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其の五十五 蔵の中
しおりを挟むみんなと別れて庵を抜け出した九坂藤士郎。まんまと上屋敷の屋内へと侵入を果たす。
けれどもあえて屋根裏や床下には潜らず。
なにせここは守りが厳重だ。そういった、いかにも賊が好みそうな暗所は、逆に危ういと判断した。きっと侵入者対策が施されているはず。忍び返しに落とし穴、鳴子ぐらい張り巡らされていてもおかしくない。それになにより長身痩躯な藤士郎にはいささか窮屈。
だからあえて床上を行く。
白昼にもかかわらず、なんと大胆不敵なっ!
とおもわれるかもしれないが、むしろ昼日中だからこそである。
お天道さまがまだまだ高い。この明るい下で、賊が天下の加賀藩の江戸屋敷内を堂々と徘徊していようとは、お釈迦さまでも気がつくまい。
ありえないという思い込み。体制が整っているがゆえに、守る側の心にわずかながらに生じる気の緩み、油断……、此度はそこを突く。
もちろん誰かに見咎められたらそれまで。
なので細心の注意を払ってそろりそろり。
ときには襖や柱などの物陰に潜み家中の者をやり過ごし、ときには人目を盗んでしゅたたたと駆け、ときには床に這いつくばって息を殺し、目指すは御殿の奥の奥。
式神を飛ばした夜。
水鏡越しにしらたまの姿を見かけたのは、春姫の寝所のそば。
ある程度まで接近できれば、銅鑼の鼻で二匹の居所はわかるというので、とにかく近づけるだけ近づいてみるつもり。
◇
前田家といえば代々夫婦仲が良好にて、子だくさんでも知られた家系。
春姫は、三男四女の末子にて齢八つ。とても快活な姫さまという話だが、それがここのところ原因不明の熱で伏せっている。
「ひょっとして姫さまの快癒祈願でもするつもりなのかな」
壁に張りつき、曲がり角の向こうの気配を探りながら、藤士郎がぽつりと疑問を口にすれば、足下にいる銅鑼が「それはない。だったらふつうに護摩壇を焚いて祈祷すればいいだけだ。わざわざ猫又もどきや、他の怪異を集める必要なんてない」と即座に否定する。
「……まさかとはおもうけど、儀式の生贄にしちゃうとか」
「はん、馬鹿か? もしもそんなことをしてみろ。逆に祟られるだけだ。そうなったら春姫どころか加賀百万石そのものがやばいぞ」
「うーん、だよねえ。ということは、しらたまたちの件と姫さまとは関係ないのかしらん」
「しっ、腰元だ。いかん、こっちに来る。藤士郎、身を隠せ!」
銅鑼は素早く廊下から表へと降り、縁の下へと身を滑り込ませる。
藤士郎が長い腕をのばしたのは最寄りの鴨居。指先を引っかけるなり、ぴょんと飛び上がった。天井の隅の暗がりへと張りつき同化する。
直後に角の向こうから姿をみせた腰元。
ちょうど藤士郎がいる下あたりにて不意に立ち止まり、小首を傾げる。
なにか違和感を感じたらしい。しかし両手がお膳にて塞がっていたこともあって、寸の間を経て、また歩き出した。
腰元の姿が完全に見えなくなってから、ひらり。音もなく降り立った藤士郎。銅鑼もひょっこり顔をみせて、「危なかったな。さすがは上屋敷に勤める腰元。歩き方まで上品だから、近づいてくるまで気づけなかった」
「本当にひやひやしたよ。……でもね、収獲はあったよ。さっきのお膳で運ばれてたのはお粥だった。だからきっと春姫の寝所はもうすぐだとおもう」
運ばれていた小鍋の木蓋がずれており、中身がちらり。
上から見ていたからこそわかった。ほんのり出汁を利かした、かぎりなく重湯に近い三分粥。あれは病人のための食事。だからこそ藤士郎はそう目星をつけた。
◇
春姫の寝所はほどなくして知れた。
病床特有の静けさ、空気の淀み、日の翳り、陰の気が漂う空間。
そんな場所を屈強な藩士が四人がかりで警護している。
ご丁寧に紐を結んだ大きな鈴が出入り口のところに吊り下げられている。もしも不審者があらわれたら、たちまちがらんごろん。手勢が駆けつけるのだろう。
これ以上の接近はさすがに難しい。
それにこの時、銅鑼の鼻がくんかくんか。
「むむむ、匂う、匂うぞ」
それは春姫の寝所ではなくて、反対側の方から。
だから藤士郎らはそちらへと向かう。
そうして辿り着いたのは、突き当りにあった立派な蔵。母家に隣接するように建てられており、廊下伝いに直接行けるようになっている。
どうやらこの中にしらたまたちは囚われているらしいのだが、あいにくと扉には施錠がされており、お札による封印までなされている。
「鍵はともかく、こっちのお札はどうだろう。たんなる目張りってことはないよね。きっと例の美僧とやらの仕業のはず。だとすればうかつに破けば、すぐにばれちゃうかも」
「だろうな。強行突破をするにしても、策を弄するにしても、とりあえず中の様子がわからんことには話にならん」
だから藤士郎と銅鑼は、覗ける場所でもないかと探ると、それらしい小窓を見つけたものの、ちょっと高い場所にある。
そこで小太刀を足場に、背の高い藤士郎がおもいきり背伸びをして、めいっぱいに手を上へと突き出し、その上に銅鑼が二本足で立ち、ぴょんぴょん跳ねて中を覗くことにしたのだが……。
「ぐっ、お、重い。甘い物の食べ過ぎだよ、銅鑼」
「やかましい、藤士郎。おれは太ってるんじゃない。これは貫禄なのだ。それよりもほら、もっと腕をのばせ、あともうちょい右」
狐侍とでっぷり猫、わちゃわちゃしつつもどうにか小窓に手が届く。
さっそく覗き込んだ銅鑼は、とたんに「はぁ?」と素っ頓狂な声をあげた。
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