111 / 483
其の百十一 最後っ屁と幽霊暮らし
しおりを挟むしとしとしと……。
突如として夜の森に降り始めた霧雨。
その正体は大百足が吐いた毒の霧!
藤士郎が気づいたときには、すでに視界がぼやけていた。慌てて顔を伏せ口元を袖で隠し、これ以上の被害が及ぶことを防ぐ。おかげで咳は止まったが喉の奥がひりひりする。あと涙が止まらない。めくらにこそはなっていないものの、これでは使い物にならない。
そんな藤士郎の耳に聞こえてきたのは、大百足が近づいてくる音。
ぼんやり案山子になっていたら殺られる。
だから急ぎその場を離れようとするも、ほとんど目が利かない状態では足下がおぼつかない。
すり足と手探りにて、どうにかよろよろ。少しでも距離をとろうとする。とにもかくにも目が回復してくれなくては話にならない。
けれどもそんな藤士郎を嘲笑うかのようにして、背後から強い衝撃が襲う。
「あっ」
と思った時には吹き飛ばされていた。その先にあった木に背中から打ちつけられる。受け身をとる余裕なんてない。ひゅっと肺の中の空気が口から漏れ出た。全身の骨が軋む。体が悲鳴をあげている。でもとっさに頭部をかばったので意識はかろうじて。
ぐにゃりと歪む世界。首が振れて頭の中が揺れたらしい。少しぼんやりする。音もややくぐもって聞こえる。それでも手をつき、すぐさま立ち上がろうとするのは剣客の性か。
けれどもどうにか中腰になったところで、ふたたび衝撃がどんっ!
狐侍の長身痩躯が宙を舞い、少し離れた草むらへと転がった。
しかし今度は地面の上であったので、どうにか受け身に成功する。被害を最小限に留めれた。
這いつくばりながら、藤士郎は悔し気に唇を噛む。
「ぐっ、これは……体当たりなんかじゃない。ちょいと小突かれているんだ。猫が鼠を弄るように、大百足は私で遊んでいる」
ただ殺すのでは飽き足りない。
存分に弄って散々に苦しめてから喰らうつもりのようだ。
食欲よりも嗜虐心が勝るとは、大百足はよほど腹に据えかねているらしい。
「だがあちらさんがその気ならば、こちらにもやりようはある、か」
少なくとも獲物が元気なうちは喰おうとはしないはず。
だったらせいぜい飽きさせないように相手をして、銅鑼が戻るまでしのぐしかない。
覚悟を決めた藤士郎。これより先はのらりくらり、ひたすら逃げと受けに徹する。それでも相手は大百足だ。小突かれ、弾かれ、転がされるたびに、みるみるぼろぼろになっていく狐侍。
ひたすら耐えるだけの辛い時間が続く。
◇
大百足に吹き飛ばされては立ち上がるをくり返すこと、ついに十を越える。
気がつけば森の奥の開けた所にいた。ちょっとした原っぱのような場所。いささか見晴らしが良すぎる。これはまずい。藤士郎はすぐに起き上がって、その場を離れようとするも「うん?」
地に根でもはったかのようにして一歩も動けなかった。足が小刻みに震えており、ちっともいうことをきかない。殴って喝を入れてみたが無駄であった。その拳自体にもまるで力がこもっておらず、下半身の感覚はとうに失せていた。
不撓不屈(ふとうふくつ)の精神はまだあれども、先に体が限界を迎えた。もはやこれまで。
玩具が壊れたことに目敏く気がついた大百足が、大口をあけてゆっくりと近づいてくる。いよいよ喰うつもりだ。
いまなおにじむ視界にてそれを察した藤士郎。この局面にあってずっと鞘で休ませてあった小太刀を抜く。「せめてひと太刀」武士の一分なんぞではない。ただ、たんにむかついているだけだ。散々に小突き回されたのだから、鼬ならぬ狐侍の最後っ屁ぐらいひっかけてやらないと、どうにも素直に成仏できそうにない。
「まぁ、それならそれでしようがない。母上といっしょにお気楽な幽霊暮らしも悪くないかね」
立っているのもやっとという状況にもかかわらず、小太刀片手に不敵に笑う藤士郎。
なおも抵抗の意志を示す狐侍に大百足が正面より猛然と襲いかかってくる。
ぼやけている視界の中、藤士郎が選択したのは刺突のかまえ。喰われる寸前、相手の喉の奥深くに切っ先を突き立ててやろうとの算段。魚の小骨が喉の奥に刺さったかのようにしてやるつもり。あれは体験した者ならばわかるだろうが、とっても煩わしいもの。せめてもの意趣返しにはちょうどいいだろう。
けれどもそれはかなわなかった。
なぜなら狐侍と大百足が衝突する寸前に、割って入った者があらわれたから。
銅鑼である。飛来した有翼の黒銀虎が大百足の脇を抜けて、ひょいと狐侍をくわえてはそのまま空へと。
またしても獲物を横取りされた大百足は激怒。
それを眼下に眺めつつ。
「よぉ、待たせたな藤士郎。しかし少し見ない間にずいぶんと男前にされたなぁ」
「おかげさまでね。それで首尾は……って、あれ、なんで?」
にじんだままの視界、目を擦った藤士郎、薄ぼんやりする先に居たのは安全なところへ逃がすようにと頼んだ猫又たちのうちの片割れ。心助である。
どうしてわざわざ危険なところに戻ってきたのかと、藤士郎が内心で首を傾げていたら心助が背負っていた筒状の荷をこちらに差し出した。
「こちらを猫大師さまから預かってきました。どうぞお納めください」
筒の中身は弓と矢が二本。
それがかつて近江の国で暴れていた大百足を仕留めたという、伝説の豪傑である俵藤太の弓と聞かされて藤士郎はびっくり。驚きのあまり危うく銅鑼の背からずり落ちそうになった。
1
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる