狐侍こんこんちき

月芝

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其の七十一 流言飛語

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 高騰する米粉の値のせいで、仕入れもままならず。
 名物のみたらし団子が作れずに困っている、馴染みの茶屋の老店主と看板娘のおみつ。
 ここのところ好物の団子がとんとご無沙汰にて、すっかりへそを曲げてしまっているのは、でっぷり猫の銅鑼。
 わざわざ夢枕に立ち、息子に面倒ごとを押しつけてきた父平蔵。
 そのどれもこれもが、発端は幽霊星とやら。

「やれやれ、噂の出処もなにも、そんなのはよみうりを刷った瓦版屋だよねえ」

 そこからたどれば、どうしてこのような怪異をでっちあげたのかも、たやすく判明するだろうと、高を括っていた藤士郎。
 というわけで餅は餅屋とばかりに、そっち方面に詳しい書物問屋の銀花堂の若だんなを訪ねたのだけれども……。

「あぁ、そのよみうりですか。えっ、それを刷った人物を探している? う~ん、そいつを辿るのはちょいと難しいかもしれません」

 思いもよらぬ返答に藤士郎が当惑していると、若だんなが事情を説明してくれた。
 ひと口によみうりといってもいろいろある。
 ちゃんとした瓦版屋が大々的に扱っているものから、個人で細々と刷っているものまで。
 問題は個人で商っている連中。
 文を書く者、木版を彫る者、刷る者、売り捌く者らがてんでばらばら。その時々によって必要に応じて寄り集まっては仕事をして、終わればたちまち霧散する。
 そのせいか売り逃げ上等なところがある。いい加減な内容の記事をばら撒いては、御上にとっちめられる前に、あかんべえにて行方をくらますのなんて日常茶飯事。

「あの幽霊星のよみうりなんてのは、まだかわいい児戯みたいなものですよ。おおかたどこぞの団子屋にでも頼まれてのことでしょう。本当に性質の悪いのになると、わざと娘さんの悪評を並べ立てては、せっかくの良縁話をぶち壊したり、商いの競争相手を貶めようとするものもあるんですから」

 若だんなは唇を尖らせてのしかめっ面。
 どんな世界にも裏と表がある。
 よみうりの世界もまたしかり。大枚を貰っては依頼人にとって都合のいい流言飛語を垂れ流す。そんなことを生業としている悪辣な輩がいるそうな。
 なかには、槍玉にあげられたことを苦にして、みずから命を断った若い娘さんもいるというから、ひどい!
 まったくもって、とんでもない話である。
 しかしながらそれに少なからず影響を受けては、心のどこかで「ひょっとしたら」と考えてしまい、迷い踊らされるのが大衆の悲しいところ。

 この手のよみうりに関わっている連中は、身の安全のためにころころとやさを変える。まずひとつところには落ちつかない。特に今回のように江戸市中を巻き込むほどに騒動が大きくなった場合なんぞは、とっくに逃げ出しているはず。
 若だんなにそう教えられて藤士郎は「う~ん」と腕組みにて「こいつは当てがはずれた。困ったねえ」
 なんと初っ端から調査が行き詰まってしまった。
 見かねて若だんなが「どういった事情かはあえてお聞きしません。しかしいちおうこちらでも追ってみましょう。うまくいけば刷った職人の名前ぐらいならばわかるかもしれませんから。けどあんまり期待はしないでくださいね」と言ってくれた。

  ◇

 礼を述べて銀花堂を辞去し、次に藤士郎が足を向けたのは近くの米問屋。
 米粉が高騰しているというが、実際のところはどうなのか。自分の目で確認しておこうと考えた。
 いざ、米問屋に到着するも藤士郎は店内には入らず。さりげなく店の前を行ったり来たりしつつ、表からしばらく観察する。
 しかし目立った混乱は見受けられない。米が値上がりしたり、不足したりするとたちまち店先には客が詰めかけ人だかりができるものだが、いまはいたって落ちついたものである。少なくとも外から眺めたかぎりでは平穏そのもの。

 首をのばしたり縮めたりしながら、藤士郎が暖簾の隙間から店の奥の様子を伺っていると、背後からその肩をぽんと叩く者があらわれる。
 誰かとおもえば定廻り同心の近藤左馬之助であった。

「米屋の前に怪しい男がいるというから、急いで駆けつけてみれば……。おまえはこんなところでいったい何をしているんだ?」

 呆れ顔の友人に、藤士郎は「いやぁ、おみつちゃんが困ってるから、ちょいと米粉について調べているんだ」と話せる範囲にて事情を打ち明ける。
 すると左馬之助は「あぁ、そのことか」と眉間にしわを寄せた。
 じつは奉行所の方にもけっこうな数の苦情が寄せられているそうな。
 なにせ団子は庶民の甘味だ。
 それが一部の業突く張りどものせいで食べられない。ましてや、おっかない幽霊星をやっつけるのにも必要だというのに。

「だったらさぁ、いっそのこと御上の方で取り締まれないの? 鶴の一声で、米粉騒動を止めたらいいのに」

 と藤士郎。
 そうすればわざわざ噂の出処を探らずとも、以前のように気安く団子が買える環境が整い、幽霊星の一件も自然に解消されて余計な手間が省けるというもの。
 しかしこの案に左馬之助は、首を横に振る。

「米そのものだったら、その手もある。だがそれが米粉となるとそうもいかん。と上の方々は苦慮しているようだ」

 米相場を混乱させることは、民草の暮らしに直結し、ひいては国の根幹を揺さぶることになる。だから御上も見逃さない。
 しかしそれが米粉となると影響は極めて局所的。動いている額もたかが知れている。もしも今回のことが悪しき前例となれば、以降、ことあるごとに突き上げを喰らうことになりかねない。商人側からの反発もあろう。
 それが公儀が介入に二の足を踏んでいる理由。

「だったら幽霊星の方だけでもどうにかできないのかい? 御上の方から『あれはまったくの嘘っぱちだ。信じないように』とか公言してもらえれば」
「そいつは悪手だ。かえって裏目にでるだろう。なにせ江戸っ子どもは天邪鬼なところがあるからな」

 左馬之助の言葉に藤士郎は「あー」と納得。
 御上が白といえば黒、黒といえば白、裏読み、深読み、斜に構えては見栄を張って嘘ぶく。おとなしく首根っこを押さえられているふりをして、うつむきながら舌をぺろりと出しているのが、江戸の民。
 ああしろ、こうしろというのはかえって反発を招きかねない。
 八方塞がりにて、狐侍は途方に暮れる。


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