狐侍こんこんちき

月芝

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其の百十一 最後っ屁と幽霊暮らし

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 しとしとしと……。

 突如として夜の森に降り始めた霧雨。
 その正体は大百足が吐いた毒の霧!
 藤士郎が気づいたときには、すでに視界がぼやけていた。慌てて顔を伏せ口元を袖で隠し、これ以上の被害が及ぶことを防ぐ。おかげで咳は止まったが喉の奥がひりひりする。あと涙が止まらない。めくらにこそはなっていないものの、これでは使い物にならない。
 そんな藤士郎の耳に聞こえてきたのは、大百足が近づいてくる音。
 ぼんやり案山子になっていたら殺られる。
 だから急ぎその場を離れようとするも、ほとんど目が利かない状態では足下がおぼつかない。
 すり足と手探りにて、どうにかよろよろ。少しでも距離をとろうとする。とにもかくにも目が回復してくれなくては話にならない。
 けれどもそんな藤士郎を嘲笑うかのようにして、背後から強い衝撃が襲う。

「あっ」

 と思った時には吹き飛ばされていた。その先にあった木に背中から打ちつけられる。受け身をとる余裕なんてない。ひゅっと肺の中の空気が口から漏れ出た。全身の骨が軋む。体が悲鳴をあげている。でもとっさに頭部をかばったので意識はかろうじて。
 ぐにゃりと歪む世界。首が振れて頭の中が揺れたらしい。少しぼんやりする。音もややくぐもって聞こえる。それでも手をつき、すぐさま立ち上がろうとするのは剣客の性か。
 けれどもどうにか中腰になったところで、ふたたび衝撃がどんっ!
 狐侍の長身痩躯が宙を舞い、少し離れた草むらへと転がった。
 しかし今度は地面の上であったので、どうにか受け身に成功する。被害を最小限に留めれた。
 這いつくばりながら、藤士郎は悔し気に唇を噛む。

「ぐっ、これは……体当たりなんかじゃない。ちょいと小突かれているんだ。猫が鼠を弄るように、大百足は私で遊んでいる」

 ただ殺すのでは飽き足りない。
 存分に弄って散々に苦しめてから喰らうつもりのようだ。
 食欲よりも嗜虐心が勝るとは、大百足はよほど腹に据えかねているらしい。

「だがあちらさんがその気ならば、こちらにもやりようはある、か」

 少なくとも獲物が元気なうちは喰おうとはしないはず。
 だったらせいぜい飽きさせないように相手をして、銅鑼が戻るまでしのぐしかない。
 覚悟を決めた藤士郎。これより先はのらりくらり、ひたすら逃げと受けに徹する。それでも相手は大百足だ。小突かれ、弾かれ、転がされるたびに、みるみるぼろぼろになっていく狐侍。
 ひたすら耐えるだけの辛い時間が続く。

  ◇

 大百足に吹き飛ばされては立ち上がるをくり返すこと、ついに十を越える。
 気がつけば森の奥の開けた所にいた。ちょっとした原っぱのような場所。いささか見晴らしが良すぎる。これはまずい。藤士郎はすぐに起き上がって、その場を離れようとするも「うん?」
 地に根でもはったかのようにして一歩も動けなかった。足が小刻みに震えており、ちっともいうことをきかない。殴って喝を入れてみたが無駄であった。その拳自体にもまるで力がこもっておらず、下半身の感覚はとうに失せていた。
 不撓不屈(ふとうふくつ)の精神はまだあれども、先に体が限界を迎えた。もはやこれまで。

 玩具が壊れたことに目敏く気がついた大百足が、大口をあけてゆっくりと近づいてくる。いよいよ喰うつもりだ。
 いまなおにじむ視界にてそれを察した藤士郎。この局面にあってずっと鞘で休ませてあった小太刀を抜く。「せめてひと太刀」武士の一分なんぞではない。ただ、たんにむかついているだけだ。散々に小突き回されたのだから、鼬ならぬ狐侍の最後っ屁ぐらいひっかけてやらないと、どうにも素直に成仏できそうにない。

「まぁ、それならそれでしようがない。母上といっしょにお気楽な幽霊暮らしも悪くないかね」

 立っているのもやっとという状況にもかかわらず、小太刀片手に不敵に笑う藤士郎。
 なおも抵抗の意志を示す狐侍に大百足が正面より猛然と襲いかかってくる。
 ぼやけている視界の中、藤士郎が選択したのは刺突のかまえ。喰われる寸前、相手の喉の奥深くに切っ先を突き立ててやろうとの算段。魚の小骨が喉の奥に刺さったかのようにしてやるつもり。あれは体験した者ならばわかるだろうが、とっても煩わしいもの。せめてもの意趣返しにはちょうどいいだろう。
 けれどもそれはかなわなかった。
 なぜなら狐侍と大百足が衝突する寸前に、割って入った者があらわれたから。
 銅鑼である。飛来した有翼の黒銀虎が大百足の脇を抜けて、ひょいと狐侍をくわえてはそのまま空へと。

 またしても獲物を横取りされた大百足は激怒。
 それを眼下に眺めつつ。

「よぉ、待たせたな藤士郎。しかし少し見ない間にずいぶんと男前にされたなぁ」
「おかげさまでね。それで首尾は……って、あれ、なんで?」

 にじんだままの視界、目を擦った藤士郎、薄ぼんやりする先に居たのは安全なところへ逃がすようにと頼んだ猫又たちのうちの片割れ。心助である。
 どうしてわざわざ危険なところに戻ってきたのかと、藤士郎が内心で首を傾げていたら心助が背負っていた筒状の荷をこちらに差し出した。

「こちらを猫大師さまから預かってきました。どうぞお納めください」

 筒の中身は弓と矢が二本。
 それがかつて近江の国で暴れていた大百足を仕留めたという、伝説の豪傑である俵藤太の弓と聞かされて藤士郎はびっくり。驚きのあまり危うく銅鑼の背からずり落ちそうになった。


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