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其の百十二 俵藤太の弓・影打
しおりを挟む俵藤太の弓。
伝説の武具の登場に、興奮を隠しきれない藤士郎。おんぼろ道場の主とはいえ、腐っても剣客。それに一介の男子でもある。やはりこの手の品には心踊らされるのだ。
けれどもいまだぼやけ、物が二重に映る視界の中、眉根をぎゅっとしては顔を近づけ目を凝らし、半ば手探りにてよくよく弓を返しがえす眺めているうちに、ある文字を見つけて「あれ?」
弓の握りの裏っ側、こそっと浮き彫りされてあるのは「影打(かげうち)」なる文字。
だから藤士郎はてっきりこの弓が「俵藤太の弓・影打」という銘なのかと思ったのだが……。
「えーと……、ちょっと待って。ちがう、そうじゃない。影打って、たしか真打の逆だよね? それってとどのつまり……」
いく振りもの数の刃を鍛えて、そのうちから一番できのいい品に選ばれた物を世に出す。その最上の刀を真打(しんうち)という。
そして惜しくも選別から漏れた品々を影打という。
であるからして、心助が猫大師さまから託され、現在狐侍の手にあるこの弓の正体は……。
「よくできた贋物っ!」
似て非なるもの。とんだぬか喜びにて、狐侍はがっくし。
すると心助が慌てて言い繕う。
それによれば、本物はとある格式高い神社に奉納されて大切に祀られており、門外不出の宝物とされている。よってほいほい貸し出されるような品ではない。
かつて時の帝が「見てみたい」と所望されたときにも、突っぱねたというから筋金入り。
それでも諦めきれない猫又たち。
なにせ大百足は彼らにとっては天敵みたいな存在にて、その憂いを取り除かなければ、おちおち枕を高くして寝られやしないもの。
だからずっと以前から「いざというときには、是非」と、あの手この手にて頼み込んでいたのだが、それでも先方は首を縦に振らない。
猫又たちの嘆きはひとしお。嫌がらせとばかりにその神社の周囲にて夜ごと「にゃあにゃあ」盛っては、嬌声をあげ続けたりもした。
するとついに根負けしたのか、「しようがない。これならば預けてやる」と先方が折れて貸し与えられたのが、この贋物もとい影打であった。
「弓は真打と同じ名工の作ですし、矢の方にはちゃんと水神さまの加護が込められているそうですから、きっと大丈夫……なはず」と心助。
う~ん、そこは自信を持って言い切って欲しかった。
どうしても不安が拭えない藤士郎。
でもごちゃごちゃ言っていられたのは、そこまで。
「来るぞ、しっかり掴まっていろ!」
言うなり銅鑼の身がぐいんと急旋回。危うく振り落とされそうになった藤士郎と心助はその背にしがみつく。
有翼の黒銀虎を狙い撃ったのは毒液の固まり。まるで大砲の玉のようにして大百足が打ち出してきたのである。
先に藤士郎が浴びた毒霧とは違って濃縮されたもの。当たれば銅鑼はともかく背にいる人間と猫又なんぞはひとたまりもあるまい。
そんな危険な代物を空へと向かって連発してくる大百足。
だが当たらない。銅鑼は翼をはためかせてはすいすいとかわす。大百足の周囲を回りつつ一定の距離を保ち、己が背にいる藤士郎らに声をかける。
「その弓矢が本当に効くかどうか、試しに一本射てみればわかるだろう。狙うのは奴の左目だ。たしかそこが大百足の弱点だったはず。あと、へっぽこ水神の加護だけじゃあ心配だから、鏃を舐ってたっぷり唾をつけておけ」
じきに毒玉の攻撃もひと息つくはず。
そこを狙えと銅鑼は言う。だがしかし……。
「いや、そうしたいのは山々なんだけど、あいにくと肝心の左腕の具合がねえ。それに目もまだ回復していないんだよ」
弓を支える左腕は筋を痛めており、ろくに力が入らない。
狙いを絞ろうにも、目は霞んでおりたいそう心許ない。
加えて大百足より弄られたもので、満身創痍ときたもんだ。
この状態で銅鑼にまたがったまま矢を射る。正直なところ、わずか三間先の的に当てる自信もない。精度に関しては言わずもがなであろう。
ぐちぐち言い並べたが、ようはわざわざ届けてくれた俵藤太の弓・影打なのだが使えない。宝の持ち腐れということ。
「えー、そんなぁ。せっかく持ってきたのに」
と心助。もとは自分たちが軽率な行動をとったから。ゆえに漢気をみせて駆けつけてみたものの、とんだお笑い種。赤虎の猫又はしょぼんとうな垂れる。
「あっははは、そいつはまた、なんともまぬけな話だ」
と銅鑼。「だったら自分がやっつけてやろう」というつもりはないらしい。どうやら酔虎は自分が大百足退治の言い出しっぺであることを、すっかり忘れているようだ。
「困ったねえ。弓で射るのが無理なら、矢を手に持って直接狙うか。でも身体がこんな調子だし、はたしてどこまでやれるものか」
とは藤士郎。本音を漏らせば、ここはいったん引いて体勢を整えたいところではあるが、それだと心助の面目が丸つぶれとなる。
たぶんだが彼を寄越したのは猫大師さまのご配慮。
この件をうまくやっつけられるかどうかで、心助としらたま、若いふたりの将来が決まる気がする。
それにもしも馴染みの猫又らが大百足の犠牲になったらと考えただけで、ぞっとする。
だから引くのはなしだ。
なにがなんでもここでけりをつける!
そう決めた狐侍は手持ちの札で、どうにか勝ちの目を出そうとうんうん知恵を絞る。
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