にする素振りを見せたこと。表面上は平然と取り繕って役人面をしているが、明らかに意識している。
これには藤士郎も「おや?」
桑名以蔵は義足に杖という風体ゆえに多少気になっても不思議ではないが、だからとて左馬之助は不躾な視線を送るような男ではない。ひょっとしたら彼の実力を察して無意識のうちに反応したのかともおもったが、そういった剣呑さもない。
つき合いが長い知己だから藤士郎にはわかる。左馬之助はちょっと戸惑っている。
一方で桑名以蔵の方も少しおかしい。彼は無言のまま軽く会釈するばかりで、ひと言も発せず。不自由な方の足を投げ出す格好にて鎮座したまま。客の方をまるで見ようともしない。その姿はあくまで警護役に徹しようとしているかのように映らなくもないが、それがどうにも以蔵らしくない。
お役目を通じて知り合ってから、まだほんの数日しか経っていない仲だが、桑名以蔵という男はひょうひょうとしており、どこか達観したところがある人物。いちおうの礼節は守るが、必要以上にへりくだらない。店主だろうが奥方だろうがお嬢さまだろうが、番頭だろうが女中だろうが丁稚だろうが、相手によってさほど態度を変えない。そんな男が近藤左馬之助を相手にしゃちほこばっている。だからとて身構えているというのとも、ちとちがう。
「え~と……あえて知らぬふりをしているのかしらん? ひょっとしたらふたりは顔見知りなの」
男たちの不自然な態度に、内心で首をひねる藤士郎。だからとてわざわざ口に出したりはしない。それならばそれでちゃんと理由があるはず。ここは気づかぬふりをするのが友人としても武士としても正解であろうと判断する。
◇
ひとしきり挨拶を交わしてから、近藤左馬之助はさっそく本題に入った。角倉屋の吉次のことについて訊ねる。
美耶は殺された吉次に形ばかりのお悔みを口にするも、まるで心が入っていなかった。それもそのはずである。
あとには「角倉屋の吉次さんですか? 正直、とても迷惑しておりました。何をかんちがいしているのか、周囲にあることないことを吹聴しては、さも自分が松坂屋の婿になるのが当然と考えているんですもの。こんなことを言ったら、また父の庄衛に叱られるのでしょうけど、あえて言わせてもらえば『いなくなってくれてせいせいした』ですかね」という言葉がつらつら吐き出されたのだから。
死者を鞭打つ、なかなかに辛辣な物言いである。
けれども詳しい事情を聞けば、それも無理からぬことであった。
婿取り茶会以降、周辺をちょろちょろ、ぶんぶん。行く先々に顔を出しては付きまとう吉次。いくら邪険にして追い払おうが、無視しようが、にやにや厭らしい笑みを浮かべて、本当に気味が悪いったらありゃしない。言うことなすこと、すべて自分に都合のいいように解釈するから、会話がまともに成り立たない。
ばかりか自分の対抗馬になりそうな相手には「おうおうおう」と凄んで、匕首なんぞとちらつかせては「あれはおれの女だ。いらぬちょっかいを出したら承知しねえぞ」と脅しをかけたりもする。
それでもしょせんはひとり角力。放っておけばじきに諦めるかとおもいきやさにあらず。
あろうことか美耶に執拗に言い寄る一方で、周囲にはあることないこと悪い噂を垂れ流すという暴挙に走る。
美耶を貶めて、散々に悩ませ追い詰め周囲より孤立させて、心身ともに弱っているところを……といった悪巧み。
みずから火をつけておいて、水をかけて消すという卑劣な自作自演の奸計。
これにはさしもの美耶もすっかり辟易していた。なにより店の看板や評判に傷がつくのが辛かった。
「どこのどなたの仕業か存じませんけど助かりましたわ。もしも下手人が捕まりましたら、牢屋にお見舞いの品と嘆願書を届けようかと」
どこまで本気なのかわからないけれども、そんなことを言いながら「ほほほ」と笑う美耶。その表情はとても晴れやか。よほど吉次を毛嫌いしていたものとおもわれる。
それを前にして、なんとも複雑な表情をする近藤左馬之助。
吉次の地獄行きは自業自得としても、同心という立場上、下手人に味方するような発言は困るのだ。でもそのかたわらでは役人として鋭く美耶の様子を観察していた。
殺された者がいなくなって一番得をする者。それが下手人の第一候補であるという捜査の鉄則にのっとれば、美耶は十分に怪しい。ついに堪忍袋の緒が切れてとか。
だがしかし、これは……。
どうにも判断がつきかねて近藤左馬之助が「う~ん」と黙り込んだところで、どこぞより聞こえてきたのは「こーん」という狐の遠吠え。それはまるで笛の音のようによく通る声であった。
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