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其の百二十一 八王子の狐
しおりを挟む誰が生きようが野垂れ死のうが、幸せになろうが地獄に落ちようが、お天道さまは変わらず巡って朝になるとひょっこり顔を出すし、夜になればお月さまがにっこり微笑む。
彼の地で狐侍が大百足退治に巻き込まれて四苦八苦していた一方で、世間ではいろんなことが起きているのもまた、当たり前のこと。
これはそういう頃合いに、八王子の地で起きていた出来事。
◇
江戸から甲府を経て信濃の下諏訪へとのびている甲州街道。
八王子はその間にある宿場のなかでも、かなり江戸寄りのところに位置している。いわば江戸の玄関口にて、それゆえに旅人や物の往来は多くいつも賑わっている。
だがそれも日中だけのこと。
いったん陽が暮れれば人の流れはぴたりと止まる。ごく一部の盛り場をのぞいて辺りは真っ暗。民家の灯りも乏しく、とたんに寂しい景色となる。
夜更けの八王子、その街道沿いにて。
境の目印となっている三本松の裏で蠢く複数の影。
その足下には動かない女の姿があった。
着物の乱れは寄ってたかっての乱暴狼藉のあと。四肢を投げ出し、口から泡を噴き、舌がだらりとのびている。飛び出しそうなほどに見開かれた目玉が充血したまま固まっている。顔は赤黒ずんでやや膨らんでおり、呼吸はとうに止まっている。
たったいま男たちに手足を抑えつけられ、抵抗も虚しく散々に弄られた挙句に、手ぬぐいで首を締められ殺されたばかり。
「ふぅ」汗を拭ったのは男たちのうちのひとり。「なぁにが評判の茶屋小町だよ。とんだあばずれじゃねえか。おぉ、痛え。おもいきり爪で引っかきやがって。くそっ」
悪態をつきながら近くの草むらにて、じょぼじょぼ立小便を始めたのは、権蔵一家の長である一太。
権藤一家は八王子周辺では鼻つまみ者の破落戸の集まり。とはいっても数は七人のみ。長である一太を筆頭にして順々に七太まで。親にもらった名を捨て、義兄弟の杯を交わしている者ども。
強請りたかりに、乱暴狼藉となんでもござれ。そのくせ小狡く立ち回るもので、なかなか決定的な尻尾を掴ませないものだから、地元の者らはたいそう手を焼いている。
そんな権蔵一家に殺されたのは、少し前まで江戸は上野にて茶屋小町と持てはやされていたお志津なる女。
「じゃあ、いつものように頼んだよ」
いつものように……。
それは女の身ぐるみをはいで、顔を潰し、境の向こうで適当に埋めておくこと。
こうすることで女の身元はわからなくなる。そして誰に気づかれることもなく骸は朽ち土へと還る。またひと手間かけて預かりちがいの地に捨てることで、のちに事件が発覚したとて調べを混乱させる狙いもあった。
そんな非情な頼みごとをこともなげに口にしたのは旅姿の男。お志津の連れ。
なかなかの男ぶりにて、役者でも通りそう。はしばしに育ちの良さをうかがわせる。事実、男は江戸にある薬種問屋の角倉屋の次男坊であった。
だがその家柄と容姿とは裏腹に、瞳の奥に宿るのはぞっとするほどの酷薄さ。
この男、名を吉次(きちじ)といい、己の見た目と育ちを使っては甘い言葉を囁いて、次々と女を喰い物にしている悪党。
そうして飽きて邪魔になった女を旅に誘っては、八王子の地で権蔵一家に任せては始末させるをくり返していた。
とはいえである。
わざわざ江戸から騙して連れてきては始末しなくとも、廓に売り払うなりすればいい。そうすれば銭も入って、お払い箱もできて一石二鳥というもの。
とは権蔵一家側の言い分であったが、吉次はそれを鼻で笑う。
「こういうのは思い切って後腐れがないようにするのがいいのさ。中途半端な情けをかけてつきまとわれたりして、平家の二の舞になるのなんて私はごめんだからね」
平清盛が源氏に情けをかけたばかりに、のちにそれが祟って壇ノ浦にて滅亡した平家。
それを引き合いに出しつつ吉次はこうも言った。
「それにちょいと運がまわってきたようでね。私はこいつをなんとしても物にしたいんだよ。だから急いで身のまわりを片付けなきゃいけなくなったんだ。なあに心配しなくてもいいよ。うまくいったらおまえたちにもたんまりお礼をはずんでやるから。まぁ、期待しておきな」
吉次はそう言い残し、ひとり江戸へと帰っていった。
それを見送ることもなく、権蔵一家はさっそく仕事へと取り掛かる。
着物や櫛に帯など、金目の物は根こそぎ頂く。女の荷をほどき中も入念に漁る。旅の用心にと分けて隠し持っていた金子なども、しっかり回収する。
それ以外の物はすべて穴を掘って埋める。
あとは女の骸の始末だが、それは一太の指示を受けて、六太と七太が任された。
頭側と足側と手分けして担ぎ、夜の甲州街道を山の方へと向かって「えっほえっほ」
八王子と隣との境を越えてしばらく進んでから道をそれ、林の奥へと入る。
そこには深く落ち窪んでいる地形があって穴のようになっており、底の方には背の高い草が生い茂っており、いちどその中に紛れてしまえば表からではわからなくなっている。
ごみを捨てるのにはうってつけ。ゆえに権蔵一家の御用達となっている場所。
汗だくとなり荷を運んできた六太と七太。
「下っ端は辛いな」
「だな。兄貴たちは面倒ごとはいつもおれたちに丸投げなんだから。たまには変わって欲しいぜ」
なんぞとぼやきつつ、手慣れた様子で女の顔を潰し、「せいの」との掛け声にて骸を穴へと放り込む。
勢いよく斜面を転がり落ちた骸、その姿はたちまち底の草むらに埋もれて見えなくなった。
「ところで、これでここに捨てたのって何人目だったっけ?」
「たしか七……、いいや八人目か。そろそろ別の捨て場所を探さないとなぁ。にしてもまったく、吉次のやつもよくやるよ」
「吉次といえばさっきの話、本当かなぁ」
「運が向いてきたとかなんとか。おおかたどこぞにいい鴨でも見つけたんだろうよ。だがいつにない入れ込みようからして、よほど丸々と肥え太った鴨なんだろうさ」
話をしていたら、いきなりがさりと鳴ったものだから、六太と七太は揃ってびくり!
恐るおそる覗き込んでみれば、たしかに草むらが揺れている。
聞こえてきたのは「こーん」という鳴き声。
「なんでえ、狐かよ。驚かしやがって」
「おおかた死肉でも漁りにきたんだろうよ。むしろ好都合ってもんだ。さぁ、とっとと帰って一杯ひっかけようぜ」
「ああ、そうしよう。いつまでもこんな場所に居たら、どうにも辛気臭くなってしようがねえ」
そんな二人であったが結局のところ、その夜のうちに仲間が待つ八王子の宿へと戻ることはなかった。いや、それ以降も。
彼らの消息が知れたのは数日後のこと。
たまさか林に薪を拾いにきた地元の者が、すっかり変わり果てた姿となった男たちを発見することに……。
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