狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
81 / 483

其の八十一 白屏風

しおりを挟む
 
 知念寺を訪れた藤士郎を待っていたのは、奇妙な屏風。

「これは雪景色……ではありませんよねえ」

 首を傾げる藤士郎に、巌然さまは「あぁ、それっぽく見えるが、こいつはただの無地だ」と言った。

 何も描かれていない白屏風。
 紙の表面がやや波打ち黄ばんでいることからして、相応の年月を経ている品ということは素人目にもわかる。
 ではこれがどうしてやっかいのもとになっているのかというと……。

  ◇

 阿波屋という損料屋がある。
 損料屋とは借り賃をとって衣服や夜具、器物などを貸すお店のこと。
 めでたい席や、季節の催しごとのおりには必要だけれども、ふだんは用がない道具類は存外多い。けれども庶民の暮らし向きでは、それらをすべて揃えていたのでは、たちまち立ち行かなくなる。
 そこで必要な時に必要な品を銭を払って借りる。
 ゆえに損料屋は庶民たちにとっては強い味方。
 それはお武家にとっても同じ。下級武士や地方から江戸に出てきている者にとっては、いちから買い揃えるよりもよほど安くすむので、とても重宝がられている。ばかりか台所事情が苦しい中堅どころのお武家さまも、こっそり贔屓にしているのは公然の秘密。

 阿波屋の現在の主人嘉兵衛は苦労人のやり手。
 丁稚奉公からこつこつ勤めあげ、ついには主人一家の信頼を得て、婿養子の座を射止めた。そのときにはまだ庶民向けのお店がひとつだけであったのを、お武家さま用にとさらにもうひと店増やし、これを繁盛させることに成功する。
 とはいえ寄る年波には勝てぬし、そろそろ跡目を息子に譲りたいと考えているのだが、その肝心の息子がしゃんとせぬのが悩みの種。

 阿波屋の跡取り息子、名を彦太郎という。
 子どもの時分には、父譲りの真面目な気質と、生来の利発さが周辺にも知れ渡っていたもの。だがどうしたことか、十一歳を過ぎた頃から急に雲行きが怪しくなった。
 名主やお店仲間の倅どもとつるんでは、方々を遊び歩くようになり、家にいるときはろくに家業の手伝いもせずに、自室にてぼんやりごろごろ過ごすばかり。
 そのくせ妙に機転が利くもので、父親が「どれ、がつんと説教のひとつでも垂れてやるか」と乗り込めば、いつの間にやら消えている。
 いっそのこと「勘当だっ!」と怒鳴れたら楽なのだが、家を追い出すほどの放蕩ぶりでなし。

 しょっちゅう小遣いをせびるのは情けないものの、身体があまり丈夫ではない母おきんが寝込んだと知れば、寒空の下、わざわざ江戸はずれにある寺まで足を運び、回復祈願とご利益があるという御守りを買ってくる。
 お店の者の具合が悪いのを目敏く見つければ、薬をこっそり差し入れたり、まだ幼い丁稚らに菓子を与えたり、通りすがりにさらりと帳簿の間違いを指摘し、番頭を助けたことなんぞもあった。
 だから両親および店の者らは、「ひょっとしたら彦太郎は、わざとぼんくらを演じているのでは?」との疑惑を抱いている。
 でもそうなると今度は、どうしてそのようなまねをしているのかが、とんとわからない。

 さて、そんな彦太郎がここのところ妙におとなしい。長雨でもないのに自室に籠っている。
 外をふらふらされるのも困るが、こうなったらなったで安心するどころか、逆になにやら心配になってくるのが親心。
 気になった嘉兵衛は店の小僧に「ちょいとこっそり様子を見てきておくれ」と頼んだ。
 そわそわしながら嘉兵衛が待っていると、じきに戻ってきた小僧は奇妙なことを口にする。

「若だんな、じっと屏風とにらめっこをしています」

 それも何も描かれていない白屏風だと聞いて、嘉兵衛はますます困惑する。

 屏風は数日前に行った蔵の整理のさいに、奥にて埃をかぶっていたのを発見された品。
 開いてみれば中は真っ白。なんとも奇妙な屏風。居合わせた者らは「なんじゃこりゃ?」と首を傾げることになる。
 すると現場の差配をしていた古株の者が「あっ!」と思い出したのが、その奇妙な屏風の由来であった。

 時は先代の頃にまで遡る。
 さる旗本のお家が諸事情により断絶するにあたって、屋敷を引き払うことになった。俳句の会を通じて懇意にしていた縁もあり、残った家財道具を引き取ってもらえぬかという打診を受けた阿波屋。
 とはいっても貴重な宝物の類はとっくに選り分けられたあと。
 残るのは大半ががらくたのようなものばかり。
 それでもいろいろと使い道はあるもので、まとめて引き取ることにしたのだが、その中に混じっていたのが例の白屏風。
 なんでも屋敷の主人の祖父が絵を嗜んでいたそうで、いずれは大作に挑もうと買ったはいいものの、その願いを叶える前にぽっくり逝ったそうで、そのまま忘れられて放置されていたという。

 先代の阿波屋の主人は「まぁ、枠や丁番の指し物の細工もしっかりしているし、使われている紙も上等だ。これならすぐに欲しがる者があらわれるだろうさ」と安易にそう考えたが、日々の忙しさにかまけるうちに、すっかりその存在を忘れてしまっていたのである。

 代を跨いで蔵の中にて眠っていた白屏風。
 なぜかこれを気に入ったのが彦太郎。「おや、こいつは面白い。ちょいと借りるよ」と言って、そのまま持って行ってしまった。
 その話は現在の主人である嘉兵衛の耳にも届いており、「値打ち物じゃないから好きにさせておき」と放っておいたのだが……。

 何やら息子の様子がおかしい。
 妙な胸騒ぎを覚えた嘉兵衛は、小僧を伴ってすぐに彦太郎の部屋へと向かった。
 そして声もかけずにいきなり襖を開けるなり目にしたのは、半ばまで白屏風の中へと吸い込まれている彦太郎の姿。
 あわてて駆け寄り、引き戻そうとするも間に合わず。
 ひとり息子の姿は父の目の前で忽然と消えてしまい、それきりとなった。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...