狐侍こんこんちき

月芝

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其の五十六 子天狗

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 銅鑼が小窓からひょいと蔵の中を覗けば、そこには手足を数珠で縛られた童が二人、雪毛の猫が一匹、王子稲荷の狐が一匹の姿があった。
 童はともに妖が化けたもの。雪毛の猫がしらたまだとすると、子どものうちのひとりが心助なのであろう。しかし問題は残りの方……背中に小さな黒翼がある。

「げっ、なんで天狗の子まで混じっていやがるんだ」と銅鑼。

 猫又や狐狸の類は、わりと町中をぷらぷらしている。数も多いので、その気になれば捕まえられなくもない。しかし天狗となると話がまるでちがってくる。
 なにせ天狗は強い。空を自在に飛び、風を操っては、あらゆるものを吹き飛ばす。位の高い大天狗が数人寄れば、江戸城すらをも倒壊するだろう。
 そんな天狗たちの子らは、成人の儀を経て一人前と認められるまでは、深山の奥の奥、幽玄の狭間にある隠れ里を出ることを固く禁じられている。
 子はかすがい、子は宝。大人たちに守られ、しっかり学び、大切に育てられるのだ。
 だというのに、そんな至宝が外部に流出している!
 事故か故意かはわからない。だがきっと、いまごろ隠れ里では大騒ぎになっているはず。

「おいおい、よりにもよって天狗の子をさらうとか、やつら正気か? きっと連中、今頃、行方知れずとなった子を血眼になって探しているぞ。もしもこんなところに閉じ込められているとばれたら、加賀藩邸どころか本郷一帯が、風の刃で撫で斬りにされて更地に変えられちまう」

 王子稲荷の狐たちも、自分たちの仲間がこんな目にあっていると知れば激怒するだろう。
 ただしこちらは昔から人との関わり合いが深いがゆえに、ちゃんと怒りの匙加減を知っている。仕返しをするにしても、当事者らとその周辺に留める程度の分別はある。
 しかし天狗にそれは期待できない。
 彼らは傲岸不遜にて他者を嘲笑する存在。地を這いずり、あくせく生きている者らを一段下に見ている。それゆえにこれを叩き潰すことを躊躇しない。
 もしもそうなれば猫又騒動どころではすまない。
 江戸市中に暴風が吹き荒れ、天狗礫が雨あられ!
 うっかり火でもだそうものならば、風に煽られ、たちまち阿鼻叫喚の炎獄が地上に出現し、隅田川が死体で埋まる。とんだ地獄絵図となろう。

「ちくしょう、悪い予感が当たっちまった。藤士郎、ことは一刻を争う。こうなればのんびり段取りを踏んでいる余裕はねえ。すぐにこいつらを助け出すぞ」

 いつになく焦っている銅鑼。それだけ事態は切迫しているということ。
 藤士郎は「わかったよ」と腹を括る。
 さいわい解き放ちさえすれば、天狗の子は空へ、王子の狐は最寄りの祠から逃げられる。残る猫二匹ぐらいならば、どうにか守って逃げ切れるはず。
 意を決した銅鑼と藤士郎たちは、すぐさま蔵の扉を破るべく行動を起こす。

  ◇

 藤士郎と銅鑼が、蔵の中に囚われた妖たちを逃がそうと躍起になっていた、ちょうどその頃。
 御殿の中庭の庵の方では、留守居役の大槻兼山が雅藍なる美僧を連れて、幽海たちと面談をしていたのだが……。

「ほぅ、そのようなことが」

 ふむ、と重々しくうなづいたのは幽海。
 大槻兼山の口より語られたのは、主家に降りかかっている厄災について。
 なんでも病に伏しているのは、末子の春姫のみにあらず。殿をはじめとする前田家の一族のおもだった者ら、そのことごとくが体調不良を訴えているという。病状こそはまちまちだが、ひとりふたりならばともかく、同じ時期に次々ととなればさすがに「おかしい」と疑う。
 ゆえにこれなる雅藍に調べさせたところ、どうやら此度のことには祖先の因縁がからんでいるらしいことがわかった。
 障りは多数。ひとつひとつ対処していては鼬ごっこになる。
 そこで「天魔覆滅の儀」なるものにて、すべてをひと息に打ち払う所存。

「毒を持って毒を制す。怪異を怪異にぶつけて、加賀藩に災いをなす疫鬼どもを殲滅するのです」と力説する雅藍。

 もっともらしい言い分にて、術の説明にも不審なところはない。
 そういった秘術があることは、博識で鳴らした幽海も知っている。
 だが、それゆえにこの術が諸刃の剣であることもわかっている。
 だから……。

「気持ちはわからぬでもないが、いささかことを急いてはおらぬか? なによりその儀式自体が、さらなる大きな災禍を呼び寄せかねんとおもうがのぅ」

 幽海は大槻兼山をやんわり諭そうとする。
 術は大規模になればなるほどに、反動も大きくなる。影響も多方面に及ぶ。大きな力を行使するのはとても危険なのだ。だからこそ、より慎重にことを運ぶ必要がある。
 けれどもここですかさず割って入ってきたのは雅藍。

「あいや、幽海さまの御懸念はごもっとも。さりとて幼い春姫さまにはあまり猶予がありませぬ。お可哀そうに。日に日に弱る一方にて、近頃では粥すらろくに喉を通らぬほど。とにかく時間がないのです。もちろん、いざというときの備えはしております。ですから、どうか御坊もお力添えをいただけませぬでしょうか」

 春姫の名前が出たとたんに大槻兼山は苦悶の表情を浮かべ、身に悲壮感を滲ませた。それだけ老武士は思いつめているということ。
 しかし言うにことかいて、熱で苦しんでいる幼子を盾にとるような発言をするとは……。
 じつに厭らしいところを突いてくる。幽海は眉尻をあげずにはいられない。また老僧は数多の問答を重ねてきた経験から、目の前に座る見目麗しい僧侶がすらすらと吐く弁舌の内に、微塵も誠実さを感じられなかった。
 だからなんとしても論破すべき相手と心に決めたところで、当の雅藍がまるで跳ねるようにして急に立ち上がり「むっ、何者かが結界を破りおった!」と叫んだもので、場が騒然となった。


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