狐侍こんこんちき

月芝

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其の六十一 白猿の怨

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 その子猿は生まれてすぐに群れから追い出された。
 毛が白かったからだ。群れは群れという集団を守るために、異質な存在を認めない。野生は非情だ。仲間を守るためとあらば、躊躇うことなく小さな命を排斥する。
 母猿は庇ってくれなかった。白い子猿には双子の弟がいたからだ。それを守るために異質な兄の方を切り捨てた。
 だがそれを恨むまい。なぜならそれが野生なのだから。
 恨むとすれば、己にこんな姿を与えた神仏であろうが、たとて天に唾を吐いたとて己にかかるばかり。
 もっとも未熟な体では、そんな気力すらもあっというまに潰えたが……。

 しとしとと冷たい雨が降る。
 濡れそぼり、ぷるぷると震えるばかりの子猿。
 どうにか雨露をしのげる洞へと潜り込むも、非力な身で出来たのはそこまでであった。
 あとは死を迎えるばかり。
 けれども不意に子猿の体が温もりに包まれた。

「なにやら弱々しい気配がすると思えば……。かわいそうに」

 抱きあげたのは美しい女人の姿をした木の精。
 一帯の森を統べる大木の化身に拾われた子猿は九死に一生を得る。
 子猿は木の精から蜜を与えられ、森の恵みの集め方を学び、すくすくと育ち、いつしかたくましい白猿へと成長していく。
 やがて白猿は木の精に従者として仕え、救われた恩義に報いる道を選んだ。

  ◇

 幸せな時間は唐突に終わった。
 恩義に報いる道を閉ざしたのは人間ども。
 古の盟約を破り、森を開拓し、あろうことか森を統べる大木をも切り倒してしまったのである。しかも木の精の亡骸を城の大黒柱としてしまった。
 もちろん白猿はこの暴挙に怒り、なんとか止めさせようとした。けれども白猿は無力であった。刀や槍に弓ばかりか鉄砲まで持つ人間たちを前にして、成す術なし。
 多勢に無勢、手酷い傷を負わされ、谷底へと叩き落とされてしまう。
 どうにか這い上がったときには、すでにすべてが終わったあとであった。

 慟哭。

 血の涙を流し白猿は絶叫す。

「なぜだ! なぜだ! なぜだ! なぜだ! なぜだ! なぜ我だけがこんな目に合う? なぜあの方が無惨に手折られねばならぬ? なぜこんな理不尽がまかり通る? なぜだ、なぜだ、なぜなぜなぜなぜなぜ……」

 世を呪い、ふたたび自分から大切な物を奪った天を呪い、古の盟約を忘れ恩を仇で返した人間どもを呪い、大切な森が荒らされるのを指をくわえて見ていた獣どもを呪い、ありとあらゆるものを呪い、憎悪の炎で身を焦がす白猿。
 さなかのこと、ぷつんと自分の中で何かが切れる音を聞いたような気がした。
 それはずっと自分を縛っていた獣の理が切れる音。
 この瞬間、怨嗟に塗れた妖白猿が誕生した。

「梅の花の真ん中に亀甲を模した紋……。この恨み晴らさずにおくものか。必ずだ
! 必ず報いを受けさせてやるっ!」

 そう誓った妖白猿。
 だがいかに妖となったからとて、闇雲に攻めても先の二の舞になる。
 人間たちは強い。そして狡猾だ。
 これと戦うには己はあまりにも弱い。

「力がいる。知恵も足りない。ならばどうする? どうすればいい? どうすれば望みを叶えられる? ……簡単なことだ。相手から学べばいい。そのためならばいくらでも首を垂れよう。屈辱にも耐えよう。己の矜持なんぞは些末なことだ」

 妖白猿はまず敵を知ることから始めた。
 人を知り、人を学び、人の考えを理解し、人が何を好み何を厭うのか、人の行動をつぶさに観察し、連中が信じてすがる仏門に帰依し、法力を得て幾多の秘術を操れるようになり、自身の妖力をさらに高めることにも成功する。
 かくして美貌の僧、雅藍という虚像を作り上げるかたわらで、倒すべき敵の懐に潜り込む。

 何も知らず、美僧の正体にも気づかない連中を裏で嘲笑いながら、雅藍は着々と復讐への道筋を整えていく。すべては自作自演にて。

 天魔覆滅の儀。

 それは前田家を覆う厄災を取り除く行(ぎょう)にあらず。
 むしろその逆、日の本中にいる妖や怪異どもを、集めて加賀百万石を地獄へと変えるための儀式。
 天魔とはその地に住まうすべての人間ども。
 覆滅すべきは大罪の上に胡坐をかいている者たち。
 知らぬ存ぜぬなどという言い訳は認めない。

  ◇

 そのために積み上げてきた努力を、ただの「猿真似」と銅鑼から一笑に付された。
 ばかりか大妖の気まぐれにて水泡に帰されようとしている。
 悔しい、悔しい、悔しい。
 だが、どれだけ悔しかろうとも、四凶には勝てない。
 おそらく全身全霊でぶつかったとて、毛筋程度の傷しか与えられないだろう。
 妖白猿の雅藍、「ならばっ! せめて」自身の足下へと術を放つとともに、頭上にも続け「破っ!」
 床と天井が同時に崩されて、御殿内が瓦礫と煙まみれとなる。
 その隙に駆け出した雅藍。銅鑼には見向きもせずに、一路、春姫の寝所へと。

「こうなればあの姫の命だけでも、あの方に捧げん」


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