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其の九十二 産みの親と育ての親
しおりを挟む天からのびてきた大きな手に掴まれた。
ぐんぐん遠ざかっていく地表。
「あっ、さっきまでいたところって小さな島だったんだ」
周囲は大海原にて、彼方には水平線が見えている。
いわゆる絶海の孤島というやつだ。
丸太のような指の隙間から外を眺めていた藤士郎、江戸の海とはまるでちがう光景に「へぇ」と感心しているうちにも、さらに上へ上へと。
雲間を抜けたところで、ぱっと視界が明るくなった。
それこそお天道さまを直視したときのよう。あまりの眩さに耐えきれず、目を閉じた藤士郎たち。
「うわっ!」「にゃっ!」「ぐえっ!」
気づけば見知った室内にて畳の上に投げ出されており、折り重なって倒れている二人と一匹。なお運悪く一番下になったのは彦太郎である。そのせいで蛙が潰れたような声をあげることに……。まぁ、みなに散々に心配をかけたのだから、これぐらいの罰はしようがあるまい。
「あ痛たたた……。行きも乱暴だったけど、帰りもたいがい酷いよね」
ぶつくさ文句を言いながら腰をさする藤士郎ではあったが、顔をあげたところであわてて口をつぐむ。
澄まし顔の巌然和尚はともかくとして、他にも二名、新顔が控えていたからである。
ひとりはどこぞのお店の主人風、ひとりはどこぞの御家中のそこそこ偉い人っぽい武士にて、どちらも歳の頃は四十を少し超えたあたりかとおもわれる。
双方ともに初対面、なのにまたもや覚えたのが既視感。
藤士郎が内心で困惑していると、町人の方が「彦太郎っ、彦太郎、あぁ、よかった、本当によかった」と藤士郎と銅鑼には見向きもせずに、彦太郎へと涙ながらに詰め寄った。
「えっ、あれ? お父っさん、どうしてここに……」
「どうしてもこうしてもあるもんかい! 私たちがいったいどれほど心配したと思っているんだよ。この馬鹿息子がっ。うぅ」
泣いたり怒ったり笑ったりと忙しい御仁。
このやりとりからして彦太郎の父親である嘉兵衛でまず間違いあるまい。
とすれば、気になるのが残りの方で。
こちらはきちんと背筋をのばして正座の姿勢を崩さず。膝の上にて拳をぐっと固く握り、口もへの字に結んでのしかめっ面ではあるが、その態度とは裏腹に再会した父子へと向ける視線はどこまでも優しい。
ちらちら武士の様子をうかがっていた藤士郎は、その面差しに「あっ!」
よくよく見てみれば彦太郎に似ているではないか。
だからこその先ほどの既視感。
どうやらこのお人が、彦太郎と血を分けた実の父親であるようだ。
わざわざこうして自ら足を運んでいるということは、けっして不義理不実の徒というわけでもないらしい。はてさて、いかなる事情があるのやら。
◇
いったん場所を移して落ちついた所で対面した一同。
あらためて紹介を受けた藤士郎たち。
「うちの愚息が、たいそうご迷惑をおかけしまして」
恐縮して背を丸めている彦太郎の頭をぱしんとはたきながら、礼を述べるのは阿波屋の主人の嘉兵衛。
「それがしは黒沼治郷(くろぬまはるさと)と申す。この度は嘉兵衛殿より連絡を受けて、急ぎ駆けつけさせてもらった」
名乗るなり、彦太郎と嘉兵衛の父子の方へと体を向けた黒沼治郷は、いきなり両手をついて深々と頭を下げた。
「すまない。すべてはこの身の不甲斐なさがことの発端。もっと早くにこうしておれば、彦太郎にいらぬ苦悩を強いることも、大恩ある嘉兵衛殿に迷惑をかけることもなかったであろうに……」
ずっとうつむいたままであった彦太郎の身がびくりと震える。
そんな息子の手に自分の手を重ねた嘉兵衛も「すまなかったね」と詫びを口にする。
はっと顔をあげた彦太郎。ついに覚悟を決めたのか、その顔をふたたび下に向けることはなかった。彦太郎は真っ直ぐに黒沼治郷の目を見る。
これを受けて黒沼治郷が小さくうなづき、彦太郎の出生の秘密を滔々と語り出した。
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