狐侍こんこんちき

月芝

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其の九十七 猫道

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 とっぷり日が暮れて、辺りがすっかり真っ暗になった頃。
 夜空にはぽっかりお月さま。

「もし、もし九坂さま」

 屋敷の門前より奥へと声をかけたのは、ひとりの辰巳芸者。
 彼女は深川の和田屋の生駒。店一番の売れっ子にて、諸芸に通じ、花の椿に例えられるほどの美貌を誇るが、その正体は猫又である。
 今宵はとある宴に招かれている藤士郎と銅鑼。
 生駒はその迎え役であった。
 事前に迎えを寄越すとは聞かされていたので、呼ばれるままに表へと出てきた藤士郎たちではあったが、そこで待っていたのは見慣れぬ乗り物。

「おや、これは……牛車かな? 前に似たようなのを絵巻物で見たことがあるよ。でも肝心の牛の姿がどこにもいないよねえ」
「勝手に動く車ならば、朧車あたりか」

 朧車(おぼろぐるま)とは牛車の妖のこと。都の貴族たちの車争いの遺恨が異形となったものと言われている。
 藤士郎と銅鑼が不思議がっていると「ほほほ」と笑ったのは生駒。

「まさか、大事なお客さまの身を、そんな得体の知れないものに預けたりするもんですか。こちらは猫車ですよ。さぁさぁ、どうぞ中へ」

 生駒に招かれるままに車に乗り込んだ狐侍とでっぷり猫。
 すると車輪の陰から姿をあらわした一匹の尾白猫が「にゃおん」と鳴いたひょうしに、その身がむくむくと大きくなっていき、あっという間に虎ほどもの大きさになった。これが牽引を務め、動きだす猫車。
 ぎしりぎしりと車輪の音がするも、おもいのほかに揺れが少なく、尻にも響かない。

「いやぁ、このような乗り物ははじめてだけど、案外、快適なんだねえ。なにやらえらくなったような気がするよ」

 まるで気分はお大尽。やや浮かれている藤士郎。
 しかしその膝の上にいる銅鑼は「へん」と鼻を鳴らして「しかしどうにもまどろっこしいな。こんな風におっちらおっちら進んでいたら、百年経っても目的地につかないんじゃねえのか」なんぞと嫌味を言う。
 けれども仕事柄、数多の酔っ払いどもをあしらってきた生駒は、その程度では眉ひとつ動かさない。でっぷり猫の文句なんぞはさらりと受け流しつつ「大丈夫ですよ、すぐに猫道に入りますから」と目元を細める。

 言うなり猫車が向かったのは最寄りのお堀。
 真っ直ぐ岸辺に進んだかとおもえば、そのまま足を止めることなく突っ込み、どぼん!
 しかし水飛沫は立たず。わずかに水面も揺れず。
 猫車は水面に映った満月の中へと、しゅるりと吸い込まれてしまった。
 これが猫道。満月の夜にだけ通じる不思議な抜け穴。
 各地の猫又たちはこれを使って、あちらこちらへと行き来をして交流をしている。

 猫道の中はよく整備されており、石畳が敷き詰められ、沿道には石灯籠が等間隔で立ち、寺社仏閣の参道のよう。
 あまりの物珍しさに、つい車の荷台から身を乗り出しそうになった藤士郎であったが、その裾を掴んで「いけません」と引き留めたのは生駒。

「ここは幽玄の間、私たち猫又以外にも出入りしている者もいますから。下手に御身をさらさないほうがよござんす」

 たいていは箸にも棒にもかからないような無害な連中だが、ごくごく稀に性質の悪いのと行き交うこともある。うっかりそんなのに見込まれた日には、生身の人間なんぞは命がいくつあっても足りやしない。
 そう脅されてあわてて首を引っ込めた藤士郎に生駒はくすり。

「もっとも、九坂さまはとうにやっかいな御方に見込まれておりますから、まずちょっかいを出すような輩はいないでしょうけど。まぁ、万が一ということで」

 生駒より流し目を向けられて、銅鑼はむすっとしかめっ面。
 そんな彼らを乗せた猫車が、いったん猫道をそれて外界へと。
 とたんに出現したのは、城下町の景色。見事な瓦屋根と整えられた町並み、江戸とはちがった風情にて、どこぞの大身の藩のお膝元とおもわれる場所。

 月明かりの下、夜更けの町を静々と進む猫車。
 そうしたら向こうから夜回りとおぼしき提灯の明かりが近づいてきた。
 大猫が牽く車なんぞ見咎められたら、きっと大騒ぎになる!
 けれどもそんな藤士郎の心配をよそに、猫車は平然と進み、何事もなく夜回りとすれ違った。
 どうやら向こうからはこちらの姿は見えないらしい。
 そうして誰にも見咎められることなく進んだ猫車は、お次は小池に飛び込み、また猫道へと入った。
 こうやって何度か出入りをくり返し、目的地へと向かうそうで、生駒より説明を受けて藤士郎は「へぇ、ほぅ」と感心しっぱなし。


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