狐侍こんこんちき

月芝

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其の九十六 いもむし

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 過去から現在へと。まるでこんがらがった糸のごとく、ややこしい彦太郎の生い立ちや黒沼のお家事情。
 いかに伯天流を修めた狐侍とて、こればっかりは一刀両断とはいかず。
 これより先は衆生の悩みに耳を傾け、道を誤った者を諭す御坊さまの仕事。
 ゆえに「ていっ」と丸投げ、お役御免。
 藤士郎と銅鑼は、あとは巌然さまに任せて知念寺をそそくさと退散することにした。
 とはいえ、このままではとても真っ直ぐ家に帰る気にはなれない。
 なにやら喉の奥がつっかえたような、胸にもやっとしたものがある。かといって酒で憂さを晴らすというのも柄じゃないし……。

  ◇

 というわけで、そろそろ暖簾をさげて店じまいを……といういささか迷惑な時間に馴染みの茶屋へと寄った藤士郎たち。
 それにもかかわらず厭な顔ひとつせずに出迎えてくれた看板娘のおみつ。
 しかし「すみません藤士郎さま、生憎とお団子の方はもう」と目当ての品が売り切れてしまったと告げられ、銅鑼はがっくりして尻尾もへにょり。

「今日は朝から妙に客の入りがよくって。残ってるのは、いもむしぐらいしか」

 いもむしとは、ごろっとした大きな薩摩芋(さつまいも)の切り身に軽く塩をまぶしたものを生地で包んで、ふっくらと蒸しあげた饅頭のこと。芋本来の素朴な味わいとほくほく具合を愉しめ、かつ腹に溜まる一品。
 ちなみに本当は芋饅頭という名前なのだが、いつの頃からか客が面白がってこう呼ぶようになって以来、いまではそれがすっかり定着してしまった。しかし食べ物の名前としては、いささか語呂が悪く、ぷにぷにした幼虫を連想させるので、茶屋の老店主はあまりいい顔をしていない。

  ◇

 頼んだ品が運ばれてきて、おみつが「どうぞごゆっくり」と奥へ引っ込んだところで、さっそく饅頭にかぶりつく銅鑼。

「これはこれで美味いんだが、どうにも喉につっかえるんだよなぁ。あと口の中がもさもさするし、んぐんぐ」

 文句を言うわりには口いっぱいに頬張っているでっぷり猫。
 それを横目に熱い茶をすすり、「ほぅ」と目を細めた藤士郎がひと心地ついたところで、ぽつり。

「阿波屋さんはともかく、黒沼の家の方はこれからどうなるのかねえ」
「あぁん? まぁ、なるようになるさ」
「そうかなぁ、なるかなぁ」
「巌然と幽海がいる。あのふたりがどうにかするだろうよ。とはいえ、それは餓鬼どもだけだ。大人連中はさすがに難しいだろうがな」
「おや、大人だと駄目なのかい?」
「駄目だね。もはや手遅れ。すっかりひん曲がっちまっているから、無理に直そうとしたら根元からぼきりと折れちまう」
「ふ~ん、そういうものかなぁ」
「そういうもんさ。特にあの手の輩は頭がかちんこちんだからな。というか、しゃちほこばったお武家のところなんて、大なり小なりあんなもんだろうよ。ゆるゆるおぼろ豆腐頭なのは、江戸広しといえども九坂家ぐらいだろうさ」

 ひどい言われようではあるが、あながち否定できないから困りもの。
 なにせ九坂家は門下生のいないおんぼろ道場。
 家主兼道場主である藤士郎は、江戸の剣術界の鼻つまみ者。
 先代である父は地獄で官吏をし、母は出戻り幽霊、居候はしゃべる猫、出入りするのはもっぱら掛売りの回収と、河童と猫又に狐狸の類が少々ときたもんだ。
 武士とは名ばかり。そんなお気楽な身の上である藤士郎からすれば、彦太郎と正臣には同情を禁じ得ない。でも嫡子の範正は……。まぁ、いろいろ大変だろうけど、がんばれ。

 いらぬ荷を背負わされた若者らの行く末を案じる藤士郎。
 すると銅鑼は「なぁに心配いらねえよ。若さっての頼りないばかりじゃない。打たれ強さでもあるからな。それに蛹ってのは、いずれ蝶になるもんさ」と言いながら、いもむしの最後のひと欠片をぺろりとたいらげた。
 でっぷり猫の目が自分の皿へと向けられていると知って、藤士郎もあわてていもむしに齧りつく。

  ◇

 半月ほど経ったある日のこと。
 たまさか知念寺に立ち寄った藤士郎は、巌然さまから事の顛末のあれこれを聞かされた。
 彦太郎は心のわだかまりが消えて、ぼんくらの振りをやめたという。
 そして正臣の方はというと家を出て、幽海さまの知己の僧の弟子となりともに修行の旅に出たそうな。

「家なんぞの狭い世界でちまちま悩むより、どーんと広い外の世界を己の目で見てこい」

 そう巌然さまより諭されて、出家という体(てい)をとっての物見遊山……えーこほん、自分を見つめ直す研鑽の旅へと。そのまま坊主になるか還俗するかは、のちのちゆっくり考えればいい
 なにやらやっかい払いのような気がしなくもないが、巌然さまいわく「あの家の者らは距離が近すぎるのよ。互いに少し離れて頭を冷やすがよかろう」とのこと。
 ちなみに「あの家」呼ばわりされた黒沼家はというと、表向きは何もかわらず。粛々と武家を続けるばかり。
 ただし現当主の治郷は、今回の一件でいろいろと思うところがあったらしく、早めに範正へと跡目を譲ってからは出家して仏門に入り、これまた全国行脚をとか考えているそうな。

 でもって今回の騒動を引き起こした、白屏風の怪異はどうなったのかというと……。

「えーと、これは弁財天さまですよね?」
「おうとも、知人の絵師に頼んで書いてもらった。なかなかのものであろう」

 どうよと得意げな巌然さまではあるが、披露された屏風絵を前にして、藤士郎はいささか赤面もの。目のやり場に困ってしまう。
 なんというか絵が妙に艶めかしいのである。
 どうやら知り合いの絵師というのは、春画の人であったらしい。

「いいんですか、お寺にこんなのを飾って」
「ふん、これを美と捉えるか、いかがわしいと捉えるかは、視る者の心根次第。それにいまどきこれぐらい刺激がないと客受けが悪いからな。がっはっはっはっ」

 挙句に御開帳のおりにはしっかり参拝料を取るという。
 身体だけでなく商魂までたくましい巌然和尚に、藤士郎は感心するやら呆れるやら。


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