狐侍こんこんちき

月芝

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其の八十七 彦太郎の世界 第四相

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 森を抜けた先は、赤茶けた砂塵が舞う乾いた荒野。
 地平の彼方にある山々の稜線が、歪んだ眉墨のように、どこまでも横にのびている。
 見上げた空は茜色。夏の気だるい夕闇を思わせるが、少々毒々しい。浮かぶ薄雲が、しの字を横倒しにしたような形をしており、まるで獣の掻き傷のよう。いやな感じだ。眺めているだけで、どうにも心がざわつく。
 視線を下げて大地に目をやれば、あちらこちらに点在している、あれは……。

「ひょっとして墓石と卒塔婆?」

 用心しつつ藤士郎が近づいて確認してみるも、誰の墓かはわからない。
 表面に刻まれているはずの墓碑銘が、人為的に削られているからだ。卒塔婆に書かれた文字も雨ざらしのせいか、すっかりにじんでおり判別できない。
 いくつか調べてみるも、すべてがすべてそんなあり様。
 ただし、墓石にそっと触れてみたら、なんとなくこれは女性のためのものではないかと、藤士郎は感じた。それもこの世界にある以上は、たぶん彦太郎にとって大切な人のもののはず。

「ふむふむ、この様子では阿波屋もあれでいろいろと抱えていそうだな」

 他所の家の内情をあれこれ妄想してか、銅鑼がにへらと品のない笑み。
 お武家相手と町人相手の損料屋、ふたつの店を営む阿波屋の商いは順調そのもの。店主の嘉兵衛の評判もいい。入り婿とはいえ、妻のおきんとの仲は睦まじく、浮いた話のひとつもない。跡継ぎ息子はちと頼りにならないが、その分だけ店の者らがしっかりしているので、どうとでも盛り立てられる。
 幽海さまがなにかと親身になって相談に乗っていることからして、人物はたしか。
 両親は息子の身を心底案じている。なんとかしようと父親は商いそっちのけで方々を駆け回り、母親は心労のあまり寝込むほど。
 なのに肝心の息子がひとり悩み苦しんでいる。何かを抱え込んでは悶々としている。その迷いゆえに白屏風の怪異に惑わされて、取り込まれてしまった。

 町人、武士、罪人の男女、蟷螂、名を削られた墓……。

 ここまでくる間にちりばめられていた事柄が暗示するのは、いったい何なのか?

「……とはいえ、困ったね」

 めいっぱい背伸びをしながら周辺に目をやり、途方に暮れる藤士郎。
 だだっ広い場所、どちらへ進んだらいいのかがわからない。
 道はなく、目印といえるものは彼方の稜線ぐらい。闇雲に歩くのは危険だ。見当違いの方へと向かえば、それこそ遭難するかもしれない。
 いっそ銅鑼に頼んで正体をさらしてもらい、空から確認をしてもらうべきか。
 藤士郎がそんなことを考えていると、かすかに耳に届く音がある。

 からからからからから……。

 よくよく耳を澄ましてみると、ひゅるりと吹く風の音に混じって、何かが回る音がする。
 音に誘われるようにして歩けば、じきに目に入ったのが、縁日の露店などで売られているのをよく見かける風車のおもちゃ。
 斜めに地面に突き立てられたそれが、風が吹くたびに、くるくる、くるくる。

「おや、どうしてこんなところに風車が?」

 おもわず拾って、しげしげと眺める藤士郎。艶やかな柄の千代紙で作られた、やや大振りな品。試しに「ふぅ、ふぅ」と息を吹きかけてみると、何やら子どもの頃を思い出して、ちょっと楽しい。
 藤士郎が童心に返って頬を揺るめていると、銅鑼が「おい、あっちを見てみろ」
 言われるままに顔を向ければ、少し離れたところにも風車が立っていた。
 よくよく見てみれば、さらにその向こうにも、そのまた向こうにも。
 どうやらここではあれが道標になっているらしい。これを辿って行くのが、正解のようだ。
 そうとわかれば、あとはせっせと足を動かすのみ。
 藤士郎と銅鑼は先を急ぐ。

  ◇

 風車に導かれるままに進んだ先に待っていたのは、巨大な穴。
 まん丸お月さまのような形だが、漆黒にて底がまるで見えない。

 からからからからからからから……。

 奈落の奥底の方から、風に乗って例の音が聞こえてくる。
 穴の縁よりへっぴり腰にて、恐るおそる中を覗き込みながら「えーと、まさかとは思うけど、ここに飛び込めとか、そんな無茶は言わないよね?」と藤士郎。
 だというのに銅鑼ときたら「お先に」と、ためらうことなく、ぴょん。
 でっぷり猫はあっさり飛び降りてしまった!
 こうなればひとりうじうじ、立ち止まっているわけにはいかない。
 狐侍も「ええい、ままよ!」と目をつむりあとに続く。


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