狐侍こんこんちき

月芝

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其の七十 夢枕

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 ひさしぶりに父上の夢を見た。
 と、おもったら夢枕に立った当人であった。
 冥府にて官吏の職についている父平蔵。生前にはとんと縁がなかった直垂姿が、いまいち板についていない。
 まぁ、それはさておき、わざわざ夢の中に息子を訪ねてきたのには、ちゃんと理由があるそうで。

「ふむ。藤士郎や、このままではちとまずいことになりかねん」
「はあ? 首ですか、はやお役御免になりそうなのですか」
「ちがう!」
「では、母上と喧嘩でもなさったのですか? でしたらすぐに謝った方がいいですよ。意地の張り合いでは、どう足掻いたところで男は女子(おなご)には勝てませんから。近頃、江戸でも熟年離縁とやらが流行っているそうですし、三行半を突きつけられる前に……」
「それもちがう! というか、どうしてそんな話になるのだ? わしと志乃の夫婦仲は円満そのものだぞ」
「えー、だって夫をほっ放って出戻っている時点で、てっきりそうなのかと……」

 あの世とこの世に別れて暮らす、平蔵と志乃の夫婦。
 単身赴任といえば聞こえはいいが、別居も同然。
 ただしどちらも故人ゆえに、世間一般の考えがあてはまるのかが、ちとややこしい。

「これは銀花堂の若だんなに聞いた話なのですけど、男と女子とでは夫婦に対する考えがずいぶんとちがうそうで」

 例えば次の世でも同じ相手と添い遂げたいか?
 と夫婦者に訊ねれば、夫は横柄に「まぁ」と答える者が多いらしいのだが、妻は「次は別の人がいい」とか「もっと甲斐性があるのが好ましい」と、きっぱり答える方が多いそうな。知らぬが仏、なんだかんだできっと相手も自分と同じ心持ちであるのにちがいあるまいなんぞと自惚れていたら、とんだお生憎さま。

「だから父上も気をつけた方がいいですよ。ほら、母上ってば、いまはとっても身軽な立場ですからね」

 母志乃は幽霊となっているので、つねにふわふわ浮いている。
 その気になればどこへなりとも。

「うぅ、知らんかった。歳をとってから捨てられるのなんて、きつ過ぎるではないか……、ではないわ! ええい、いちいち話の腰を折るでない藤士郎。問題は熟年離縁なんぞではない。まずいのは幽霊星とやらのことなのだ」

 まさかここで父上の口からその言葉が出てくるとはと、驚く藤士郎。
 とはいえ、ただのよみうりに何を目くじらを立てているのやら。
 首を傾げる息子。

「えー、こほん」

 軽く咳払いののち、父があらためて語り始める。

「いいか、よく聞け藤士郎。発端はただの作り話でも、それが広まり信じる者が増えれば、やがて形を成す。昔から鰯の頭も信心からと云うであろう? ただし問題は信じる相手なのだ。神仏の類ならばともかく怪異、それも人の天命を左右するような……、そんな代物が顕現したら、現世はとんでもないことになろうぞ」

 なにせ大江戸は八百八町もあり、住む者の数は年々増える一方にて、そろそろ百万人に届こうか。
 それらの多くが幽霊星に恐怖を抱き、信じては右往左往している現状。
 これを父平蔵は、というか上司の方々がたいそう憂いているそうな。
 いまでさえ地獄の客入りは連日盛況でかつかつなのに、これ以上増えたら対処しきれなくなる。最悪、亡者が溢れて、うっかり地獄の釜の蓋が開いちゃうかも。

 普段ならばぽっと出の怪談や奇譚話なんぞは、すぐに飽きられて下火になるもの。
 しかし此度の幽霊星にかんしては、米粉の相場にちなんだ商人らの欲がからんでいるから、なかなか鎮静化していないのが現状。
 商人らが、かけた元手や手間賃の分ぐらいはなんとしても取り戻そうと躍起になるもので、上がった相場が落ちてこないのだ。

「このままでは江戸は重大な局面を迎えることになりかねん。というわけで、なんとしても噂の出所を突き止めよ。そしてこれ以上、広がらぬように手を打つのだ」

 父平蔵より、そう言われて藤士郎はきょとん。

「へっ? どうして私が」
「どうしても糞もない。では、そういうことだから、しっかり励むように」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってくだいよ父上、そんな勝手な」

 慌ててとりすがろうと手をのばしたところで、ぱちっと目を開けた藤士郎。
 すでに陽がのぼり明るくなっていた。

「……父上のあのご様子、さては同僚方から面倒ごとを押しつけられたな」

 またぞろやっかい事に巻き込まれたと、藤士郎は寝床にて頭を抱えるも足下にて丸まっているでっぷり猫をちら見。

「やれやれ、幽霊星とやらも困りものだけど、江戸の危機ならここにもあるよ」

 銅鑼の正体は、かつては大陸にて悪名を轟かせた四凶の一角の窮奇(きゅうき)なる大妖。それが近頃、好物の団子にありつけていないもので、かなりご機嫌斜め。
 う~ん、このままの状態が続くのはかなり危うい気がする。

「団子のせいで江戸がしっちゃかめっちゃかとか、ちょっと笑えない」

 とはいえ相手は実体のない噂である。
 いかに伯天流とはいえ、さすがにこれは斬れない。
 狐侍は嘆息にて、とりあえず噂の出処から調べてみることに決めた。


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