狐侍こんこんちき

月芝

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其の六十六 猫又騒動顛末記 前編

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 討ち取った雅藍の猿首を手に、表へと戻ってきた藤士郎。
 しかし外の様子がおかしい。やたらと静まり返っている。
 異様な雰囲気に藤士郎は「おや?」と怪訝顔。こちらでは大槻兼山が、暴れ胴を相手にしてくれていたはず……。
 もしやと警戒を強める藤士郎。
 でもすぐにそれは杞憂とわかって肩の力を抜く。

 ぐるりと人だかりが出来ていた。
 誰も彼もが無言である。目を見開き中央の一点を見つめ、まるで陸にうちあげられた魚のように、口をぱくぱく。
 それは驚愕、あるいは真からの驚嘆の表情。
 彼らの視線の先には、穴だらけの蜂の巣となり、朱に染まった暴れ胴が倒れていた。
 かたわらには槍を杖がわりにしている古強者が立っている。

 その光景に藤士郎は内心で「うへえ」
 みんなが黙り込んでしまっているのは、おおかた武仙候の凄まじい戦いぶりを目の当たりにしたせいだろう。
 先ほど藤士郎と一騎打ちをしたとき……。
 おそらく相手が人間ということもあって手加減とは言わぬまでも、自分でも気づかぬうちに力を押さえていたようだ。だが主家に仇なし、春姫の御身に手をかけようとした、ちょこざいな妖白猿なれば遠慮はいらぬ。
 本気も本気、武仙候の槍の妙技が炸裂したのだ。
 暴れ胴のやられ具合から察するに、生身の人間相手には使用がはばかられるような奥義を解禁したと思われる。
 一歩間違えれば、自分がそうなっていたと知り、藤士郎はぞぞぞと怖気に襲われる。

 妖白猿の雅藍は追い詰められたがゆえに、より強い化け物へと変貌しようとしていたが、どうやらここにも変貌を遂げた者がいたようだ。
 そんな槍鬼が戻ってきた藤士郎に気がつき、血塗れの顔にてにたり。凄味のある笑みを浮かべて言った。

「そちらも勝ったようで恐悦至極。しかしいささか物足りぬなぁ。どうにも体が火照ってしようがない。そこでどうだ貴公、これからもう一番?」

 戯言なのか、本気なのかはちょっとわからない。
 藤士郎は「ははは、ごかんべんを」と答えるのが精一杯であった。ここで緊張の糸がふつりと切れて限界を迎える。
 視界が暗転し、精根尽きた狐侍はついに意識を手放した。

  ◇

 目を覚ますと、藤士郎は見知らぬ部屋にいた。
 品のある造りの室内。いい匂い……お香が焚かれている。
 どうやら加賀藩邸の上屋敷内の一室らしい。
 身は肌触りのいい寝具にくるまれており、きちんと怪我の手当も施されている。
 寝起き頭で藤士郎がぼんやり天井を眺めていると、その顔をひょいとのぞき込んだのは、でっぷり猫。

「おっ、ようやく起きたか、この寝坊助め」

 銅鑼より三日も寝ていたと聞かされて驚く藤士郎。
 ついでに自分が寝ていた間の出来事も教えてもらう。
 いま、藤士郎がこうして安穏としていられるのは、幽海さまのお口添えの賜物とのこと。

「この者は拙僧が連れてきた者……。じつは加賀藩の江戸屋敷から、ただならぬ巨大な妖気を感じましてな。加えて当院に寄せられた不可解な要請。これはきっと何かよからぬことが起こっていると考え、失礼ながらもこうして押しかけて参りました次第にて」

 それっぽい嘘をしれっとつく幽海さま。
 臆面もなく荒唐無稽の法螺話を即席でべらべらと。
 もしも同じことを他の誰かが言えば、その場で一笑に付されるか、最悪、無礼討ちにされてもおかしくない。けれどもそれを芝増上寺の高僧にて、学者としても広く知られた御仁が口にすると、あら不思議。なにやら本当のように聞こえてくる。
 地位や身分、評判などの色眼鏡にて、人心がたぶらかされることをよく知る御坊は、自分が他者からどのように見えているのかを理解しており、これを存分に活かす。

 他にも強く擁護してくれる者がいた。
 それは留守居役兼春姫の守役の大槻兼山。
 みなが右往左往し手をこまねいている中、果敢にも単身、怪異へと立ち向かい見事に春姫さまを奪還、ついには妖白猿をも討ち取る快挙を成したことを褒めそやし、かつ「自分に勝った男だ」と声高に喧伝したことにより、なんのかんのと小うるさい声を黙らせてしまった。
 かくして勝手に奥御殿に忍び込んだり、蔵を破ったりしたことは不問とされ、客分扱いとなった藤士郎は、手厚い保護を受けられるようになったという次第。

 ここまで説明したところで、銅鑼が急に「くくく」と思い出し笑い。

「にしても傑作だったのが、加賀藩と天狗たちとの話し合いの席よ」

 妖白猿との戦いに決着がついたところで、ほっとしたのも束の間。
 天狗らが大挙して屋敷の屋根へと舞い降りてきたもので、「すわ、お礼参りか!」と加賀藩邸内は上を下への大騒ぎ。
 実際、天狗たちは少し前まで「天誅、天誅」とやかましかった。
 けれども銅鑼に足止めを喰らっているうちに、蔵に囚われていた天狗の子どもが己が身に起こったことを、一から十までたどたどしい口ぶりながらも懸命に話したことにより、流れが変わった。

 天狗の子ども、禁じられていた川遊びに夢中になっているうちに、うっかり流れに足をとられて、そのままどんぶらこ。
 流れついたのは見知らぬ土地。全身ずぶ濡れの上、翼も痛めてしまったらしい。これでは飛べそうにない。帰り道もわからない。お腹も減って「くぅ」と鳴く。ひもじい。寂しい。心細い。
 涙目にて膝を抱えてうずくまっていると、「おやまぁ、どうしたのかえ?」と声をかけてくれたのは、ひとりの老婆。親切にも自分の家へと連れ帰り、あれこれと世話を焼いてくれた。
 おかげで順調に怪我も回復し、元気を取り戻していく天狗の子ども。
 いよいよ空へと飛び立ち、仲間のところに帰ろうとするも、その寸前で美僧に捕まってしまったという。

 報酬欲しさに天狗の子どものことを教えたのは、老婆ではなくて里の者。
 どこぞで加賀藩が密かに妖や怪異の類を求めていると知った男が悪心を起こしたのだ。
 老婆は身を呈して天狗の子どもを庇い、なんとか逃がそうとするも駄目だった。
 かくして天狗の子どもは囚われの身となったのだが、それを救い出したのもまた人間にて、ここで天狗たちはそろって「あれ?」と首をひねることになる。


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