狐侍こんこんちき

月芝

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其の八十六 彦太郎の世界 蟷螂の斧

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 巨大蟷螂の左腕、瞬速の鎌の連撃が止まらない。
 牽制を兼ねた攻撃にて、近寄れない藤士郎。
 ならばと最寄りの木のうしろへと回り込む。
 あとは囮となる枝でも投げて敵の注意を引きつけ、その隙に反対側から飛び出すという算段。
 だが、そんな小細工は通用しない。

 斬っ!

 轟っと風が唸り、横合いから圧が迫る。
 巨大蟷螂の右腕の一閃。

「うひゃあ」

 驚きあわててしゃがみ込む藤士郎。
 その頭上を猛然と鎌が通り過ぎて、背にしていた木の幹を一刀両断してしまう。
 想定以上の切れ味に、狐侍はぞっと肝が冷えた。

「嘘だろう。この太さの生木をいともたやすく……なんてえ切れ味だい」

 ばきばき音を立てながらゆっくりと倒れていく木。
 その陰に隠れるようにして、急ぎ距離をとる藤士郎。

 この巨大蟷螂、一の太刀は左腕を鞭のようにしならせて、鎌の切っ先にて獲物を狙う瞬速の刺突のごとき攻撃、そして二の太刀は右腕にてすべてを問答無用で薙ぎ払う、斬馬刀のような剛の剣。
 左右の腕を巧みに使い分けることで接近を許さず。間合いを完全に掌握している。
 ならば周囲の木々を利用して近づき、凶悪な鎌をかい潜って側面なり背後から仕掛けたいところではあるが、それを許さないのが蟷螂の目。
 逆三角形の頭部の両端にくっついている大きな目。これが恐ろしく視野が広い。馬並みにて、こちらの動きをしっかりと捉えている。これではうかつに近づけない。

 やっかいな相手だ。勝機がまるで見出せない。
 このままではじり貧と判断した藤士郎は、突如きびすを返す。いきなり森の奥へと向けて駆け出したもので、それにあわてたのが戦いの趨勢を見守っていた銅鑼である。

「なっ、藤士郎! 逃げるなら逃げるで、せめてひと声かけやがれっ」

 でっぷり猫は遠ざかる狐侍のあとを追う。
 だが、そんな銅鑼の頭上をさっと飛び越えたのは巨大蟷螂。
 背中の薄羽にてぶぅんと舞い上がり、器用にも枝葉に引っかかることもなく、木の合間を縫って飛ぶ。
 蟷螂は眼下の猫には見向きもせず。藤士郎の背へとまっしぐら。

  ◇

 背後からずんずん迫る羽音。
 森の中を疾駆する狐侍。通りすがりに細い枝を掴んでは弓なりにひん曲げ、ぱっと離す。しなった枝が暴れ、うしろから迫る相手の顔をぴしゃりと打てば御の字。
 が、そんな苦し紛れの浅知恵、ひょいとかわしてしまう蟷螂。
 相手の反応の良さに、藤士郎は「ちっ」と舌打ちしつつも、視線を絶えず彷徨わせせる。逃げながら探していたのは、とある場所。

「深い森の中のこと、きっとあるはず」

 それを信じて懸命に走り続けていた藤士郎、その鼻先を周囲の緑の青さとはちがう匂いがかすめて、にやり。匂いが漂ってくる方へと足を向け、ついに目当ての場所を探り当てた。

  ◇

 追っていた獲物の姿が忽然と消えて、巨大蟷螂をきょろきょろ。
 飛行速度を落とし、沼の上空を周回しながら探す。
 するとぷくりぷくりと水面に泡が立つ。
 忌々しいことに獲物は水中に潜って隠れたらしい。
 だがいつまでも息が続くわけがない。その証拠に、こうやって泡があらわれている。
 じきに獲物が息が苦しくなって顔を出すはず。
 そこで首を刎ねてやろうと、蟷螂が右の鎌を振り上げ待つことしばし。
 ついにざばっと水柱、勢いよく浮上してきたもので、思い切り斬っ!

 蟷螂の一刀は狙いあやまたず。
 けれども手応えが異様に軽く、かこんと獅子落としのような音が鳴る。
 これには蟷螂もきょとん。
 よくよく見てみれば蟷螂が討ったのは、小太刀の鞘であった。鯉口の方を逆さまにして、内部に空気を蓄えて沈めたことにより、ぽんと飛び出したもの。
 鞘は一撃を受けてくるくると回り飛び、離れたところにぽちゃんと落ちた。
 謀られたと気づいた蟷螂。急ぎ獲物の姿を探そうとする。しかしその時にはすでに無防備にさらされた下腹部に、水中よりくり出された小太刀の刃が突き立っていた。

「しっ!」

 気合いとともに両腕に力を込めた藤士郎。いっきに刃を走らせ、蟷螂のぶよぶよの腹肉を一文字に斬り裂く。

  ◇

 絶命しぷかりと沼に浮かぶ巨大蟷螂を横目に。

「ぺっ、ぺっ、ぺっ、うぅ、気持ち悪い。ちょっと沼の水を呑んじゃったよ」

 鞘を回収しての岸辺にて、全身びしょ濡れでぼやく藤士郎。
 大きな虫を相手にした戦い。あまりにもいつもと勝手が違い過ぎてままならず、地味に危ういところであった。
 機転にてどうにか辛勝を拾った狐侍。だというのにである。相棒のでっぷり猫は、それをねぎらうどころか、「濡れるのを好まない」「なんか青生臭い」からとやや距離をとっている。
 なんという薄情であろうか!
 さすがに腹を立てた藤士郎が、濡れた身体で銅鑼に抱きついてやろうかとにじり寄るも、そんな悪戯をしている暇はなかった。

 木立ちの向こうに、いくつもの気配。
 ざわりと空気が揺らぎ、森の奥に光る目、目、目……。
 それがすべて散々に苦労させられた相手と同じやつだとわかって、藤士郎と銅鑼は顔を見合わせるなり、相槌を打ち、すたこらさっさ。


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