狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
105 / 483

其の百五 大百足

しおりを挟む
 
 猫嶽とその一帯は猫又たちの聖地。それゆえに他の妖やら悪いものが立ち入れないように強固な結界が張られている。
 出入りは門と呼ばれる特定の箇所を通ることが前提とされており、そこには守衛役が常駐しており、さりげなく怪しい連中が入ってこないようにと目を光らせている。
 一見するとゆるそうに見える猫又たちではあるが、そこはそれ、元は猫。のほほんとお気楽そうにみえて、じつは用心深く慎重な面も持ち合わせている。
 で、肝心の消えた若いふたり、心助としらたまであるが、門を抜けたという報告はないとのこと。
 赤虎と新雪の毛並みの組み合わせ。しかもいまは宴の真っ最中につき、遅れて馳せ参じる者はあろうとも、その逆に出て行こうとする者がいれば、否が応にも目立つ。
 それを手練れ揃いの守衛役らが見逃すことはありえない。
 ならば心助らはまだ結界内に留まっているのかといえば、儀三郎と五右衛門は手下を総動員して、敷地内を残らずさらったが見つからず。
 どうやら門とはべつのところから表へと、手に手をとって飛び出してしまったらしい。

 では、どうしてそれが「ちょっとたいへん」なのであろうか?
 その理由を問い質そうと藤士郎が猫大師さまに声をかけようとした矢先のこと。
 またぞろその場に駆け込んできたのは新たな猫又。
 楔帷子に額当て、籠手をつけ、手には錫杖を持った姿が勇ましいのは、守衛役の者。

「ご注進、ご注進! 山向こうにて大百足が目撃されたの報あり」

 とたんにかけおち騒動で浮かれていた猫又芸者衆や、揉めていた儀三郎と五右衛門らがびきりと固まり、はたと口をつぐむ。みなの顔からするりと笑顔が抜け落ちて、真剣な面持ちとなる。祭の雰囲気が一転した。ぞわりと厭な緊張が生じ、たちまち空気もぴんと張り詰める。
 あまりの豹変ぶりに「えっ、あれ? みんなどうしたの」と藤士郎は戸惑うばかり。
 するとたまさか近くにいた大戸屋の梅千代が、声を潜めて教えてくれたところによると……。

  ◇

 大百足は、その名の通り百足の妖である。
 各地にて出没しているが、特に有名なのはかつて近江の国に出現したという個体。それこそ山を幾重にもぐるぐる巻きにするほどの巨体にて、彼の地の竜宮の主である水神すらも手に余るほどの猛威を振るう。
 暴れるたびに森の木々は無惨にも薙ぎ倒され大地が荒れる。まき散らされる毒に穢され、不浄なる空気が満ち充ちる。人心も荒み、作物は枯れ、荒廃の一途を辿る。
 困り果てた竜宮の主は、助っ人となる剛の者を求め瀬田の大橋にて、夜な夜な大蛇の姿にてわざと寝そべった。
 通りがかった者らは、大蛇を恐れて逃げ帰るばかり。
 そんな中にあって唯一ひとり、これに臆することなく、蛇体をひょいとまたいで越えたのが俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)なる武者。
 秀郷はその胆力と技量を見込まれて水神の助っ人として、ともに大百足の討伐にあたり、これを見事に成し遂げた。

 そんな大百足、知に乏しく、性分は狂暴にて残忍。
 そしてなんの因果か、困ったことに雑食の上に特に猫肉を好む。
 とどのつまり猫又たちのとっては天敵みたいなもの。

  ◇

 自分たちを食料としてつけ狙う大百足が出現したとの報を受けて、ざわざわざわ。
 騒然となる猫又一同。
 どうやら大百足は、この地に大好物の猫又たちが集っているのを見越してあらわれた模様。
 だが、案ずることはない。
 猫嶽一帯の結界は、歴代の猫大師や長老方に親分らが、大切に育ててきた代物にて、とても堅牢。さしもの大百足とてこの中には入ってこれない。またその図体ゆえに猫道も通れない。
 けれども……。

 揃ってさーっと顔から血の気が失せてたのは、儀三郎と五右衛門。
 なぜならそんな堅牢な結界の中から、自分たちの息子と娘が飛び出してしまっているのだから。
 せめて門を通じて猫道へと入ってくれていればよかったのだが、どうやら心助としらたまたちはちがう場所から抜け出してしまっている。
 ごちそうを目の前にして、結界のせいで成す術なし。
 よだれを垂らし指をくわえて眺めていることしかできない大百足。そこにちょろちょろ抜け出したきた若いふたり。
 それを見逃すとはとてもとても。

 猫大師さまの仰った「ちょっとたいへん」どころの話ではない!
「えらいこっちゃ」と大騒ぎに。

「い、いかん、すぐに心助を連れ戻さねえと」
「しらたま、どうか無事でいておくれ」

 はっと我に返った儀三郎と五右衛門。そのまま火の玉になって飛び出しそうな勢い。
 それを周囲にいた者らがあわてて止める。

「わっ、駄目だよ、考えなしに突っ込んだら」「そうだよ、まとめて大百足に喰われてしまう」「いったん落ちつけって」「まだそうと決まったわけじゃねえ」「ええい、放せ。おれは行くぞ」「おれもだ。大百足なんぞ蹴散らしてやらあ」「馬鹿野郎、気合いや根性でどうにかなる相手なものか」

 押し合いへし合いの猫又たち。
 藤士郎も巻き込まれて揉みくちゃくに。
 するとここで「やかましいっ!」と一喝したのは、銅鑼である。
 ただしその姿がちとおかしい。いつものでっぷり猫ではなくて、いつの間にやら背に翼が生えた黒銀色の大虎、伝説の大妖である窮奇の姿になっているではないか!
 その足下には空になった酒瓶が転がっており「うぃ~、ひっく」
 猫が酔っ払って虎になっていた。

「うわっ、息が酒臭い。でもたかがこの程度で、銅鑼が酔っ払うだなんて」

 大食漢のうわばみのはずの銅鑼。いったいどうしてと藤士郎が困惑していたら、転がっている酒瓶を見た猫又芸者の生駒が「あれま、これはまたたび酒の原液ですよ。ふつうは水でたっぷり薄めて飲むのに」と言った。
 どうやら間違って運ばれてきた品を、銅鑼がそのままぐびぐび、いっきに飲み干してしまったらしい。でもって虎は猫の親戚みたいなものだから……。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...