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其の六十 銅鑼
しおりを挟む藤士郎らを先へと行かせた銅鑼。
向かってくる美僧めがけて、ぎんっとひとにらみ。
尋常ではない妖気をぶつけてきたもので、雅藍はぎょっ! しかしすぐに、にやりと舌なめずり。
「こいつさえいれば、あんな雑魚どもに用はない」
かき集めた弱い妖どもよりも、このでっぷり猫が一匹いればこと足りる。己が願いが成就される。
そう判断した雅藍は「かかってこいとは、猫又風情が片腹痛いっ」と駆け寄りながら、素早く九字を切る。
縦横格子になるように宙へと指を走らせるなり「喝っ!」
気合いにて発せられた法力の塊。
銅鑼が飛び退ると、つい今しがたまでいた場所が爆ぜる。畳の表面が抉れ、見えない巨大な獣の爪で引っかかれたかのようになっていた。
「喝っ! 喝っ! 喝っ!」
立て続けに攻撃を放つ雅藍。襖に穴が開き、柱、床板、梁などに爪痕が次々と刻まれてゆく。猛攻により一帯がずたずたになる。
しかし当たらない。
銅鑼はのらりくらり、まるで猫踊りでもするかのようにして、ときには二本足にて「はぁ、こりゃこりゃ」
これにびきりと青筋を浮かべる美僧。肌が白いもので、浮かんだ血管がいっそうよく目立つ。
「おのれっ、ちょこまかと」
ならばと雅藍は懐より護符を取り出す。これを独鈷杵(どっこしょ)に突き刺すなり、銅鑼めがけて勢いよく放つ。
しかしこれもやはり当たらない。
銅鑼はひらりとかわし、「下手くそ、どこを狙っていやがる」と余裕しゃくしゃく。
雅藍が投げた独鈷杵は銅鑼の背後にあった柱へと突き立つ。
けれどもここで素早く印を結んだ雅藍、「阿毘羅吽欠娑婆呵(あびらうんけんそわか)」と唱えるなり、独鈷杵が蒼光を帯びてまばゆい光を放った。
生じたのは稲光。
暴れ、閃き、ぴしゃりと雷が落ちたのは、でっぷり猫の脳天。
さしもの銅鑼もこれは避けきれずに「うぎゃっ!」全身の毛が逆立ち、ふらふら千鳥足。
そこへ巻きついてきたのは長い数珠。たちまち拘束されてしまう。
端を握っている雅藍が「獲った。これでもう逃げられんぞ」と勝ち誇る。
そして「馬鹿にしてくれた礼だ」と言いながら、数珠を通して法力を銅鑼へと直接流し込んでは、これを痛めつける。
びくんびくんとでっぷり猫の身が跳ねる様を見下ろしながら、雅藍が嗜虐的な笑みを浮かべる。
そんなことを執拗に二十ほども繰り返したであろうか。
ようやく満足したのか、雅藍が「はあはあ」乱れた息を整えながら、額に浮かんだ汗を拭おうとしたとき、「くくく」と含み笑いが聞こえてきた。
笑っているのは銅鑼であった。
「どれほどのものかとおとなしくしていれば、この程度か? だいそれたことをたくらんでいるようだし、ちょっとは期待していたのだがなぁ。てめえはてんで駄目だな。というか、いい加減にそのうっとうしい面の皮を脱いだらどうだ。猿真似の大根芝居も見飽きたぞ」
言うなり銅鑼の身を縛っていた数珠が千切れ飛ぶ。それとともにどんどんと膨れ上がったのは妖気。
黒銀色の虎柄のでっぷり猫がのそりと立ち上がる。
金の双眸が爛々と。色味を増し、まるで太陽が宿ったかのように輝く。
その身がみるみる大きくなってゆく。
猫が虎に化けたばかりか、美しい縞模様のある背には雄々しい翼が生える。
かつて感じたことがないような濃厚かつ強大な気配。
その威容に慄いた雅藍は「ひいっ」、あわてて逃げようとするも、斬っ!
ひょいと軽く撫でるかのような仕草は、前足の虎爪による一閃。
無惨に引き裂かれたのは、弥勒菩薩さまの生き写しとまで称された若い僧の美しい面差し。破れた皮膚の下からあらわとなったのは、しわくちゃな面相。それは年経た白毛の猿のものであった。
「おのれ、おのれ、おのれ、おのれーっ! せっかくここまで上手く事が運んでいたというのに、どうして貴様がここにいる? 四凶がどうしてっ! どうして御身が我の邪魔をするのかっ!」
四凶……。
それは遥か古の時代。大陸の中原にて、おおいに名を馳せた大妖らのこと。
凶徳を好んで行い、けっして友とすべきではない、反道徳的な醜類悪物「渾敦(こんとん)」
知識、財、この世のあらゆるものをひたすら貪り食らう、貪欲を象徴する魔物「饕餮(とうてつ)」
有翼の虎にて、正義を嘲笑い、誠実を踏みにじり、悪を尊ぶも、わずかにでも意に添わねばたちまちへそを曲げてそれを蹂躙する、唯我独尊な化け物「窮奇(きゅうき)」
平和や安穏、天下泰平を何より嫌い、人々の嘆きにうっとり陶酔し、血と死臭に溢れた戦乱の中に吹く殺伐とした風を好物とする、荒ぶる怪獣「橈骨(とうこつ)」
いずれ劣らず。ひとたび降臨すれば世に災いをもたらす者たち。
その一角がいま目の前に!
どくどくと血を流す猿顔より「なぜ邪魔をする?」と問われるも、銅鑼は「さぁ」と虎首をかしげるばかり。
「なぜと言われても困る。しいてあげれば『たまたま』かな。まぁ、巡り合わせが悪かったな」
なんたる理不尽、ふざけた物言いに化けの皮の剥がれた妖白猿は、怒りの形相にて強く唇を噛みしめる。ひょうしに奥歯がぎちりと鳴った。
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