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其の百五 大百足
しおりを挟む猫嶽とその一帯は猫又たちの聖地。それゆえに他の妖やら悪いものが立ち入れないように強固な結界が張られている。
出入りは門と呼ばれる特定の箇所を通ることが前提とされており、そこには守衛役が常駐しており、さりげなく怪しい連中が入ってこないようにと目を光らせている。
一見するとゆるそうに見える猫又たちではあるが、そこはそれ、元は猫。のほほんとお気楽そうにみえて、じつは用心深く慎重な面も持ち合わせている。
で、肝心の消えた若いふたり、心助としらたまであるが、門を抜けたという報告はないとのこと。
赤虎と新雪の毛並みの組み合わせ。しかもいまは宴の真っ最中につき、遅れて馳せ参じる者はあろうとも、その逆に出て行こうとする者がいれば、否が応にも目立つ。
それを手練れ揃いの守衛役らが見逃すことはありえない。
ならば心助らはまだ結界内に留まっているのかといえば、儀三郎と五右衛門は手下を総動員して、敷地内を残らずさらったが見つからず。
どうやら門とはべつのところから表へと、手に手をとって飛び出してしまったらしい。
では、どうしてそれが「ちょっとたいへん」なのであろうか?
その理由を問い質そうと藤士郎が猫大師さまに声をかけようとした矢先のこと。
またぞろその場に駆け込んできたのは新たな猫又。
楔帷子に額当て、籠手をつけ、手には錫杖を持った姿が勇ましいのは、守衛役の者。
「ご注進、ご注進! 山向こうにて大百足が目撃されたの報あり」
とたんにかけおち騒動で浮かれていた猫又芸者衆や、揉めていた儀三郎と五右衛門らがびきりと固まり、はたと口をつぐむ。みなの顔からするりと笑顔が抜け落ちて、真剣な面持ちとなる。祭の雰囲気が一転した。ぞわりと厭な緊張が生じ、たちまち空気もぴんと張り詰める。
あまりの豹変ぶりに「えっ、あれ? みんなどうしたの」と藤士郎は戸惑うばかり。
するとたまさか近くにいた大戸屋の梅千代が、声を潜めて教えてくれたところによると……。
◇
大百足は、その名の通り百足の妖である。
各地にて出没しているが、特に有名なのはかつて近江の国に出現したという個体。それこそ山を幾重にもぐるぐる巻きにするほどの巨体にて、彼の地の竜宮の主である水神すらも手に余るほどの猛威を振るう。
暴れるたびに森の木々は無惨にも薙ぎ倒され大地が荒れる。まき散らされる毒に穢され、不浄なる空気が満ち充ちる。人心も荒み、作物は枯れ、荒廃の一途を辿る。
困り果てた竜宮の主は、助っ人となる剛の者を求め瀬田の大橋にて、夜な夜な大蛇の姿にてわざと寝そべった。
通りがかった者らは、大蛇を恐れて逃げ帰るばかり。
そんな中にあって唯一ひとり、これに臆することなく、蛇体をひょいとまたいで越えたのが俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)なる武者。
秀郷はその胆力と技量を見込まれて水神の助っ人として、ともに大百足の討伐にあたり、これを見事に成し遂げた。
そんな大百足、知に乏しく、性分は狂暴にて残忍。
そしてなんの因果か、困ったことに雑食の上に特に猫肉を好む。
とどのつまり猫又たちのとっては天敵みたいなもの。
◇
自分たちを食料としてつけ狙う大百足が出現したとの報を受けて、ざわざわざわ。
騒然となる猫又一同。
どうやら大百足は、この地に大好物の猫又たちが集っているのを見越してあらわれた模様。
だが、案ずることはない。
猫嶽一帯の結界は、歴代の猫大師や長老方に親分らが、大切に育ててきた代物にて、とても堅牢。さしもの大百足とてこの中には入ってこれない。またその図体ゆえに猫道も通れない。
けれども……。
揃ってさーっと顔から血の気が失せてたのは、儀三郎と五右衛門。
なぜならそんな堅牢な結界の中から、自分たちの息子と娘が飛び出してしまっているのだから。
せめて門を通じて猫道へと入ってくれていればよかったのだが、どうやら心助としらたまたちはちがう場所から抜け出してしまっている。
ごちそうを目の前にして、結界のせいで成す術なし。
よだれを垂らし指をくわえて眺めていることしかできない大百足。そこにちょろちょろ抜け出したきた若いふたり。
それを見逃すとはとてもとても。
猫大師さまの仰った「ちょっとたいへん」どころの話ではない!
「えらいこっちゃ」と大騒ぎに。
「い、いかん、すぐに心助を連れ戻さねえと」
「しらたま、どうか無事でいておくれ」
はっと我に返った儀三郎と五右衛門。そのまま火の玉になって飛び出しそうな勢い。
それを周囲にいた者らがあわてて止める。
「わっ、駄目だよ、考えなしに突っ込んだら」「そうだよ、まとめて大百足に喰われてしまう」「いったん落ちつけって」「まだそうと決まったわけじゃねえ」「ええい、放せ。おれは行くぞ」「おれもだ。大百足なんぞ蹴散らしてやらあ」「馬鹿野郎、気合いや根性でどうにかなる相手なものか」
押し合いへし合いの猫又たち。
藤士郎も巻き込まれて揉みくちゃくに。
するとここで「やかましいっ!」と一喝したのは、銅鑼である。
ただしその姿がちとおかしい。いつものでっぷり猫ではなくて、いつの間にやら背に翼が生えた黒銀色の大虎、伝説の大妖である窮奇の姿になっているではないか!
その足下には空になった酒瓶が転がっており「うぃ~、ひっく」
猫が酔っ払って虎になっていた。
「うわっ、息が酒臭い。でもたかがこの程度で、銅鑼が酔っ払うだなんて」
大食漢のうわばみのはずの銅鑼。いったいどうしてと藤士郎が困惑していたら、転がっている酒瓶を見た猫又芸者の生駒が「あれま、これはまたたび酒の原液ですよ。ふつうは水でたっぷり薄めて飲むのに」と言った。
どうやら間違って運ばれてきた品を、銅鑼がそのままぐびぐび、いっきに飲み干してしまったらしい。でもって虎は猫の親戚みたいなものだから……。
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