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其の七十三 打ちこわし
しおりを挟むここのところでっぷり猫の機嫌がますます悪くなる一方。
おかげで家の中の空気までもが何やらどんより。
見かねて藤士郎が蔵の奥で埃をかぶっていた石臼を持ち出しごりごり、母志乃がお手製にて団子をこしらえたのだが、皿一杯の団子をぺろりとたいらげたくせして、銅鑼は顔をけしけし洗う仕草にて「なんかちがう」といけずなことを言う。
ならばと作った米粉を持って、おみつのところに団子作りを頼みに行ってみたのだが、老店主にやんわり断わられた。
「すまないねえ、藤士郎さま。作ってやりたいのはやまやまなんだが、米粉ならばなんでもいいというわけじゃねえんだよ」
いつも茶屋で使っている米粉は、適当に米をすり潰した物ではなくて、厳選したいくつかの米を潰したものを特別な配合で混ぜた品。
だから違う粉で作ったところで名物の味は出せない。
そうまで言われては、藤士郎もすごすご引き下がるしかなかった。
◇
とぼとぼ帰り道。
かすかな地響き。背後からどどどと景気のいい音がする。押し寄せる多勢の気配。
振り向けば近づいてくる十人ばかりの小集団があって、率いていたのは見知った顔であった。
「おや、左馬之助。どこぞで捕り物でもあるのかい?」
脇へ避けつつ声をかければ、「ちがう、米問屋で騒ぎが起きた」と通りすがりに近藤左馬之助。
米問屋といえば、幽霊星騒動にも絡んでいるもので、聞くなり藤士郎も駆け出した。
あとについて行ってみれば、店先にて押し寄せた人たちと店の者らで押し合いへし合いの真っ最中。
どうやら店側が現状を憂いて米粉の値を下げたところ、噂を聞きつけた客らが殺到してしまい、収拾がつかなくなってしまった模様。
さすがに打ちこわしのような物騒な事態にはなっていないものの、みなやたらと興奮している。放っておいたらどうなるかわからない。
そこで定廻り同心らの出番となった次第。
「こらっ、鎮まれ! 鎮まらんかっ!」
十手を振りかざし声を張り上げる左馬之助。偉丈夫による雷鳴のごとき一喝により客らが怯んだ隙に、すかさず手下の者らが店側との間に割って入る。
左馬之助はそうやって混乱を治める一方で、店側には「まだ米粉はあるのか?」とたずねる。
押しかけている連中、このまま手ぶらで返したのでは、またぞろ他所で騒ぎを起こしかねない。だからわずかなりとも品を与えて落ちつかせようとの魂胆。
すると番頭が「ここにいる方々の分ぐらいでしたら、ご用意できます」と耳打ちしてきたもので、左馬之助は「ではよしなに」と頼む。
ちゃっちゃと場を仕切る左馬之助の姿に「さすがだね。けど……」と感心しつつも藤士郎は顎に手をあて思案顔。
よかれと思って打った手が、裏目に出た。
今回のことはすぐに米問屋仲間に広がるだろう。
こうなるとおいそれと米粉の値が下げられない。なぜなら下げたら欲しがる者らが殺到するからだ。もしも米粉の値を下げるのならば一斉に下げる必要がある。
三百とも四百ともいわれるほどもある江戸の米問屋たち。
それらをまとめて動かすには、これを仕切る株仲間の重鎮らに協力を仰ぐしかない。
となればどうしたって公儀から働きかけてもらう必要がある。
だがしかし……。
「偉い人たちってばやたらと腰が重たいから。いざことが起きてからでないと動かないんだよねえ」
とかく武士は体面を重んじる。
それゆえに妖や怪異の類なんぞを妄信するは恥。
という体裁、澄まし顔にてふんぞり返っている。
もっとも本音は「おっかないものはおっかない」なのだが、立場もあって億尾にもそれを表に出してはならない。武士は喰わねど高楊枝。やせ我慢を通さねばならぬ。
でもだからこそ、今回の騒動の発端となっている幽霊星なんぞは、決して認めるわけにはいかないのだ。幽霊星怖さで起きている米粉騒動もまたしかり。
それこそ実際に打ちこわしでも起こらぬかぎりは……。
ここで藤士郎の脳裏を不吉な考えがよぎり、冷や汗たらり。
「まさかとはおもうけど、どさくさに紛れてそれを狙っている連中がいる? う~ん、米問屋界隈もいろいろあるみたいだし。混乱に乗じて競争相手の足を引っ張ったりとか。……そういえば米といえば札差も絡んでくるんだよねえ。そして札差といえば忘れちゃいけないのが、千曲屋文左衛門!」
文左衛門は、かつて抜け荷絡みにて藍染川の河童らと悶着を起こした千曲屋の主人。相当なやり手のようだが、うしろ暗い噂にはこと欠かぬ怪人物。
大身の旗本やら大名などをも巻き込み、ご禁制の品をせっせと江戸に運び込んでの荒稼ぎ。産み出された莫大な富は、次の将軍の座を巡る争いに湯水のごとく投入されたというが、真偽のほどは定かではない。
そんなとんでもない怪人物は、江戸の経済を牛耳っている一角。
影響力は絶大にて、たとえ奉行所といえどもうかつには手を出せない。
ゆえにいまのところ野放しのまま。
大物ゆえに、幽霊星やら米粉騒動などには食指を動かしやしないだろうと思う反面、藤士郎はどうにも胸のあたりがもやもやしてしようがない。
「会ったことはないけど評判を伝え聞いたかぎりじゃあ、ろくな男じゃなさそうだし。今回の一件、自らは動かずともいらぬちょっかいぐらいならば出してきそうな気がする。思い過ごしだといいんだけど」
やっかいごとが雪だるまのごとく大きくなっていく。
してやられてばかりの状況に藤士郎は唇を尖らせた。
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