59 / 483
其の五十九 槍鬼と狐侍 後編
しおりを挟むいつものように受け待ちの姿勢、後の先では勝てない。
そう判断した藤士郎は、ここでいったん刃を鞘に戻す。
敵を前にして刀をしまう。
この行動に怪訝そうな表情を浮かべる大槻兼山。さりとて構えを揺るめるような真似はせず。
藤士郎は右肩に愛刀の烏丸を鞘ごと担ぐようにして持つ。
片肘を突き出しつつ、歩幅は肩よりも大きくとり、腰をやや落とす。
そして無手の左腕はだらりと垂れるにまかせる。
薄目となり静観、すんと剣気を鎮め、余計な雑音には耳を塞ぎ、ただ目の前の相手のみに集中する。
伯天流の攻めの型・上弦。
この奇態を前にして大槻兼山が「むむむ」と唸る。
にらみ合う両雄。
不意にひゅるりと涼風が吹く。
どこぞよりはらりと飛んできたのは一枚の葉。
それがふたりの間を横切った瞬間に、木っ端みじんに砕け散った。
最初に葉に穴を穿ったのは大槻兼山の槍。雷光のごとき刺突。
ほぼ同時に大きく踏み込んだ九坂藤士郎。鞘走りから閃く小太刀の刃が、大きく欠けた上弦の月のごとき軌道にて疾駆。槍の穂先にしがみついていた邪魔な葉を斬り裂く。
槍と小太刀が激突し、ぎゃんと哭いた。
藤士郎は穂先の打ち落としを目論むも、槍は進軍を止めず。こしゃくな小太刀をものともしない。
逆に威を得て、槍の突破力がぐんと一段増す。
槍と小太刀、間合いのこともある。いかに長身痩躯で手足が長い狐侍とはいえ、このままでは先に相手の身へと届くのは、古強者の放った渾身の一撃。
だがしかし……。
振り下ろされた藤士郎の小太刀。その切っ先が足下にて翻り、飛燕のごとく舞い上がる。
急制動からの切り返し。軽い刀身だからこその動き。
加えて、動いたのは無手であったはずの左手。背中越しに受け渡された鞘が、いつの間にかしっかりと逆手に握られていた。それが向かう先は大槻兼山の手元。
なまじ力を込めて槍を持っているがゆえに、手の表面に浮き上がっているのは血管や骨の部分。藤士郎が狙ったのは親指の付け根。肉付き薄く、喰らえば骨に響く。ここを痛めたら満足に物を握れなくなる。
並の剣術なら手の甲を、いわゆる小手を狙う場面だが、あえて局所へと襲いかかるのが伯天流ならばこそ。
じつは烏丸の鞘の奥には鉛が詰められており、少し重くなっている。
空の鞘だからとて、まともに喰らうとけっこう痛い。当たり所が悪ければ骨にひびが入ることもあるのだ。
だというのに大槻兼山は槍を取り落とさず。
なんと、気概にて耐えたのである!
それでもほんの一瞬だけ、顔を歪め意識がそちらに向き、穂先の勢いも落ちた。
これがふたりの勝敗を分ける。
大きく踏み込んでから、槍をかわしつつ、めいっぱいに腕をのばしての切り上げ。ぎちりと肘や手首の関節が軋み、筋肉も悲鳴をあげる。ずきんと鈍痛、恐らく筋を痛めたか。
それでも藤士郎はこの勝機に賭けた。さらに大きく前へと。
槍の突端が左肩を掠め、皮膚を斬り裂きながら鎖骨の表面を滑る。
小太刀の切っ先がひゅんと跳ね、斬り裂いたのは大槻兼山の左顔半分。下顎から頬、額へとかけて縦一文字。鮮血がぱっと散る。
たまらず「うぐっ」
大槻兼山が片膝をついて勝負あり。
すべてはほんのまばたき数度の間の出来事。
刹那の攻防を終え、時の流れが戻ってくる。
紙一重であった。かろうじて勝ちを拾った藤士郎。近くの木に寄りかかり「ぜえはあ、ぜえはあ」肩で大きく息をする。
呼吸を整えつつ、藤士郎は傷口を抑えうずくまっている古強者を見下ろし思った。
いまならばきっと話を聞いてもらえるはずだと。どうして自分がこのような無謀な行動に出たのか。その事情を説明しようとした矢先のことであった。
どんっ!
大きな爆発音がして、地響きが起こる。
もうもうと盛大に煙があがっているのは、ついさっきまで潜入していた御殿の奥の方。
「ありゃりゃ、いったいなにごと?」
突然のことにぽかんと呆けている藤士郎。厳しい戦いの直後ということもあって、いまひとつ頭が上手く回らない。
けれどもさすがの大槻兼山はちがった。がばっと立ち上がり「いかん、春姫さまっ!」と血相を変えて、槍を引っ掴むなり駆け出した。
置いてけぼりとなった藤士郎。
しばし逡巡するも、結局、大槻兼山のあとを追うことにする。なぜならあそこには銅鑼が残っているからだ。きっと怪僧雅藍と何かあったのにちがいあるまい。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる